jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

組織と自己主張--髪の色、形、服装を考える

筆者はある会社の一員として仕事をしているが、マニュアルどおり仕事をしている訳ではない。あるメディアの運用の采配を任されている。最終決済は社長に仰ぐし、プロジェクトのゴーサインは会社の会議での合議が必要である。しかし、その内容をどう設計するか、どんな手段を使うかは自分で決める。そのほとんどの作業は、パソコンに自動でさせるような手順を考える。最後の商品化の段階で、初めて外部の専門会社に依頼する。後は、マニュアルどおりに作業してもらうだけである。

   組織に属してはいるが、組織が「右を向け!」と言っても必ずしも向かない。左の方がいいと思えば主張し、議論する。納得いくまで動かない。組織をどうするのがいいのかは、組織の責任者だけでなく、構成員も真剣に考えるべきである。責任者が必ずしも正しい訳ではないからだ。

   組織に属するために、外見上の一定のルールは必要であると考える。筆者の場合、対外的な仕事もあるので、最低限のビジネスルールは必要であり、その範囲でアレンジしている。2005年のクールビズ以来、ノーネクタイは当たり前になったが、まだジーンズには手が出ない。綿パンまでである。

   髪の色や形も一定のルールがあるだろうと信じているのだが、自由業ならともかく、会社員に冒険はなかなかできない。茶髪、束ねる、ツーブロックなども難しい。

   一方で、白髪胡麻塩頭や白髪、丸刈り、スポーツ苅りなど、黒髪から外れた色の髪色がある。筆者はいずれもかなり圧のある髪色だと思う。筆者自身は、白髪がそれなりに目立つようになってからは、月1回程度、市販の毛染めで黒くしている。この習慣はもう5年以上続いているが、とりあえずまだ毛はしっかりしている。恐らく、毛染めを止めたら一気にジジイになるのだろうと想像するだけでも恐ろしい。ただ、他人に圧を掛けたくないのと、子どもたちにとってなるべく若そうに見える親でありたいからである。

   会社という組織が崩壊しつつある。副業OKなど、いまだに信じられない。仕事がすべて個人ワークで成り立つのなら、会社は要らないが、欧米のような金銭サポートの仕組みがない日本では、会社組織に入り込んでそこで会社を自分の思う方向に動かすのが、効率も良く、安全であると思うので、やはり組織にいる人間としての格好を最低限守ることになる。

   若い人が大学時代に思いっきりヤンチャして、いざ就職となったら借りてきたネコのように大人しくなるというのも情けない。ただ、うまく自分の思いと企業の志向が合うと、それは遣り甲斐のある仕事となる。なかなかこのマッチングはうまく行かないが、10年は頑張ってみるといいのではないかと個人的には思っている。

電車の換気の新案--車両の間のドアを開放しよう

またまた、電鉄会社の新型コロナウイルス対策についての文句と、お金の掛からない対策の提案である。

   電車は、空調で換気していると放送では言っているが、その換気能力は微々たるものである。満員電車のモウモウとした空気を会社側は知らないのだろうか。

   新しい車両ほど、窓が「飾り」のようになっており、開閉ができない。空調の効きを良くするための設計が、新型コロナウイルスには逆に働いている。

   電車の窓開けもいい加減になっている。始発電車は、車両基地で準備をしているから、当然適切な窓開けが電鉄側でされていてもおかしくないのだが、今の時期、早く冷房を効かせるために窓開けがほとんど行われていないままホームに入線してくる。

   車両の前後の席は優先席であることが多いが、なぜかここの窓を開けないようになっていることがほとんどである。電車の進行方向の前側は、換気がほとんど行われていない。このエリアで咳、くしゃみ、会話があると、マイクロ飛沫がずっと漂ったままになる。高齢者はこの席を使うので、さらに厄介である。

   そこで提案は、車両の間にあるドアを開放することである。前の車両の窓から入った空気が次の車両まで流れる。特に、発車時は空気が大きく動くので、換気効果は高い。

   前の車両に感染者がいたら、次の車両に感染が拡大するのではないか、という疑問もあるが、空気が動くことでウイルス密度が下がり、さらに複数の窓から拡散できるので、感染確率は低くなるはずである。

