jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

新聞とスマホ

電車に乗ると、今やほとんどの人がスマホを触っている。乗る前から、そして乗り込む時も、片時も画面から目を離さない。

   筆者も、電車を待つ間にスマホを開くが、入線のアナウンスとともに終了してポケットに入れる。電車に乗ってからスマホを使うかどうかは周りの状況しだいである。他の人は、そういう選択をしないで、ひたすら画面を見、指を滑らせる。

   通勤時には、かつては新聞を読んでいた。1面、国際面、経済面、産業面と見て、最後に文化面を読む。ニュース面はタイトルと斜め読み、文化面のコラムはしっかり読む、という具合だった。ニュースで深読みするのは、出社してからでよかった。

   満員電車で新聞を小さく折りながら読むというのも、状況しだいである。時にはタイトルも読めないことがあった。それでも、座れた時にはゆっくり読めた。

   今、電車の中で新聞を開く人は少ない。みんなスマホを覗いている。しかし、ニュースを見ている人は少ないだろう。実際、大手新聞の紙面イメージで読める電子版を読んでいる人は何れほどいるのだろう。

   通常の電子版は、全文が読める訳ではない。掲載されていても、スクロールをずいぶんしなければならないので、後半は読まない。しかし、記事の最後に大事な情報があるのが通常である。紙の新聞なら一気に結論を見られるが、電子版だとそうは行かない。

   電子版でいかにうまく情報を伝えるかはまだまだ改善の余地があるが、そもそもニュースを読まなくなっている時代、Twitter がまた注目されるように、このような起承転結のある文章はもう時代遅れなのかもしれない。

久しぶりの電車遅延で考えた--会社に遅刻しないのは前向きな理由か後ろ向きな理由か

久しぶりに,電車が遅延した。電車が遅延すると,運転間隔の調整が行われ,駅での停車時間が長くなる。お客は,停車してドアが開いている間はコンスタントに乗り込んでくるので,電車内の混雑はさらに増加する。それでも,この時間調整をしないと,次の電車に乗り込む人が一気に増えて大混乱になるという。ただ,遅れているのに,さらに時間調整をされると,乗っている側からするとイライラしてしまう。逆に,遅れを取り戻すために少しでも速めに走ってくれればいいと思うのだが,そこは速度制限もあるし,速くは走ってくれない。さらにイライラすることになる,というのがお客側の論理である。

 乗り換え駅で,別路線からのお客がさらに乗り込んでくる。久しぶりのラッシュ並みのギュウギュウ詰めの混雑だった。

 高度成長期は,朝のラッシュは当たり前だった。筆者も仕事が面白かったし,残業で家に帰って寝るだけでも,朝は定時に出かけてラッシュの電車に乗り込んだ。肉体的には大変なのだが,特に苦には感じなかった。

 今朝,電車が遅れていると知ったのは自宅でニュースを聞いたときだった。昔だったら,急いで出かけて1本でも早い電車に乗って,遅刻しないようにという意識で行動していたのを思い出す。

 今は,「今日は休みにしちゃおうかな」などとふっと思ったりした。どうせ遅れるのなら,2本待って座って行こうかなとも思った。どうせ,リモートでもできるんだし,と思った瞬間,今日は会議がある,ということを思い出した。まあ,出社時刻には間に合わないが,会議の時刻には十分間に合うと思って,家を出た。

 いつもの始発電車に乗って座り,少しうたた寝をしていたら,急に途中駅で人が一気に乗ってきた。昔のラッシュの混み方を思い出していた。

 さて,この電車に今乗っている人は,どんな思いでこの満員電車に乗っているのだろうか,と考えた。

 仕事をするのが面白くて,混雑を我慢して乗っている人は,おそらくほんの数人だろう。その他の多くの人は,ある意味,惰性で通勤している。もっと分析すると,「仕方なく」乗っている人も多いし,「ちゃんと出社しなかったら評価が下がる」「辞めさせられるかもしれない」という切実な思いの人も結構な数いるのではないだろうか。

