jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

久しぶりの電車遅延で考えた--会社に遅刻しないのは前向きな理由か後ろ向きな理由か

久しぶりに,電車が遅延した。電車が遅延すると,運転間隔の調整が行われ,駅での停車時間が長くなる。お客は,停車してドアが開いている間はコンスタントに乗り込んでくるので,電車内の混雑はさらに増加する。それでも,この時間調整をしないと,次の電車に乗り込む人が一気に増えて大混乱になるという。ただ,遅れているのに,さらに時間調整をされると,乗っている側からするとイライラしてしまう。逆に,遅れを取り戻すために少しでも速めに走ってくれればいいと思うのだが,そこは速度制限もあるし,速くは走ってくれない。さらにイライラすることになる,というのがお客側の論理である。

 乗り換え駅で,別路線からのお客がさらに乗り込んでくる。久しぶりのラッシュ並みのギュウギュウ詰めの混雑だった。

 高度成長期は,朝のラッシュは当たり前だった。筆者も仕事が面白かったし,残業で家に帰って寝るだけでも,朝は定時に出かけてラッシュの電車に乗り込んだ。肉体的には大変なのだが,特に苦には感じなかった。

 今朝,電車が遅れていると知ったのは自宅でニュースを聞いたときだった。昔だったら,急いで出かけて1本でも早い電車に乗って,遅刻しないようにという意識で行動していたのを思い出す。

 今は,「今日は休みにしちゃおうかな」などとふっと思ったりした。どうせ遅れるのなら,2本待って座って行こうかなとも思った。どうせ,リモートでもできるんだし,と思った瞬間,今日は会議がある,ということを思い出した。まあ,出社時刻には間に合わないが,会議の時刻には十分間に合うと思って,家を出た。

 いつもの始発電車に乗って座り,少しうたた寝をしていたら,急に途中駅で人が一気に乗ってきた。昔のラッシュの混み方を思い出していた。

 さて,この電車に今乗っている人は,どんな思いでこの満員電車に乗っているのだろうか,と考えた。

 仕事をするのが面白くて,混雑を我慢して乗っている人は,おそらくほんの数人だろう。その他の多くの人は,ある意味,惰性で通勤している。もっと分析すると,「仕方なく」乗っている人も多いし,「ちゃんと出社しなかったら評価が下がる」「辞めさせられるかもしれない」という切実な思いの人も結構な数いるのではないだろうか。

 今の時代,正社員で雇われているのは会社員の半分であり,残りは期間限定の契約社員だったり,アルバイトだったりする。正社員といっても,定年退職まで身分が保証されているわけではないが,契約社員,アルバイト,派遣社員などは,明日仕事を失わないとも限らない。「1日たりとも休むわけには行かない」という脅迫観念に押しつぶされながら,満員電車に乗り込まざるを得ない人が半数はいるのではないだろうか。

 筆者も正直,100%満足して仕事をしているわけではない。まあ,勤めている会社の主軸事業に携わっているわけではないので,気は楽である。多少文句は言いつつも,黙々と仕事を進めている中で,ちょっとだけ自分のやり方を取り入れて満足しているような状態である。いつでもテレワークに入れるし,また会社が選択と集中で事業編纂した場合は,特にしがみつこうとも思っていない。情熱もほどほどというところである。

 したがって,楽しくもないが必死に食らいついている人を見ると,大変だなと思うし,今朝のラッシュの中の多くの人が,自己を押しつぶしてとにかく目を付けられないように努力しているのだとすると,これは会社にとっても働く本人にとっても不幸だなと思うのである。

 今の日本,9割がこの不幸な状態にあるのではないだろうか。本当に実りのある仕事がどれほどあるのだろうか。残業代も出ず働かされるか,定時までとにかく時間をやり過ごすだけの人も少なくないだろう。

 せっかく世界第2位の経済大国になったことのある日本を,もう一度立て直せるのは誰だろうか。どのリーダーにもその資質が欠けているように思う。

 さらにメタバースでは,所得に対する税金,消費に対する税金,といった価値観がなくなる。国や政府といった中央集権的な発想がメタバースにはないからである。儲けた人が勝ちである。会社も国も,組織というものが成り立たない世界であり,ファン,サポーターによる投げ銭で成り立つ。いわば「大道芸」の世界である。

 いずれ,満員電車で必死に通勤していたことが,馬鹿みたいに思われる時が来るに違いない。そのときには,国も会社もなければ,日銀も世界銀行もない。ただのカオスな世界が始まろうとしているのを感じる。