   最近のドアは自重で勝手に閉まってしまうので、それを強制的に固定すればいい。冬場は寒いので半分ぐらいで固定すればいい。

   車両間移動は基本的に禁止すれば、混乱も少ない。

   筆者の周りでもまた感染の話を聞く。決してまだまだ終息はしていない。ワクチン、マスク、強制換気の必要性が日本では残されている。海外からまた旅行者の制限を緩和しようとしているが、彼らはまたルールを守らないから次の感染拡大に繋がると見ている。日本人がまずお手本となるべきだが、残念ながら、「僕らもマスクやーめた」という低い意識で行動するのではないかと懸念している。

   ドア固定ほど簡単なことはない。これもできないような電鉄会社に明日はないと思う。

政治の駆け引きのすごさ--タフ・ニゴシエーションをもう一歩願う

ウクライナ情勢が一瞬の平穏を取り戻したかのように見える。マリウポリの製鉄所で抗戦していたウクライナ軍がロシアに投降し捕虜となったことで,製鉄所への攻撃はいったん止まり,ウクライナ南部・東部がロシアに制圧された形で均衡状態に入っている。

 ロシアにとっては,先に併合したクリミアまでの陸路が確保され,とりあえず1つの目的は達成した。一方,ウクライナは製鉄所にいた1000人以上の兵士の命をとりあえず生き残ってもらう道を選んだ。ロシア兵の捕虜との交換交渉が現在進んでいる。

 ウクライナの民間人にも多くの犠牲者が出たウクライナ侵攻だが,1人1人の命を守ることが重要なことは言うまでもない。日本が掲げる平和主義は,紛争ではなく議論で解決の道を探る,という意味では最も人間らしい考え方だが,北方領土竹島尖閣列島という他国との領土問題が戦後77年経った今も未解決なのは,いかに政治交渉が難しいかということを物語っている。

 このウクライナ侵攻のタイミングで,フィンランドスウェーデンNATO加盟を表明した。またアメリカのバイデン大統領が日本と韓国を訪問する。いずれもロシアをまた刺激する内容であり,ここに北朝鮮も加わってくる。ウクライナ侵攻で軍事力にかなりのダメージを受けたとされるロシアにとって,フィンランドとの国境1300kmとウクライナとの国境を同時に守ることは物理的に困難が予想される。

 マリウポリの製鉄所の最後の攻撃で,殺傷能力の高いナパーム弾や焼夷弾を使ったとされる。さらに燃料気化爆弾が使われた可能性もあるとされている。映像で見ても,クラスター爆弾のように広範囲に被害を及ぼす兵器が使われたことは間違いない。ただ,化学兵器生物兵器,そして核兵器が使われなかったことは,1つの救いだったと思う。今後も使用されないことを望むばかりだが,戦力が極端に落ちているロシアにとって最終手段を使わないという保証はどこにもない。

 一方で,ロシアとウクライナからの食糧輸出が止まっていることで,アフリカを中心に数千万人の飢餓が進行するという懸念が発表されている。すでに,地球温暖化人口爆発の影響で食糧危機が叫ばれていたことに追い打ちがかかる。本当に真面目に取り組まなければ,人類は滅亡してしまうと改めて危機感を覚えるのである。

 日本でも食糧安全保障の提言が自民党から出されたというが,具体策は何もない。何をどう対策して,自給率を上げようというのだろうか。「今から,それぞれの地元に戻って,田んぼを耕してきます」という宣言ならともかく,相変わらずの上から目線でしかなく,予算を作ってそれをぶん取って地元に持ってくるだけ,という動きにしか見えない。

 まず,ヨーロッパの軍事均衡について,冷静な議論の場を作ることが,次の一手と考える。プーチン大統領にも冷静な判断をしてもらうために,ウクライナは東部・南部を手放す代わりに黒海へのルートは確保することを交渉する。この冷静な議論のために,スウェーデンフィンランドNATO加盟をいったん保留にすることも重要だと考える。

 とにかく今は,地球の危機であることにもう一度みんなの意識を目覚めさせなければならない。すべての国がまず自前で食糧を作って自給自足するためにどうすればいいかを考えよう。輸出・輸入は,為替リスクで一気に平衡が崩れる危険性がある。各国が努力して,一種の鎖国状態にならなければ,経済が不安定のままであり,再び世界大恐慌を招く恐れもある。