 今の時代,正社員で雇われているのは会社員の半分であり,残りは期間限定の契約社員だったり,アルバイトだったりする。正社員といっても,定年退職まで身分が保証されているわけではないが,契約社員,アルバイト,派遣社員などは,明日仕事を失わないとも限らない。「1日たりとも休むわけには行かない」という脅迫観念に押しつぶされながら,満員電車に乗り込まざるを得ない人が半数はいるのではないだろうか。

 筆者も正直,100%満足して仕事をしているわけではない。まあ,勤めている会社の主軸事業に携わっているわけではないので,気は楽である。多少文句は言いつつも,黙々と仕事を進めている中で,ちょっとだけ自分のやり方を取り入れて満足しているような状態である。いつでもテレワークに入れるし,また会社が選択と集中で事業編纂した場合は,特にしがみつこうとも思っていない。情熱もほどほどというところである。

 したがって,楽しくもないが必死に食らいついている人を見ると,大変だなと思うし,今朝のラッシュの中の多くの人が,自己を押しつぶしてとにかく目を付けられないように努力しているのだとすると,これは会社にとっても働く本人にとっても不幸だなと思うのである。

 今の日本,9割がこの不幸な状態にあるのではないだろうか。本当に実りのある仕事がどれほどあるのだろうか。残業代も出ず働かされるか,定時までとにかく時間をやり過ごすだけの人も少なくないだろう。

 せっかく世界第2位の経済大国になったことのある日本を,もう一度立て直せるのは誰だろうか。どのリーダーにもその資質が欠けているように思う。

 さらにメタバースでは,所得に対する税金,消費に対する税金,といった価値観がなくなる。国や政府といった中央集権的な発想がメタバースにはないからである。儲けた人が勝ちである。会社も国も,組織というものが成り立たない世界であり,ファン,サポーターによる投げ銭で成り立つ。いわば「大道芸」の世界である。

 いずれ,満員電車で必死に通勤していたことが,馬鹿みたいに思われる時が来るに違いない。そのときには,国も会社もなければ,日銀も世界銀行もない。ただのカオスな世界が始まろうとしているのを感じる。

日本の将来はあらゆる面で心配--結婚率・出生率低下,産業の空洞化,平和ボケによる国の消滅も

イーロン・マスクが「日本は将来滅びる」と発言したというのでビックリした。出生数が死亡数を下回っているのだから,そりゃ当たり前なのだが,なぜ日本を名指しにしたのかが気になる。

 筆者が学校で習ったのは,世界の人口は30億人だった。現在は66億人と倍増している。一方,日本の人口は当時で1億人だった。現在は1億2000万人で,ほとんど変わらず,逆に減少に転じている。老人比率がどんどん上がり,年金の原資がなくなりつつある。

 戦後の日本を支えた製造業も,今や見る影もない。原料を輸入し,これに付加価値を付けて輸出して外貨を稼ぐというビジネスモデルは崩壊している。円安なのだから,本来は輸出産業は儲かる仕組みなのに,海外に売るものを作れなくなっている。

 新型コロナウイルス禍で,海外との人の行き来の制限が続き,インバウンドで外貨を置いていってくれる旅行者もやってこない。

 一部の若者が,農業や漁業などの一次産業をIT化して盛り立てようとしているのは心強い。しかし,いかにIT化しても相手は生き物である。何が不確定要素になるか分からない。国はもっと真剣に,一次産業に投資し,食糧自給率を上げなければ,本当に大変なことになる。

 日本にあるかつての製造業の工場を植物工場にして農業生産物を増やし,また廃校となった学校のプールを改良して陸上養殖施設を作り,安定的な漁業資源を増やす。さらに,水素燃焼発電も国産で広め,海外にもプラント輸出して外貨を稼ぐ。こういうビジネスモデルがなぜ誰も言えないのか,平和ボケとしたいいようがない。

