jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

革靴は「軍隊」の名残り--現代には不向きでロコモーティブに悪影響(個人的意見)

オフィスカジュアルが定着し、革靴もスニーカーに換えて20年になる。

    革靴が脚に負担になるという個人的な意見は、これまでたびたび書いてきた(革靴は人生を狂わすという仮説--これは身体に対する拷問だ - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/9/23)。今日も、通勤途上にあるが、スニーカーで快適である。

    なぜ革靴が生まれたのかを考えてみたのだが、これは「荒れ地を走破」するのが目的だったと考えた。

    その最大のニーズは、開拓であり、侵略であり、軍隊だったと考えたのである。

    新天地も戦場も、基本的には荒れ地であり、そこをできるだけ速く遠くまで進む必要がある。タイヤに使われるゴムがなかった段階で、最も丈夫で柔軟性のある素材が皮である。重ねれば堅くなり、防水性も持っている。人類の足を保護するのに,これほど便利な素材はない。

 軍人にとって,荒れ地を走破するのに革靴は必須だった。そして,ビジネスマンの背広は,軍隊の軍服であり,したがって靴は革靴なのである。しかし,オフィス街の舗装された道路やオフィスでは,革靴で「荒れ地の走破」の必要はない。単なる格好づけではないだろうか。政治家,企業の管理職,そして刑事がみんな背広で革靴なのは,軍人のように相手を威嚇するためのツールだったのではないか。革靴をコツコツと音を立てて歩くのは,相手に対する威嚇行動である。

 しかし,革靴によって拘束された足は,柔軟性を失い,そして硬い舗装道路で足を痛めている。まるで「纏足(てんそく)」である。それが,人間のロコモーティブに悪影響を与えていると思うのである。

 筆者は今,スニーカーを履くことによって,快適に街を歩いている。地面を思いっきり踏みしめ,足首に力を入れてひねりストレッチができる。これは革靴ではできない。傷がついてしまう。

 とにかく,革靴は悪である,と筆者は個人的に考える。1足ウン十万円といった手作り革靴を偉そうに履いている人も,それを作る人も,信頼が置けないのである。