jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

私はクリーンに生きたい

筆者は聖人ではないが,ほどほどの理性を持っていると思っている。ときにはその正義感が原因で人と意見が対立したりするが,妥協をする術も持っていないわけではない。

 それでも,正直過ぎて損な生き方をしてきているな,と思うことも少なくない。まぁ,人を騙すよりは騙される方が楽,という感じで生きてきた。とりあえず,生命の危機にまで直面したことはなかったと言っていいだろう。

 今月,前期高齢者に足を踏み入れ,公的年金の受給も手続きをした。現時点では人生を賭けた仕事をしているわけでもなく,地位もなく,収入源も限定的である。とりあえず健康であることと,とりあえず家族に大きな問題を抱えていないことが,幸せに感じて毎日を過ごしている。平均寿命からするとあと15年。ただまぁキリのいい3四半世紀の75歳までだとあと10年ということになる。子供たちがそれぞれ独立し,問題を起こすほどの財産もなく,借金もない状態にして,クリーンな状態であちらの世界に行くための準備をそろそろしなければならないのだろう。

 世の中への貢献は残念ながら非常に限定的だったが,世の中を阻害する行動は,ほぼゼロだと思っている。犯罪はもちろん,人に恨まれることもないと思っている。カネで動かされることもなく,地位のために忖度することもなかった。お陰で,おカネの価値も力も知らないし,人をカネで雇って動かすこともできない。

 そういう意味では,1980年以降のワープロやパソコンが筆者の手足となり,頭となって,仕事を助けてきてくれた。しかし,現在のSNSやゲーム,映像配信,そしてアフィリエートなどによって収入が得られるといったITの世界は,筆者の頭の延長線にはなく,はるか彼方の世界のできごとである。

 アントロポシーン(人新世)という言葉がある。ヒトが地球を支配し,動かした時代ということで,たとえば18世紀の産業革命や,20世紀の原子力開発が,その最初だとも言われている。筆者にとっては,「パーソナル・プログラミング」という第2の知性が生まれた20世紀後半が新しい時代であり,社会人になるのと同時にうまく波に乗れたと思っている。しかし,21世紀にはいってのインターネットを基準としたITやAIの世紀は,もはや筆者にとっては「次の時代」になっている。プログラミング時代が20年,そして現在のクラウド時代がすでに20年経過したことになる。乗り遅れたな,と感じる半面,この新しい時代には「乗りたくない」という気持ちが強い。

 というのも,現在のクラウド時代は,「無法地帯」だからである。

 たとえば,一生懸命作った製品をネット販売したとする。すると,その製品を買った人が勝手に値段を釣り上げて「新品」として販売することができる。モノを作らずしてネット上で転売するだけで,差額を利益として得られる,いわゆる「せどり瀬取り)」である。中古品の転売はリサイクル社会の中で機能しているが,新品のせどりはいかがなものだろうか。

 まあ,侍の時代の「武士は食わねど高楊枝」,あるいは仙人が「霞(かすみ)を食べて生きる」とまでは行かなくても,自分に正直に,きちんと働いてその代償としての収入を得る,という生き方を最後までできれば続けたいところである。

 といっても,十分な収入が得られる仕事をする能力も社会環境もなくなりつつある。財産もなく,年金も毎年のように減額される。介護施設の格差問題や,人権侵害,COVID-19の不安,地球温暖化による「自然災害+人災(インフラの放置による崩壊)」,良識ある大国の撤退などの社会不安が解消されず,悠々自適の老後,というのはどうやら送れそうにない。このブログも,PC世代人のクラウド世代へのささやかな挑戦と抵抗なのかもしれない。筆者の良識が社会に響かないのは,主張が時代遅れなのだろうか。