jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

裁判記録廃棄に見る法曹者の非常識--誰1人疑問を持たないのか

世の中では「重大事件」として報道もされてきた事件の裁判所での記録が廃棄されるという報道が続いている。関西に住んでいた筆者にとっては他人事ではなかった酒鬼薔薇事件,筆者も一時は夢見た別荘生活の候補地も舞台となったオウム真理教事件など,日本にとっては恐怖であり,世界に対しては恥でもある事件が,裁判所という専門部署の専門家集団の中でゴミとして処分されていたことに,憤りを通り越して,あきらめの気持ちすら感じている。

 いよいよ12月になろうとしており,年末は事務所恒例の大掃除が近づいている。モノを捨てられない筆者の机の周りには,書類や書籍が山積みになっており,月に1度は整理はしてきたが,山の高さは高くなり,ファイルフォルダはパンパンになっている。そろそろ,数年前のプロジェクトの書類は処分しようかなと思ったりするのだが,何しろ近くに当時の担当者もいるものだから,捨てるに捨てられない,という状態が,ここ何年も続いて,結局蓄積してしまっている。

 前任者から引き継いだ資料も同様である。すでにまったく自分流に仕事のスタイルを変えており,その過去資料を読み返すことはまったく不要なのだが,それでも何となく机の引き出しの一番奥に置かれている。捨てるという判断は自分がすればいいのだが,捨てる,捨てないを分類するだけの時間がもったいない。まとめて捨てろ,という判断もできるが,なかなかそれもできない。

 ペーパーレスを目指したのはもう30年も前からで,筆者の自宅にもスキャナーが4台もある。プリンター複合機にもスキャナー機能がある。書類を自動的に両面を読み取ってくれる優れものも購入した。オフィスの業務用プリンター複合機はさらに高速読み取りができ,参考のために数百ページの書籍をスキャンしたこともある。1時間ほどもかかってPDFファイルを作成したが,閲覧したのは数回だった。元の書籍も積み上げたままである。

 何が問題かといって,やはり自分の情報整理の方法が確立していないことが続かない理由だろう。資料の保管も,適当に封筒に入れて表に内容と日付を書くだけであり,そういう封筒が何十もできても検索のしようがない。置き場所も決めていない。書類の保管期限を決める,という方法もあるが,保管期限が来たことがわかるような保管法をしていない。スキャンデータに関しては,ファイル名の付け方を決めていないので,ただスキャンした日付だけのPDFファイルが山のように保存ホルダの中に溜まっていく。いちいち開くこともなく,これもただ積み上がっていくだけである。

 メールも溜まり続けている。すでに,対面で仕事の交渉をすることがほとんどなくなり,名刺交換しても名刺フォルダで整理することもなく,机の中に積み上がっていくだけになっている。その後のやり取りはほぼ100%,メールが中心となり,そこに名刺情報が書かれているので,メールを検索すれば必要な情報が得られる,という気になっているからだろう。実際,メールの中で前の会社の関係者を検索して必要な情報が得られる場合も多い。それでも,前の会社で集めた名刺フォルダも,今のオフィスの机の中に入っている。これも一時期,名刺スキャナーで整理をした時期があったが,いまはただ場所を取っているだけである。

 裁判所の場合は,5年で関係資料を廃棄すると決めてあり,重要事件は別扱い,という整理方法が取られていたようである。重要事件と判断されなければ,機械的に5年を経過すれば廃棄される仕組みだという。実に合理的だが,肝心の「重要事件の定義」が曖昧だったようである。

 戦前戦中の「TOP SECRET」のアメリカの情報が見つかって,歴史の解釈が一転することもしばしば起きている。アメリカでは情報を砂漠の中の施設なども使って永久保存することが当たり前となっている。トランプ前大統領の行動記録もきちんと管理されており,こちらも一部を廃棄処分したことで裁判沙汰になっている。情報に対する考え方が日本とはまったく違うのである。

 一方,日本でも古代の資料が出てきたといってはニュースになり,専門家が驚いて会見する,という場面が見られるが,出てくる資料は「民家の物置」だったりする。資料の保管の意識レベルがまったく異なる。

 そして今回明らかになってきた裁判記録の廃棄問題でも,①実際に廃棄した人は何も感じなかったのか,あるいは命令・指示に絶対服従だったのか,②廃棄を指示した人は何も感じなかったのか,ただ指示するだけだったのか,③廃棄が日常業務として機械的に「5年」で中身も表書きも確認せずに捨てられているのか,などの疑問が残るとともに,「この資料は,廃棄対象かどうかもう一度検討しよう」と思った人が,裁判所関係者に1人もいなかったのか,という疑問が残る。

 まるで,オートメーションのベルトコンベアに乗ったモノのように,あるところまで来ると自動的に下に落ちて,不要なものとして廃棄処分されるようなシステムなのだろうか。

 筆者のオフィスも自宅も,確かに格納場所は限られている。すべての資料を保管する余裕は正直言ってない。しかし,「自動的に5年」ではなく,年末にまとめて検討し,他の資料と比較しなければ,重要度は判断できないのではないか。

 「断捨離」という言葉が流行り,整理の達人が家の資料の整理の方法を伝授してくれる。問題は,その方法を継続できるかどうかである。たしかに○○を使えば押入れの容量が1/3になります,というのは事実である。ただそれを毎年繰り返すことができるかどうかも考える必要がある。面倒だなと思った瞬間,翌年に同じ整理法は使えないだろう。コンサルタントも結局は1回だけの夢の話をするだけである。

 今回のAmazonブラックフライデーで4TBのNAS用ハードディスクを購入した。家族のスマホのデータを保存してもらう目的である。しかし,1人1TBあったとして,スマホの容量がすでに256GBという時代に,おそらく1年で満杯になるだろう。しかもHDDなので情報の安全が保証されているわけではない。これも実に悩ましいところである。クラウドでの有償での保管の方がまだ合理的なのかもしれないが,今度は情報拡散の危険性と,クラウド消滅の危険性もある。情報整理は難しい,というのが結論かもしれない。