 日本が敵国から攻撃を受けた場合,アメリカは助けてくれないことはウクライナ支援をしていないということからも明らかになった。専守防衛は結構であり,そのための防衛予算を増やすことも筆者は賛成である。ただ,「日本を守れる防衛設備」など,この世には存在しない。アニメの世界なら「電磁バリア」を張ればいいが,そんな発明は今のところこの世には存在しない。発射されたミサイルを爆破する方法は,もはや存在しない。せめて監視の目を強化することを提案している チグハグな日本の「可視化」技術--木を見て森を見ずの科学立国政策・自衛隊政策に失望感【追記】 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/4/29 が,そこに予算を選択集中することはだれも考えない。

 ロシアの戦勝記念日の軍事パレードや,ウクライナ軍の反撃の様子,北朝鮮の軍事パレードなどを見ると,自らの命と引き換えに国を守るために戦う,という気概が見えてくる。それを否定したのが日本の「平和主義」だが,では「平和のために国を守る」ために日本人は何をするというのだろうか。「何もしない」国民に国は守れない。まして,他人様に「助けて」と言っているだけでは,助けてくれない。

 一次産業のIT化をさらに進め,まず雇用を創出してもらいたい。そして,戦後の日本人が「モーレツ」「エコノミックアニマル」と揶揄されながらも,必死に日本の地位の向上と経済の発展,生活の向上に努め,給料を上げ,生活水準を上げてきたという汗と涙のある「仕事への情熱」「仕事の喜び」を,もう一度取り戻さなければ,「平和賛成・戦争反対」とただ口で訴えるだけの国になってしまい,諸外国から相手にされなくなるだけでなく,「ちょっと脅かせば降伏する」国に見られつつあると思うのである。

 学校で学ぶことも,またそれを教えることも,もっと実りのあるものにつなげていってほしい。バーチャル,あるいはメタバースの世界は,個人としての金儲けはできるが,それは「国」という仲間のいるプラットフォームの充実には一切貢献しない。外貨を稼げなければ,国は成長しないが,メタバースの世界での稼ぎはGDPには反映されない。

 また,日本のエンタテインメントでは国民は食べていけないのも明らかである。漫才は世界には通用しない。東大クイズ王は世界には通用しない。そして,海外に売れるものは何もなく,外貨も稼げない。つまり,何も生み出していないし,逆に日本国民の生産性を著しく阻害し,日本を破壊しているとも言えるのである。

 まず,日本に必要なのは,自家製のエネルギーと食糧である。そしてその仕事に生き生きと携わり,きちんとした収入を得て,家族を育てられるような生きがいのある仕事を作ることである。2人の夫婦から子供が3人できなければ,国は滅びる。これは自明の理である。結婚もしない,仕事もしない,ゲームやスマホばかりしている日本人に,正直,将来はない,と筆者も感じる。早く目を覚ましてほしい。

くちばし型マスクに統一しよう--マイクロ飛沫のワンプッシュ拡散の弊害を強調すべき

2022年ゴールデンウィークが終わった。3年ぶりの外出制限のない休日で,期間中の観光地への人出も,日本人に限っては従来同様に戻ったようだ。まだ海外からのインバウンド観光客は戻ってきていない。
 週が明けて,筆者も通常勤務に戻っている。通勤電車の混雑も,コロナ禍以前の水準に戻りつつある。
 海外では,外出制限の解除とともに,マスク着用義務の解除も進んでいる。もともとマスクの習慣のない人々にとって,マスクは耐え難いものである。
 日本でもマスク解除の動きが進んでいるが,全面的にコロナ禍がなくなるまでは,日本人はマスクを着用する傾向は続きそうである。
 しかし,無症状感染・マイクロ飛沫拡散を防ぐのが目的の現在のマスク着用において,相変わらずの布マスクやウレタンマスクが横行しているうえ,不織布マスクでも鼻や頬に隙間ができるような着用法をしている人がいかに多いことか。
 しかも,咳・くしゃみ時にマスクを押さえようとする人もほとんど見かけない。いずれもマスクを押し上げて隙間がさらに広がり,そこからマイクロ飛沫が拡散してしまう。なぜこのことを認識しないのだろうか。
 通常の不織布マスクで,マスク周辺の隙間をなくすには,布マスクやウレタンマスクを上に重ねて着ける二重マスクが効果的だが,夏場にこれを実行する人もほとんどいない。
 「不織布マスク」というだけではだめである。より顔に密着するマスクとして,「くちばし型不織布マスク」に限定すべきではないかと思うのである。
 このタイプのマスクは,部品点数が多く,製造工数が多く,製造コストがかかることがデメリットと思う。しかし,マスクが顔に密着しにくく,また鼻やアゴの線に沿ってピタリと肌に沿うので,マスク周辺への漏れが少ないのは明らかである。よくできていると思う。国産マスク不足を補うために手を挙げた10社のうち,シャープもこのくちばし型マスクの製造を始めている。

