jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

信じるのは自分だけ--信号もクルマもプロもすべて疑ってかかってちょうどいいぐらい

歩行者用信号が青になって横断歩道をペットのイヌと一緒に渡ろうとしたら、90歳の運転するクルマが信号無視で突っ込み、イヌがはねられて死亡した、というニュースがあった。クルマのドライバーは赤信号で突っ込んだことも、イヌをはねたこともまったく覚えていないと証言。認知症テストも問題なかったという。

   超高齢者である。乗っていたクルマは、自動ブレーキ付きの最新型ヤリスである。イヌが小さくて、自動ブレーキが認識しなかったとドライバーは証言した。

    まさに“キチガイに刃物”である。キチガイという単語は、マスコミでは禁止用語だが、社会の中で他人に危害を与える存在に対して、適切な保護、つまり他人との接触をさせないようにすることは、本人にとっては人権侵害となるのだが、市民の安全のためには必要な措置ではないだろうか。

    この事故は、キチガイによる被害から逃れるためには自分の行動に責任を持たなければ、自分の身を守ることはできない教訓を示している。つまり青信号でも,「相手が停まることを信じてはいけない」ということである。接近してくる相手が自分と適切な距離を取ってすれちがうのか、それとも自分の方に近づいて来るのか、判断していつでも逃げる態勢を取っておく必要があるということである。

    このごろの事件では、犯罪を犯した側の責任能力が精神耗弱という理由で無罪にしようという弁護士の論法が横行している。そんな弁護をして報酬を得て楽しいのかなといつも思う。

    正しく行動し、あらゆる可能性に対応しようと気をつけて準備し、適切に対応していても、被害に巻き込まれる可能性はある。仕方がない、と思えたとしても、関係者に対する精神的なダメージは残る。この部分の数値化は難しいし、金額でどうなるものでもない。

    しかし、無罪だったら補償もゼロというのでは、あまりにも残酷すぎる。せめて、裁判費用はすべて加害者持ちぐらいの判定はあってもいいのではないだろうか。

    精神的苦痛を数値化し,その経年変化を追い,それに応じた補償をする,という形の保険商品を,保険料の支払いは警察,被保険者は被害者,として設定してはどうだろうか。保険料の支払いを抑えるためには,警察はもっと真剣に犯罪撲滅に取り組まなければならなくなるだろうし,その警察官の生命を守るための生命保険は,保険料の支払いを国が行うようにすれば,相当安心して仕事もできるようになるだろう。

 しかし逆に,「精神的苦痛」を詐称して保険金を取ろうという偽善の被害者も出てくるだろう。そこの犯罪性については,さらに厳しい処分を前提に設計すべきだろう。