jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「高齢者の方、遠慮なくエアコンを使って」といっても、お金が無いのだから使うという意識にはならない。

2022年は史上初めて6月中に猛暑日が記録された。連日、1000人単位の熱中症患者が病院に搬送される。搬送されても特効薬がある訳ではなく、塩分補給のための点滴と身体の冷却ぐらいしか手段がない。回復しなければ命を落とす。危険な症状である。

   特に問題は、自分で行動の判断ができない子供と、自分の行動に自信を持ち過ぎる老人である。

   特に老人は2つの意味で厄介である。まず、物理的に暑さに対する感覚が鈍くなっていること。それにも関わらず、汗もかかないからとか、昔はエアコンなどなかったのだから、といって、エアコンを積極的に使わないことである。

   もう1つ厄介なのが、節約を美徳とする昔の道徳心が行動を邪魔していることである。「この程度の暑さなど我慢できるのだから、エアコンなどモッタイナイ」という気持ちがあることである。

   今年は政府は何を勘違いしてか、電気の使用を節約すればポイントを付けるなどとバカげたアイディアを出している。我慢すること、節約することでポイントがもらえるとすれば、老人はまさにその行動の主体になる。すると、冷房を使わないで我慢して熱中症になる老人が増える。

   筆者は、まったく逆に、老人に一定の給付金は配布し、それは電気代にしか使えないようにするといいと考えた。他に使いようがないのなら、我慢せずにエアコンを使うことになると考えられる。

   しかし、結局、このクーポンを転売するヤツが出て来るのだろうなと考えると、空しい。当の老人自身も、転売して現金化したほうがありがたいと思うかもしれない。

   夏場は老人を一斉隔離して冷やす、ぐらいの強制的な手段しか、助ける手だてはないのかもしれないが,こちらが親切と思ってやっても,相手が「余計なお世話」と思う人が多いのが,日本人の悪いクセである。筆者も含めて,高齢者が「自分だけは大丈夫」「他人様にはご迷惑をかけたくない」という妙な自己中心意識が,日本をここまでダメな国にしたのではないかと,改めて感じてしまう。

 他人から何か指摘されたら,それはもう「自分の常識は世間の常識とはズレている」ということだと認識できる理性が必要だし,それ以前に自分自身で自覚する手段を持つべきだろう。そのためには,普段から会話と話し合いが必要で,孤立していてはどんどん自分の世界に入り込んでしまう。これは周囲も気をつけなければならないし,早い段階でコミュニケーションを取る方法を確立しておく必要がある。このコミュニケーションの糸が,認知症防止にもつながっていくはずである。

 ただ,「他人からの指摘」がお金に関わることだと,ついつい動かされて詐欺に引っかかることも起きやすい。「エアコン給付金詐欺」も起きてしまうかもしれない。「格安の冷房機器」とか「熱中症予防機器」とかの売り込み詐欺もあるかもしれない。

 自分の信念を持つことは大切だと思うが,他人の意見を聞き,解決方法を常に考え,正しい方向を探して,前に進むか,右に進むかの判断をする能力だけは磨いておきたい。「そこに留まる」という選択肢ばかり選んでいては,変化する社会から取り残されてしまう。

 筆者も含めて,一生懸命勉強し,一生懸命働いてきたのは,自分一人のためではなく,日本というこの国や世界をもっと良く,もっと豊かにするためだったと思うのである。筆者の時代は,日本も世界もちょうどそのような希望に満ちた時代だったように思う。正直,いわゆる60歳定年を無事に終えて年金生活で悠々自適の老後を過ごす,という感触があった。経済も進展し,その負債でもあった公害問題も技術と知恵で乗り切れるという確信もあり,がむしゃらに働いてきた。

 しかし,どこかで歯車が狂ったようだ。言い始めるとキリがないが,高齢者が安定した老後を過ごせなくなっていることが,いちばんシワ寄せを被った状況を示している。明日は我が身だよ,と若い人に言いたいところだが,正直,「自分たちの国のため」とか「自分たちのいる地球のため」とか考えている若者はほとんどいない。すべて「自分のため」「自分たちのため」という考えしかなく,現実逃避のバーチャル,アニメ,そしてメタバースの世界で自分のための自己主張と一攫千金を狙うか,リアルの世界でルールをモノともせずに犯罪を犯してまで自分を利する行動しか取らなくなっている。

 ボランティアは「無償の愛」という精神のはずだが,どこかに報酬を求め,逆に金儲けのネタに使われているような気がする。クラウドファンディングも,どう見ても怪しげな勧誘にしか見えないモノもある。

 高齢者対策も,言葉は巧みだがどこかカネのニオイを感じてしまう。豊かな老後も,結局はカネ次第,というのが日本の現状である。カネを払って高級老人ホームに入ることが幸せ,というのはいかにも寂しいし,その経営者の根性も気に入らない。そこで働く人も,残念ながら誇りを持って働けるだけの収入が得られず,さまざまな犯罪の温床にもなっている。

 本来なら,高齢者対策も含めてきちんとした政策を出すのが政治家の仕事のはずだが,ここも「自分のため」「自分たちの党のため」「自分の地元のため」だけの活動で止まっているし,やはり私腹を貯めるための行動しか取ろうとしていないかのように見える。「貯蓄より投資」と言い切ったところは,「国はもう皆さんの面倒は見ませんから,個人で頑張ってください」と言っていることである。高齢者も,自活するしかない。ならば,頭を使って勉強するしかないのかもしれない。

 自分を熱中症にならないようにするにはどうしたらいいか,自分をオレオレ詐欺に引っかからないようにするにはどうしたらいいか,考えることから始めなければならない。「もう,日本には昔のような風情のある穏やかな四季はなく,激烈な気象の国になった」と認識し,じっとガマンではなく,可能な行動パターンを考え,選択することが,老人にも求められる時代なのだと思う。倒れて迷惑をかける前に,倒れない方法を考える。また,他人に支えてもらえるようなコミュニケーションを構築しておく。そして,信頼できる人とディスカッションをし,まず自分から変わっていくことも視野に置いて,行動すべきだろう,と自覚しつつある現在である。