 日本は,植物工場,陸上養殖,そして水素燃焼発電の技術をもっと伸ばすとともに,世界に貢献できるような方策を取るべきではないか。海外からの観光客によるインバウンド需要だけを充てにするようでは,もはや終わりだと筆者は考える。

 そのための政治的な駆け引きが,日本は弱い。リアルの世界でもメタバースの世界でも,どうも日本は絶滅危惧種のように見えてしまう。岸田さん,もっと英語で発信してください。そうすれば,世界は振り向いてくれます。それが,タフ・ニゴシエーションに入るための第一歩だと思います。

駅のアナウンスがうるさ過ぎないですか--大声を上げるのは新型コロナウイルス拡散に加担してませんか

通勤に日常がかなり戻ってきた。筆者も毎日通勤に戻している。改めて、駅のアナウンスの多さに気づくのだが、最も酷いと思われる例に出くわしている。

   電車が入線する際、一般的に録音の音声が流れる。あらかじめタイミングも合わせてあり、別の録音アナウンスとは被らないようにうまく調整されている。

   ところがここに、係員の地声アナウンスが重なる。録音アナウンスは女性の声が多いが、まるでそれをかき消すような大声である。

   さらに、ホームにいる係員もマイクで注意を呼び掛ける。おまけに、アルバイトの学生くんも、楽しそうに大声を上げる。好きな電鉄でのバイトで張り切っているからであ。

   これで言葉が4重にも5重にもなる。

   ホームで大きな声を出すというのは、「会話は控え目に」と呼び掛けていることと矛盾する。しかも、ならんで次の電車を待っている客の目の前で大声を出す。声を出せばマイクロ飛沫が発生するし、大声を出せばマスクの隙間からそのマイクロ飛沫が漏れる。まことに迷惑である。

   せっかく女性の優しく通りやすい声があるのにそれを遮ってまで地声のアナウンスをする必要はあるのだろうか。

   日本の都会は殺伐としている。騒音が多すぎる。半分以上の人は、その喧騒の中でスマホに集中し、Bluetooth イヤホンで耳を塞いでいるこれを乗り越えでもしようかというほどの大声のアナウンス--整理して考え直してほしい。何十年もまったく進化していない。

リュックの調整ヒモが長すぎる件--調整幅の2倍が必要という不合理さを認識してほしい

筆者は前期高齢者となったので、優先席を含めて座席に座らせていただいている。長い間の習慣で、立っているといかにも危なそうな人や各種優先マークを着けた人がいると、身体が自然に動いて声を掛けてしまう。まだまだ立ったままでも平気なのだが、何しろ吊革やポールに触れることを考えると、座ることを優先させていただいている。

   席に座ったはいいが、困るのがリュックの肩ヒモの調整端がブラブラと顔の前に垂れてきたり、荷棚に載せ下ろしの際にムチのように目の前を横切ったりすることである。

   すでに何度も書いているが、現代人は周囲への気遣いがまったくない。その典型が荷物の角が当たったり、荷物をギュウギュウ押しつけたりしているのに気づかないことだが、さらにこの肩ヒモの調整端にも気づかない。

   かつてのリュックサックの肩ヒモ調整は、ズボンのベルトや腕時計の革ベルトと同じく、穴の位置で調整していた。したがって、穴1個で2cm調整しても、調整端は2cm長くなるだけだった。20cmの調整幅があったとしても、調整端の長さは20cmしか突き出ない。しかも、しっかりとしたベルト素材なのでブラブラすることはなかった。

   ところが、現在のデイパックなどの調整ヒモは、細くて柔らかい素材がほとんどである。また、穴の位置で調整する方法ではなく、金具の摩擦で固定する方法である。

   この方法では、長さの調整端を金具で折り返して突き出すため、2cm調整すると調整端は4cm突き出すことになる。調整幅が20cmあれば、調整端はなんと40cmも突き出すことになるのである。

   筆者は以前からこの突き出しが気になって、結び込んでいた。一度固定してしまったら長さ調整が必要な場面などほとんどないからである。そういう対応わしている人に出会ったことがない。