 すでに普及しているヒダ型の不織布マスクを使うなら,布マスクやウレタンマスクとの二重マスクにする必要があるが,くちばし型マスクなら1枚で済むと思う。

 ここのところ,「感染症専門医」のコメントが弱い。ゴールデンウィーク前後のPCR検査件数も,4月初旬の半分に減っている。その中で,感染確認者数はまた増加に転じている。外出制限なしのゴールデンウィークの人の移動と,いい加減なマスク着用がもたらした結果だと思う。

 施設や交通機関は強制換気の強化,個人側はくちばし型不織布マスクの着用とワクチン接種──これで何とか乗り切れるのではないかと思うのである。もちろん,公共交通機関内での会話の禁止は継続していくべきだろう。

 

回数券もICカード化することの提案--さらにQR コード化もいいアイディア

筆者は、土日に別ルートを使うことから、土日休日回数券を利用している。ほとんどの改札口がIC カードのみ対応のレーンになり、回数券などの紙の切符を使うユーザーにとってはちょっと不便な状況になっている。改札口が5レーンとすると切符が使えるレーンは1つで、しかも双方向対応が多い。乗ろうとした時、降りる客がどっと来た場合、流れが変わるまで待たなければならないことが多い。

   中には、すべてIC カードのみの改札口もある。筆者が困っているのが、JR 渋谷駅のハチ公口である。ここを出て東急田園都市線に乗り換える際、いったん屋外を歩かなければならないのだが、切符が通れる改札口を出ると15mぐらい歩かなければならない。IC 改札口だけの出口ならすぐに東急の乗り場に向かう階段が使えるので雨に濡れなくて済むのだが、筆者はいつも雨の中を駆けることになる。

   ついでに言わせていただくと、渋谷駅はJR も東急も、身体の不自由な人にとって誠に不親切な駅である。JR 山手線から地下の東急に行こうとすると、直接降りて行けるエスカレーターがない。いったん上の階に上がり、そこから下に降りなければならない。東急駅も、改札口からホームに降りるためのエスカレーターがない。2台あるのだが、どちらも上りになっている。降りようとすると、別の改札口から入り、エレベーターを使わなければならない。直接意見しているが一向に変わらない状態がもう数年も続いている。

   切符を認識する自動改札機は、日本の高度成長期に開発された機械技術の結晶の1つである。もはや、このころの機械技術を受け継ぐ技術者はほとんどいなくなっている。壊れる確率も高く、修理に費用もかかる。部品を作ることができる協力企業もどんどん無くなっている。

   とすれば、まず回数券を電子カードにすればいいと考えられる。回数が終わった時点でいったん扉を閉め、回収箱に入れる、あるいは係員が回収するなどの方法で回収すればいい。繰り返し使えるので、SDGs にもかなっているはずである。

   1枚売りの切符も電子カードにすればいい。同じように回収すればいいからである。恐らく、SUICAPASMOの利用が9割を超えていると思われる現在、これぐらいは必要な変革だと思う。 

   もっと簡単にするには、切符の発券時にQR コードを発行し、これをスマホで読んで、同じQR コードを改札機で読み取るようにすればいい。スマホのないお客様には、紙でプリントしたものを改札機でスキャンしてもらえばいい。簡単なことである。

