電車に乗ると、今やほとんどの人がスマホを触っている。乗る前から、そして乗り込む時も、片時も画面から目を離さない。
筆者も、電車を待つ間にスマホを開くが、入線のアナウンスとともに終了してポケットに入れる。電車に乗ってからスマホを使うかどうかは周りの状況しだいである。他の人は、そういう選択をしないで、ひたすら画面を見、指を滑らせる。
通勤時には、かつては新聞を読んでいた。1面、国際面、経済面、産業面と見て、最後に文化面を読む。ニュース面はタイトルと斜め読み、文化面のコラムはしっかり読む、という具合だった。ニュースで深読みするのは、出社してからでよかった。
満員電車で新聞を小さく折りながら読むというのも、状況しだいである。時にはタイトルも読めないことがあった。それでも、座れた時にはゆっくり読めた。
今、電車の中で新聞を開く人は少ない。みんなスマホを覗いている。しかし、ニュースを見ている人は少ないだろう。実際、大手新聞の紙面イメージで読める電子版を読んでいる人は何れほどいるのだろう。
通常の電子版は、全文が読める訳ではない。掲載されていても、スクロールをずいぶんしなければならないので、後半は読まない。しかし、記事の最後に大事な情報があるのが通常である。紙の新聞なら一気に結論を見られるが、電子版だとそうは行かない。
電子版でいかにうまく情報を伝えるかはまだまだ改善の余地があるが、そもそもニュースを読まなくなっている時代、Twitter がまた注目されるように、このような起承転結のある文章はもう時代遅れなのかもしれない。