jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「屋外マスク」の意味の取り違え--道を歩くときとジョギング時はマスク着用義務を

新型コロナウイルスのオミクロン株が感染力の強さを武器に次々にマイクロ変異を続けている。2022年のゴールデンウイークが終わり、予想どおり感染者数は増加に転じている。

   しかし、暑い季節に入ることもあって、医療専門家からもマスク着用について緩和策が提案されている。マスクを絶対に着用しろと言って、逆に熱中症が増えてはかなわないというのだろう。つまり、感染症専門医ではなく、一般医が緩和を言っているのである。自分達のところに、余計な患者が来ては困ると言わんばかりである。無責任である。

   特に「屋外では感染のリスクが低いからマスクなしでいい」ということに、正直言って根拠がない。しかも、「屋外」と言ってもさまざまな場面が考えられる。ひとくくりに「屋外」と言ってほしくない。

   たとえば、子供たちが校庭や公園で遊んでいるのは、屋外である。風は自由に吹き、拡散する。子供たちも同じ場所に留まることはなく、呼気は拡散する。

   一方、歩道では、前を歩いている人の呼気は、広がる前に次の人の顔面を直撃する。よほどの強風でも吹かなければ。拡散しない。タバコの煙が歩道に長い時間漂って臭うのと同じである。ここではマスクは必須である。

   当然ながら、公共交通機関の中は屋外ではない。しかし、会社は室内だがそこに行くまでは屋外だと勘違いする人がほとんどだと思う。

   よほどの日射しの中をずっと歩いてきたという場合を除いて、歩いているときには熱中症にはなりにくい。逆に室内で動かないときが、水分補給もいい加減になり、熱中症の危険がある。

   とにかく「歩き咳・くしゃみ」が最悪である。屋根がないからと言って、それを屋外と一把ひとからげに言えないと思うのである。

 もう1つは,ジョギング時である。通常より呼吸量が多く,しかも口を開けて呼吸するので,マイクロ飛沫が通常呼吸の数倍は撒き散らされる。他の人とすれ違わずに走る,ということは無理で,必ず一般の歩行者とすれ違い,大量のマイクロ飛沫を撒き散らす。相手はたまったものではないのだが,そもそもジョギングする人は,自己中心的な考えの人が多く,他人のことを慮ることはまずない。最低限のスポーツマスクをする人もいなくなって来ている。おまけに,運動で暑くなっているから,マスクをずらして走る。自分は健康になろうという意識かもしれないが,それで周りの無関係な他人に感染拡大のリスクを大きくしているのだから,まったく許しがたいのである。

 屋外マスクの緩和は結構である。しかし,道を歩くときと,ジョギング時はマスク着用を義務化する必要がある。ここをきちんと分けて説明してもらいたいのである。

 電車内での会話も,「控えめ」ではなく「禁止」にすべきであると書いた 電車内の会話を「禁止」に--オミクロン株対策をもう1つ追加提案 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/4/26。時と場所をきちんと区別して,行動にメリハリをつけることが必要である。しかし,けじめのない人が多すぎるのである。