jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ヒトに理性がなくなったのか--動物殺傷,仏像損壊,絶滅危惧種盗難,そして詐欺,虐待,殺人・・・

2000年の20世紀が終わり,希望の21世紀になるはずが,世の中は急速におかしな方向に向ってしまっている。地球温暖化による気候変動,自然災害の激甚化,そして食糧難。さらに,2020年から世界を恐怖に陥れた新型コロナウイルス。世界が一致団結して,これらの新しい災害に立ち向かって行こう,という機運が高まり,「ようやく人類は目覚めた」と思った矢先に,2022年2月にロシアがウクライナに侵攻した戦争が1年以上経過するのにいまだに終わる気配がないどころか,核戦争の拡大の危険性まで高めてしまっている。

 そのような状況の中で,日本では実にバカげた事件ばかり起こっている。動物,特にネコやハトなどを殺傷してバラバラにする事件や,仏像を盗んだり,絶滅危惧種の植物を盗難したり毀損したり。そして闇バイトで若者に指示して詐欺や強盗を働いたり,さらに子供の虐待も日常茶飯事に報道される。

 一方で,多様性が重要とばかり,性的マイノリティーのLGBTQの人々の権利を尊重する動きが盛んである。男女差別の問題すら解決していない日本で,LGBTQまで対応を拡大することは,ほとんど無理だし,対応が先行する先進各国でも,必ずしも心理的に受け入れられてはいないように思われる。特にアメリカでの無差別に近い銃乱射事件の背景には,人種差別問題を含めて多様性に伴うストレスが原因なのではないかと思われるのである。

 この「多様性を認める」流れは,自由主義国家で進んでいる。このせいばかりではないと思われるが,国の内部でのゴタゴタが多いのが自由主義国家である。逆に権威主義国家では,リーダーの思想が絶対であり,多様性を認めない。したがって,長いモノに巻かれろ的に1つの思想が形成されていく。それに異論を唱えれば,それは即,拘束となり,抹殺されて,思想が守られていく。権威に基づく力による支配によって,一定の秩序が生まれ,さらにその従順の見返りとしての報酬や地位が与えられる。かつてはそこまでで,支配者側と被支配者側の間に大きな格差があったが,現在はインターネットを通じたバーチャルな世界のおかげで,他国への働きかけによって個人でいくらでも収益を上げられる構造になっている。

 結局日本は,かつての権威主義国家から自由主義国家に鞍替えする中で,天皇制を骨抜きにし,自ら身を守るという当たり前の方法すら取らずに「戦争反対,平和賛成」とスローガンを発するだけの国になってしまった。せっかく,世界第2位の経済大国になったにも関わらず,思想に負け,権力に負け,そしてカネの力に負けて知的財産も人材もすべて放出した「裸の王様」となってしまった。そしていまだに「戦争反対,平和賛成」と口で唱え,隣国からの脅しにも「厳重抗議」と口で唱えるだけ。外貨を稼げる製造業が壊滅的になっているにもかかわらず,国民が「差別をやめろ」と言えば法律を作り,「子供を産めない」と言えば手当をバラまき,一方で,平和三原則をいいように解釈を変えて武器の輸出や攻撃能力の是認までしてしまう。まったく行き当たりばったりとはこのことであり,何の思想もない。

 自然を愛で,春夏秋冬の季節の移ろいを感じて,優美な文化を生み出してきた日本が,まさに地球温暖化による気候変動の猛威に晒され,のんびり詩歌など詠んでいる場合ではない,とでもいうかのように,実に非理性的な行動に走っているように思える。おそらく,これに拍車をかけているのが,ゲームやアニメなどの仮想空間への逃げ込みである。かつてはエンタテインメントだった世界が,収入源となってしまい,e-sportsだのYoutubeだの,際限のない自由な世界が展開している。もはや,だれもブレーキをかけることができない。しかもリアル世界での生活をするためのマネーまで,バーチャルな世界で取引され,貨幣が無限大に生み出され,リアルな世界を搾取するまでになっている。

 正直,ゲームもアニメもYoutubeも,非常に偏った世界観をそれぞれ持っている。その世界観がまともだったころ,たとえばインベーダーゲームでは,宇宙から攻めてくるインベーダーをやっつける正義の側にユーザーがいた。しかし,いまや,ユーザーは世界の支配者であり,だれであろうと相手をやっつけることが目的になっている。これはリアルな世界では戦争と同じである。さらに,勧善懲悪,つまりいい人は勝ち,悪い人は負ける,という構図には必ずしもなっていない。

 こういう世界観を面白いと感じる人が増えたのだろう。あるいは,これまで抑圧されてきたタガが外れて,ヒトの本性がむき出しになっているのかもしれない。

 弱い者いじめをしない,動物たちをかわいがる,花には水をあげる,こういう優しい理性が,今のヒト(人類)からなくなってしまったかのようである。

 かつては「武士は食わねど高楊枝」と,貧乏でも自分の誇りは捨てないのがヒトの理性だった。今は,相手のことや周囲のことを考えて,他人の迷惑にならないように生きる,などという人はほとんど見かけない。ヒトとしての理性を捨ててしまったように見える。IQが高いからと言っても,人を惑わすような仕事をしていては,ヒトとしての理性はないと言わざるをえない。

 ルール,エチケットといった他人との関わり合いの中から理性によって生まれた約束事が,ことごとく守られないし,認識もされない。ヒトに拠りどころがなくなり,何も信じられなくなっているからだろう。かつての天皇制,戦後の経済成長という強いリーダーシップがなくなり,天皇制もほぼ無力化,経済は破綻となり,新興宗教への傾倒,詐欺や万引きなどの犯罪へののめり込みが起きているのだと考える。

 もう,頭を使う仕事はAIに任せて,もっと汗水たらして手を動かしてモノを作るという仕事に価値と仕事の喜びを見いだすべきだろう。本当にAIが代替してしまう。「政府の答弁作成にChatGPTを使えば効率アップになる」と西村経済再生大臣が言ってしまった。つまり,官僚も要らないし,大臣も要らないということになるだろう。

 戦争をしている当事者は,他人の意見を聞く耳を持たない。第三者としてAIに最適な答えを出してもらい,ロシア,ウクライナアメリカ,中国,北朝鮮,そして日本が,それに従う,というところまでAIがくれば,それはもうヒトの理性を超えた,つまりシンギュラリティーを越えたということになる。そんな時代まであと4年はかからないのではないか。

 働く場所がない,働いても働きたい仕事ではない,となれば,特に社員数が必要な大手の企業は立ち行かなくなる。みんな小さい企業になれば,それは戦前の市場である。世界を視野に置いた創造的な,つまり実際に世界の人や地球に役に立つモノを作るには,やはり組織の規模は必要である。しかし,自由主義経済の下でお互いに切磋琢磨して競争していいモノを作っていく社会がいいか,権威主義の指導と規制と制限の中で,権威拡大のため,つまり世界征服のための仕事をするのが正しいかどうか,もう一度考えてみてほしい。

 結局は,経済的な貧困がすべての不都合の元凶にある。ノブレス・オブリージュnoblesse oblige)という言葉があるように,成功した人は謙虚に周りを見て手を差し延べるのが,理性のあるヒトのすることである。得られた権威を傘に着て,さらに欲を拡大しようとするのは,“格好悪い”“恥ずかしい”と認識してほしいものである。