   肩ヒモだけでなく、いろいろなところにこの調整端がブラブラしているのが、今どきのリュックである。困ったものだと思う。

   エベレストなどに無酸素登頂を成功させている登山家の話で、とにかく1gでも軽くしたいために無駄なポケットは外して縫い付けてしまったり、歯ブラシを半分にしたりする話があった。調整端もカットするという。

   SDGsプラスチックスプーンの柄に穴を明けて使用量を減らすなどの工夫もいいが、ちょっとだけ周囲のことを考えると出きることはまだまだあると思うのである。

周囲への気遣いがなくなった--スマホが原因と断定

スマホをいじっている人は、基本的に自己中心的になり、周囲への気遣いがなくなる。

   電車が到着するのを待っているとき、スマホを使うのは空き時間の利用なので問題はない。しかし、入線案内があれば、乗る準備をして周囲に「私も乗ります」とアピールすべきなのだが、微動だにせずにスマホ画面を覗きこんでいる。電車が停止すれば、前に進むなり、降車客のために通路を作るなり、動かなければ何も解決しないのだが、せいぜい、おもむろに動く程度で、とても周囲に同調して動いているとは見えない。そして乗り込むときもスマホ画面を覗きこんだままである。

   電車で席に座っても、隣の人のことを考えない。ヒジを突き出してスマホ操作をする。ゲームをされた場合は、コツコツと連続的にヒジが当たるので、落ち着かない。

   雨の日は、傘の先が当たっているのに、自分はスマホに熱中していて気づかない。大きな荷物を背中に背負おうが腹に背負おうが、そのカバンで周りの人をギュウギュウ押していることもお構いなしである。

   クルマが交差点で停まったとき、ウインカーで次の進路を対向車に合図するのは、交通ルールなのだが、信号が青に変わってからおもむろにウインカーを出すドライバーも非常に多い。相手に自分の進路を伝えることは、自分の安全とスムーズな移動のために重要なのだが、守らないドライバーが多すぎる。

   すべて、スマホのせい、特に動画のYoutubeとコミックのせいという具合にすると楽なので、今回はスマホのせいにすることにした。コンテンツがのめり込ませる理由でもある。無線(Bluetooth)のイヤホンがこれを冗長させていると言っていいだろう。

   便利だが、のめり込んではいけない、と思う。かつて、子供たちがテレビにのめり込んだのと同様、現在はスマホにのめり込んでしまう。時間を区切って使うという規制をかけなければ、絶対にこの習慣は直らない。

   

改めてクラスターを考察する--結局は「強制換気」がなかったことによると断言する

新型コロナウイルス禍の拡大拡散パターンを考えてみると、やはり狭い室内でのクラスターが最も確実に感染力が高い。現在の飲食店でのパーティションや換気、黙食などは理にかなっている。飲食店でとりあえずクラスターが発生したのは、集団による飲み会のみで、条件を満たしていないからである。筆者の見地では、もう少し強力な強制換気が必要だが、最低限は実行されているとしよう。

   病院や介護施設でのクラスターは、残念ながら、連続強制換気ができていなかったからである。空調はあっても換気が十分ではない。筆者宅での感染拡大パターンを見ても、強制換気に踏み切るまでのあっと言う間出来事だった。

   スポーツイベント会場では、どうしても応援で声が出る。間隔をあけるだけでは不十分である。もともと、風の影響を受けないように設計されたドーム競技場なので、換気は今一つである。観客席だけでも、強制換気の方法を新たに開発する必要がある。

   電車は結局、何の対策も打たなかった。席ごとにパーティションを付けるべき、という提案もなければ、強制換気の追加もされない。会話禁止もされない。不特定多数が30分以上も同じ空間を共有するなど、他ではあり得ない。しかも、濃厚接触ですら、特定できない。感染者が乗って感染拡大しても電鉄会社は責任を取らないし、原因の立証も難しく、感染罹感した人はまったくの泣き寝入りである。無責任も甚だしい。

   中国的なロックダウンは行き過ぎだとしても、日本人は改めて自己中だと感じる。

   今や、街中がクラスターになっている。とにかく自分の周りの空気を淀ませないことと、他人の空気を吸わないことを、いかに実現するかを、考えなければならない。感染拡大当初に実験したエアカーテンを、もう一度考えるタイミングかもしれない。