   いっそ、券売機なしで、スマホ上で切符を購入、決済して、このQR コードを読み取るアプリがあってもいいだろう。

行儀の悪いソフトに悩まされるこのごろ

最近のソフト,アプリの行儀の悪さには閉口している。
 パソコンソフトの場合,WindowsでもMacでも,基本的な実装のルールがあったと思われる。ウインドウの中のどこにコマンドボタンを配置するかなどは,みんな約束を守っていた。したがって,操作を迷うことはほとんどなかった。
 Androidスマホを使い始めて,アプリのコマンドボタンの配置や記号がバラバラなのに悩まされた。いったい何を意味しているのか,意味不明なマークが使われており,それがアプリによってもバラバラだった。
 特に困ったのが「設定」で変更した後の処理である。PC用のソフトであれば,常に変更後は「保存」ないし「キャンセル」のボタンがあり,自分の意志を反映させることができた。ところが,スマホアプリは,「保存」ボタンがあるのは稀で,ほとんどは元の画面に戻ると設定が変わっているようになった。これでは,変更したのか,キャンセルして元の画面に戻ったのか不明で,不安になった。
 実際,左矢印のボタンを押したら,単に元画面に戻っただけで設定変更されていないことも多かった。どうやら,情報を入れたあと,「Return」キーを押すことで変更完了になる,というインタフェースだったようだ。
 この“悪い仕様”が,PCのソフトにも進出してきている。特にクラウド系のソフトでは,設定画面を消すと設定完了になる,というインタフェースが当たり前になってきている。必死になって「保存」ボタンを探している筆者がバカに見えてくる。
 かと思えば,ウインドウを閉じる際に「変更を保存しますか?」と聞いてこないソフトも出てきた。この場合は,「保存」ボタンを押していないので,変更がキャンセルされてしまうのだが,そこに対する配慮がなくなってしまっている。
 かつて,WindowsMacでボタンの位置がほぼ左右上下が逆で,とまどったものである。ただ,それぞれの環境では常に同じなので,慣れの問題だと思っていた。Chrome OSは,Windowsにずいぶんと寄せていて,使い方にそれほど迷うこともなかった。日本語入力の切り替えキーも,最新版では同じ「半角/全角」キーで操作できるようになった。
 アイコンのデザインも,Macでは使える色や画素数をきちんと決めてあったので,デスクトップに並んでも美しかったが,Windowsでは色使いの制限を外したのでデスクトップが汚くなった。Androidにおいては,もはや歯止めがまったくない状態である。
 ウインドウにタイトル行がなくなり,またメニュー表示もなくなった。なんでも感覚で操作できる若い人と違って,文字メニューがないと年寄りは混乱してしまうのである。

 だれでもプログラムを作成できる時代だからこそ,「こうした方が美しいよ」と音頭を取ってくれる若者が現れてほしいものである。

戦勝記念日 vs 終戦記念日--価値観の違いが明確

5月9日はロシアの戦勝記念日だという。日本もかつて3つの戦いに勝って来たが、戦勝記念日はなかった。逆に第二次世界大戦の敗戦を「終戦」に置き換え、平和主義を宣言した唯一の国になったのだが、世界に平和は訪れなかった。

   ウクライナマリウポリから一般市民の避難がようやく完了した。これは、ロシア軍による徹底攻撃の予告である。さすがに核爆弾は使わないだろうが、ミサイルをじゅうたん的に打ち込んでウクライナ軍の殲滅を図るのだと思われる。一般市民が巻き添えになることが少しでも避けられることが良かったとはいえ、どんな形に進行するのか、予想もつかない。

   ウクライナ軍の反撃態勢も整いつつあるという。製鉄所、マリウポリを占領したところで、休戦協定が結ばれることで解決に向かってほしい。ウクライナも、クリミア奪還まで進まないでほしい。できれば,ロシア軍の総攻撃が始まる前にこっそり製鉄所を抜け出して,命を守ってほしい。