jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

造り物で浮かれるのはしばらくやめてほしい--リアルな現実を直視しなければ,人類は滅びる

筆者は,現代小説は読まないし,映画も映像技術の革新を確認する以外は観ない。まして,マンガ,アニメ,ドラマ,特に歴史モノや戦争モノは観ない。スポーツも個人の能力を競う競技は観るが,団体競技は観ない。演劇,芝居,話芸なども観ない。ゲームもしない。マネーゲームもしない。

 基準となっているのは,造り物か真実か,というところである。

 芸術や文化は,国民の感性の幅を広げるためには,教育と並んで重要だと思っている。運動やスポーツも,自分の能力に挑戦し伸ばして行こうという心づもりは,教育的な価値もある。国民の生活が安定し,気持ちや時間の余裕のできた戦後の高度成長期には,心の豊かさを育てるという意味でも重要な役割を持ったと思う。

 一方で,経済の成長を支え,国の信用を高めるために身を捧げた「ビジネス戦士」には,100の時間の中で1桁の下半分ぐらいの時間しか,こうした文化に触れる時間的な余裕はなかった。しかしその短時間の楽しみが翌日の仕事へのパワーの源になって頑張れた。1日の1/3の時間を仕事に捧げ,その前後の3時間を通勤に使い,残りの時間を家族を守るために使ってきた。週6日働き,休みは日曜日だけ,という生活が当たり前だった。

 21世紀に入り,経済が破綻し,大手企業が破綻し,会社に忠誠を尽くすという環境がなくなった。週5日制が当たり前になり,正規雇用よりも非正規雇用が当たり前になり,副業すら奨励されるようになった。会社の一員であることよりも,資格で仕事を受託した働き方が当たり前のようになった。会社に時間を売って給料をもらうという働き方はなくなり,結果だけで判断されるので,仕事をするというポーズはしなくなった。遊んでいるように見えても,スマホをいじっていようとも,結果を出せば文句は言わせないという態度が普通になった。

 100の時間のうち,仕事に使うのは30ぐらい。あとは自分の好きなように楽しむ。その需要に応えるのが,小説やアニメ,ゲームなどの造り物のエンタテインメント産業である。かつては,書店とテレビしかなかったメディアも,インターネットによって動画サイト,アーカイブサイト,そして各種アプリと広がった。

 そのバーチャルな世界をリアルでも楽しませるために,コミケコミックマーケット)などのイベントが行われ,コスプレ(コスチュームプレイ)文化は今や世界に発信されている。世界中の閉塞感の中で,エンタメがその隙間を埋めるどころか,人々の生活そのものに組み込まれてしまったようにさえ思える。

 頭を鍛える教育や身体を鍛える運動は,繰り返すことで自分の血となり肉となる。しかし,エンタメは心に刺激を与えて発散させる以外に蓄積するものは何もない。しかも,求める刺激の強さを求めてエスカレートし,習慣性も持っているため,心を消費するとともに,金銭も消費してしまう。感覚がマヒしてしまい,金銭感覚も常識も失われ,ついには犯罪行為までつながってしまう。現実の世界と空想の世界の区別がつかなくなってしまうからである。

 テレビ番組は,9割が造り物になってしまった。リアルな現実を伝えるニュースや天気予報すら,視聴者の好奇心を煽るテーマしか発信されない。

 映画の世界も,もはや完全な造り物になってしまった。ドラマも,コミックが原作になり,アニメが実写版になるというシナリオが多くなった。表舞台としてのテレビだけでなく,ネットドラマという裏チャンネルで若手の人気アーティストが使われたりする。

 歴史モノも,かつては「大河ドラマ」という歴史考証を経た基準となる表現があったが,今や人気俳優のキャラ出しで話を展開させているだけのように思える。過剰な演出,視聴者に媚びた演出などが散見される。

 小説に至っては,「小説家」というプロ意識のないタレント作家ばかり登場する。現実離れした,あるいは単に現実に沿ったストーリーの作品が溢れる。読者の仕事の活力のための刺激ではなく,もはや国民の怠惰を助長すらする存在になっている。

 経済が破綻し,地球環境も破綻し,国同士の関係も野蛮な暴力関係に陥っている現在,自然災害も巨大化し,恵みの雨が街を破壊し,国民の命や経済を守るはずのインフラが老朽化して大災害の引き金となっている。1つの災害や事件によって,10年以上もその影響が残り,人々の生活も精神もボロボロになってしまう。

 そんな傷ついた心に侵入し,人心を狂わせるのが,現在の虚構の作品である。現実の世界と虚構の世界の区別がつかなくなった者が,まるでゲームの世界のように何の疑問も感じずにリアルな犯行に及んでしまう。その得られた報酬の快感が,さらに心を狂わせてしまう。反省の気持ちもなく,むしろ犯罪行為が当たり前だったような錯覚に陥ってしまう。もはや狂人である。

 しかし,その虚構の世界のような犯罪を判定する基準が現実にはなく,したがって屁理屈を使って無罪を勝ち取る弁護士がまたカネで動くことになる。

 エンタテインメントは,人生の100の時間の中の10でいいのではないか。ただ時間とカネを消費するだけで,何の建設的な結果を生まないエンタメに,人類が時間を使い過ぎることで,経済は破綻し,環境は悪化し,国際関係も悪化し,気がついたときには人類の居場所がなくなっているのではないか。

 エネルギー問題,食料問題,人口問題など,エンタメはすべて何の解決にもならない。マネーゲームも,失敗者からの搾取に過ぎない。

 権力者は結局はカネで物事を動かそうとし,実際に動かしている。現実の世界に加えて,裏の世界にも通じていることで世の中を牛耳っている。まともな人間が政治家になれない世の中である。

 小説や映画,アニメ,そしてスポーツ,歌手など,エンタメの世界は,気持ちの余裕のある人の息抜き程度に存在するのが適切なバランスだと思う。現在のような気持ちの余裕のない段階で,なんでもかんでもエンタメづくしでは,本当に経済の基礎体力が破綻し,気がついたら地球環境も元に戻す力もなくなって,大災害に泣くことになるように思う。

 かつては,人の心の支えになったのは宗教などの信教だった。自らの命や財産,幸せなどを顧みず,民衆のために命を捧げることで民衆を支えてきた。20世紀は科学技術による真実が,人々の生活を支え,経済を発展させ,病気を克服してきた。

 21世紀,その心の拠り所がエンタメでいいはずがない。何か成果を出せるのか,もう一度考え直してほしい。すでに宗教界は腐り切っている。各国のリーダーの中で信頼できる人は残念ながら1人もいない。リアルな世界だけでなく,多くの人物がバーチャル,つまりメタバースの世界で金儲けをし,その無法地帯で犯罪を犯していても野放しの状態にある。日本の言うことは,もはやだれも聞かなくなっている。世界が日本を褒め称えている,というのは勘違いであり,単におだてて搾取しているだけである。それにいい気になっている日本のリーダーが情けない。

 平和主義を通すなら,防衛にかける予算をすべて,エネルギー開発と食料開発に割り当て,世界に供給できる体制に切り替えなければならない。それができなければ,明日の日本はないし,世界も滅亡すると筆者は考える。