jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

咳・くしゃみネズミ捕りをすべき電鉄会社--公共機関の利用に対して罰則と強制阻止力を

鉄道開通150周年のCMで、化粧品会社、税関、新聞社、そしてJRが連名で登場する。何となく脈絡がなく、不満な気持ちが残る。特に、新聞社は意味不明である。

   税関も意味不明なのだが、その仕事の現場の緊張感は伝わって来る。化粧品や新聞は,モノを介して人と関わる仕事である。鉄道は人と直接関わり,人命への責任がある。税関も人と直接関わるが,多くは犯罪との関わりである。常に「この人は犯罪者かもしれない」という疑いの目を持って仕事をしなければならない。大変な仕事である。

   税関をすり抜けて禁止品を持ち込もうとする人は、乗る前からすでに犯罪者である。それがバレないように演技で普通を装う。税関職員はこれを見抜かなければならない。麻薬や火薬類は探知犬や分析機で判定できるが、100%ではない。行動や仕草、話し方などで判定しなければならない。失敗が許されないとはいえ、見逃すこともあるだろう。厳しい仕事である。しかも,相手はほとんどが海外の人である。言葉の上でも負けるわけには行かない。

   同じ取り締まりでも、警察による交通違反、特にスピード違反の取り締まりであるネズミ取りは、ことが簡単である。レーダー探知機で速度を測定し、制限速度以上だと検出すれば、次のポイントで確保する。強権発動できるのである。抗議も懇願も通らない。

   スピード違反も、意図して違反を犯す場合と、うっかりしての速度超過があるのだが、取り締まりは情け無用である。どうしても急がないとならないこともないわけではない。しかし、ケガや臨月など、一刻を争う場合以外は、弁解の余地もなく、ほとんど人間性を否定したような取り扱いを受ける。

   筆者は、スピード違反は気をつけているというのも、スピードの出ないクルマばかり乗っているので、そもそも捕まるようなスピードを出すのは自滅行為にも思えるからである。これまで捕まったのは、指定場所一時不停止と、右折禁止の2回だけである。

   この2回のうち1回目は、免許を取って3ヵ月後、ほとんどクルマのいない埋め立て地での合流地点だった。徐行して入ったところを捕捉された。親を連れて,海に近いところを見に行ったところだった。免許初心者であることも,親孝行であることも一切関係なし。有無も言わさず違反切符を切られた。意図した暴走行為でもなく,停止こそしなかったが徐行もミラー確認もしていた。夕方に近い時間帯でもあり,あとで考えると当時の警察の検挙点数稼ぎであり,見逃しなど夢の話だった。

 そういう意味で,警察はルールを絶対に守る仕事なのだと思っているので,警官が次々と犯罪を起こしているのを見ると,もう絶望感でいっぱいになる。

 ネズミ捕りは,レーダーでクルマの速度を測定する警官と,違反車を停める警官が別であり,さらに説教するのも複数の警官が対応する。チームで仕事をするので,運転者1人ではグーの音も出ず,言い訳できるような雰囲気ではない。

 税関の場合は,ほぼ1対1で対応されている。疑いが出てからも,2人ぐらいである。いつ暴れ出すかもしれないし,いきなり逃げ出されることもあるだろう。非常に緊張感のある職場だと思う。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のために,鉄道などの公共交通機関で症状のある人を阻止することを最初の頃からずっと提案している。改札の手前で全員チェックし,症状のある人を排除することで,電車内での迷惑な咳・くしゃみを減らすことができる。密室で1m以内,しかも30分の連続した環境で,誰から感染を受けたかわからない状態は,避けるべきだと当初から考えていた。当初はマスクをする人もほとんどおらず,筆者は帽子を深く被って,ひたすら耐えるしかなかったのを思い出す。フェイスシールドまで着けて乗車していたほどである。窓開け,マスクが当たり前になったのは,感染拡大を始めて1年以上経ったころである。

 現在,マスク着用は引き続き行われているが,着用法はいい加減である。咳やくしゃみをする際に,手でマスクを押さえる人はほぼ見かけたことがない。冬場に入って,窓開けもいい加減になっている。

 この時期こそ,症状のある人を改札前でチェックして,電車に乗せない,という阻止をしてほしいのだが,電鉄会社にとってはお客様であり,乗車券も買っているので,阻止できない,というのが理由で,一切チェックされない。しかし,お金を払って乗っているほかのお客様を守る,という理由は,大義名分にはならないのだろうか。

 症状を持って電車通勤で出勤する人は,他の人にウイルスを感染させる可能性を持っているということは,未必の故意ではなく,確信犯だと筆者は考えるのである。

 症状のチェックは,いわばネズミ捕りである。そこでチェックされれば,一般の人であれば怒り始める。クルマのネズミ捕りは警察による官憲であり,違反として処理できるが,電車に乗る場合,鉄道の従業員は基本的に感染者・感染の疑いのある人を阻止する権限を持たないし,だいいち感染者が電車に乗ってはいけないという法律がないので,犯罪者として扱うわけにはいかない。

 ここで必要だったのがワクチンパスポートだが,結局ワクチンパスポートは一部のイベント以外,国内ではまったく運用されなかった。ワクチン接種のたびに最初は接種済みカードを持ち歩き,そのうちワクチンパスポート発行アプリに記録を入れているが,国内ではまったく使う場面がない。

 海外ではもうマスクなしで行動無制限になっているから,日本でもマスクなしでいいだろう,という意見をよく聞く。海外では少なくとも何らかの行動制限が行われ,それを守らなかった場合は強制阻止された経験を持つ。人々はどう行動すべきかを身をもって体験しているから,マスクなしでもどう行動すべきかを意識の中に持っている。しかし,日本では定期的なPCR検査も行われなかったし,飲食店でのワクチンパスポート提示も行われなかった。どんな行動をとっても,注意を受けることがなかった。8割の人は,自主的にマスクをし,窓開けにも従っているだけである。人から注意を受ければキレて事件になる。窓開けを積極的に行う人は見たことがない。これが日本人である。まったく情けない。

 第8波は収まるかもしれないが,インフルエンザや普通の風邪は引き続き感染の可能性がある。新型コロナウイルスの新しい変異亜種であるBQ.1には,現在の治療薬はほとんど効果がないというニュースも出ている。まだまだ気を抜けない状態だと思うのだが,ここでも平和ボケした日本人,無責任な評論家がいるのが日本である。やはり自己防衛するしかない。