jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

自転車のライト考

自転車には法律で前照灯,尾灯,尾灯に代わる反射材を取り付けて,夜間は点灯することが決められている。都道府県によって明るさなどの基準がそれぞれ決められているようだ。詳細はここでは書かない。

 以前は「無灯火」で運転する人が多かった。ランプは小型の白色電球。発電機はダイナモ式で,タイヤの側面の摩擦で回転させて発電する仕組みだった。ダイナモの中には回転する磁石が入っており,回転させるのにかなり力が必要だった。ライトを点けるとペダルをこぐ抵抗が突然増える。坂道を上るときは特に厳しかった。逆に坂道を下るときは明るかったが,明るすぎて電球が切れることもよくあった。

 ランプが白色LEDになり,電池で点灯できるようになって,このダイナモ方式はほぼなくなった。ダイナモ方式でも,車軸の中心付近に設置することで,抵抗を減らす工夫もされたが,なんと言っても電池式,しかもスマホの充電と同じケーブルで充電できるモデルが当たり前になった。100円ショップでもボタン電池方式の小さなランプが売られるようになり,自転車のライトを付けない人そのものがほとんどいなくなった。

 一方,自転車の歩道走行が制限され,車道脇を走行する際にクルマから視認されることが必要になった。このために,尾灯を点滅させたり,明るさを明るくしたり,面積を広げたりしたモデルが当たり前になってきた。

 車道を走る際,この尾灯の点灯や点滅が本当に効果あるのか,クルマの運転者からはやや疑問がある。最終的に暗闇の中の「点」としか見えず,自転車という「面」を持った物体として認識しづらい。反射板の場合は,クルマの前照灯の光が当たることで反射し,しかもその周辺もクルマの前照灯の光が当たることで,面,あるいは自転車そのものが見える可能性が高い。反射板を併用するか,複数の尾灯の設置,尾灯周辺の面としての反射などがあった方がいいように思う。

 逆に,歩道を自転車が走る際は,前照灯も尾灯も必要以上にまぶしく感じる。特に前照灯がまぶしい。本来,前照灯は車両の10mぐらい先の道を照らして,そこにある人や障害物を認識できることが装着する目的だと考える。すると,光の方向は基本的には少し下向きになるはずなのだが,これが上向きになっている自転車が非常に多い。

 昔のダイナモ方式なら,止まれば明かりは消えるが,今のLED方式は停車中でも前照灯が点いている。信号待ちをしていても,反対側で待っている自転車の前照灯がまぶしい。

 筆者はとにかく昔から,自転車の前照灯の照らす方向の調整をいつもしていた。舗装された道とガタガタ道では,照らす距離を変えないと障害物を認識できないときがあったからだ。したがって,前照灯が上を向いていることなどありえないと思っている。

 都会を含めて街中が照明で明るくなってきたため,自分の自転車の前照灯を点けなくても問題なく走れるようになり,光の向きなどを気にしなくなっているのかもしれない。舗装もきれいになっているため,障害物を避けるという必要もないのかもしれない。ならば,対向してくる人やクルマのことを考えた光の方向の調整をするのが気遣いというものだと思うのだが,これができない人が増えてきていると考えている。特に,買い物の荷物を前カゴに入れたり,ハンドル側に子供を乗せて運転する女性の自転車が,前照灯の調整をしていないことが多い。いや正直言って,前照灯の向きを変えられることすら知らないのではないか,とも思えてくる。

 今の自転車はよくできている。材質がアルミやステンレスになり,錆びなくなった。潤滑油を差さなくても回転はスムーズである。筆者の時代は,自転車は宝物だった。乗るたびに汚れを拭き取り,油で拭いて錆びさせないように気を使っていた。チェーンの緩みやブレーキの緩みを調整したり,タイヤの空気の具合を見て,虫ゴムを交換したりした。今の自転車は,買ったときのまま何の調整もなく乗り続けているだけではないかと思う。

 泥除けのない自転車はともかく,ブレーキを外した自転車まで世の中にはあるという。人身事故をきっかけに,自転車保険の加入の義務付けも始まったが,車両の整備などについてのチェックも必要ではないかと思うようになっている。

 しかし,自転車はもっと自由であってほしいとも思う。それを叶えるには,乗る人の節度と常識が求められると思う。