jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

デジタルの「解答」は,「気づき」になっても「創作」ではない--安易な「公開」で後悔しないように

ChatGPTがAIの新たな利用の道を開いた。世界中の人々がこの新しい“おもちゃ”に飛びついた。無料登録が順番待ちになり,登録者も利用件数や時間の制限を受けるほどである。

 Microsoftgoogle百度などが次々とこのAIチャットボットを公開した。ChatGPTのリリースから1年も経たないうちに,これほど次々と各社がリリースできるとは驚きである。もともと各社が持っていた検索システムに,ビッグデータのテキスト・データベースをリンクし,そしてアウトプットとして「文章を生成する」ようにプログラムすることで,いわばツギハギでリリースした形だろう。アウトプットの精度が,この「文章生成プログラム」のチューニングにかかっていると言ってもいいだろう。それぞれのチューニングをさらに向上させることで,より「完璧な解答」が出せるようになるだろう。

 しかし,この「解答」をただ鵜呑みにして「楽して」仕事に活用しようという人がどんどん出てきているようである。世の中には,きちんとした文章が書けない人が多いからなのだろうか。

 筆者も,文章をひねり出すのに頭を使う。アウトプットするプロセスは,AIも同じだろうし,そのスピードは恐らく1万倍も速いだろう。ベースとなる知識も1万倍,いや100万倍も多いだろう。筆者の書く文章は,筆者の頭の中の知識と言葉だけで書かれている。これに比べれば,はるかに面白い文章がAIのアウトプットから出てくる可能性はある。

 しかし,ただそれだけのことである。その文章は,筆者の文章でもないし,ましてや個性を売り物とする作家の文章でもない。AIチャットボットに個性はない。

 問題は,たとえば特定の作家の文章だけをベースにすれば,その作家の文体に似せた別の作品を創出することがおそらく可能なことである。そういう使い方ができてしまうのが,今回のAIチャットボットの持つ可能性であり,危険性である。イーロン・マスク氏が,これ以上のAIチャットボットの開発をやめるようにコメントしたのは,逆に驚きである。彼の頭で考えるよりも,物事が先に進んでしまったということなのかもしれない。

 すでにAIを利用したという画像処理,音声処理によって,フェイク写真,フェイク動画,フェイク音声が世の中に流布している。フェイク画像・フェイク音声を作るAIなんて,もはや人新世(アントロポシーン)の終わり--AI新世の到来か - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/3/19。アートにもAIフェイク作品が出てきた。AIチャットボットによってAIフェイク小説が出てくるのも時間の問題だろう。筆者のブログもすでに1700を超えている。しかし,せいぜい1日に2本のペースでしか書けない。これらの文章をベースにすれば,おそらく同じような文章が量産できるだろう。キーワードを入れて,「○○について1000文字で文章を書いて」と入れれば,数秒でアウトプットされるはずである。

 AIチャットボットのアウトプットは,デジタルの「解答」である。世の中のすべてのナレッジがベースになっており,正解に極めて近い,あるいは正解かもしれない。しかし,「解答」のあるものしか答えは出せない。

 その解答のバリエーションは,実は何百種類もあるかもしれないが,AIチャットボットは勝手に1個とか3個とか10個に答えを絞って提示する。逆に1個の答えを出されると,それが「正解」だと思い込まされてしまう危険がある。著名な作家や評論家のひとことコメントが「正解」に聞こえてしまうのと同じである。

 これを正解と信じ込んでしまえば,それはまるで宗教である。実際,何でも答えてくれるだろうから,言うなりになってしまう可能性はある。

 この機能を使って,論文を書いたり,投資をしたり,犯罪をしたり,という間違った使い方がすでに実際に行われている。人間は,どうしてこうも節操がないのだろうか,と思ってしまう。

 人間は,新しいモノを「創作」することに価値がある。文章も,アートももちろんそうだし,研究にいたっては世の中の情報を集めても新しい知見にはならない。そんなことは,考えれば分かるはずなのだが,安易に使って結果に感心して,それを信じてしまう,さらにAIチャットボットを使うことに抵抗感がなくなり,さらにこれを使うことが当たり前になってくると,もはや自分でブレーキを踏むことができなくなるほど,理性を失ってしまっている。

 AIによる出力は,考えたこともない答えを出してくるだろう。「おっ,すごいな」と思うだろう。それは「気づき」である。「なるほど,こういう答えもあるんだな」と気づいた上で,「自分ならこう考えるけどな」と自分なりの答えを出し,さらにその上の答えを自分で出すのが「創作」である。

 AIチャットボットは,ゲームと同じで,その結果に対して「没入感」があるし,「満足感」を覚える。そしてこれに頼るようになり,「依存性」が高くなり,「中毒」になって理性を失う。宗教の信心パターンとも同じである。ただ,金銭的,あるいは地位的な利益が得られる可能性を持っており,あるいはすでに儲けてしまっている先例もあるだろう。その先例に続こうと我も我もと登録しようとしているとしか見えない。実に浅ましくみえる。そこで一度立ち止まる理性と勇気が欲しいところだが,世の中すでにそういう孤高の心を持たない人がたくさんいるようである。

 デジタルにフェイクはつきものである。そんなフェイクに時間を使うな。リアルなアウトプットを生み出そう。モノづくり,人づくり,衣食住づくりに,もっと誇りを持とうではないか。安易に「自分の作品だ」として公開すると,あとで後悔することになるだろう。