jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「団塊の世代」の次の1950年代世代が実は一番ハッピーだったかも知れないが,無責任世代でもあったという分析

「◯◯世代」という言い方が気になったので,まとめてみることにした。モノの資料によると,下記のような分け方がある。

 団塊世代:1947~49年生まれ
 新人類世代:1960年代生まれ
 バブル世代:1965~1969年生まれ
 団塊ジュニア世代:1971~72年生まれ
 就職氷河期世代:1971~84年生まれ
 ミレニアル世代:1980~90年代前半生まれ
 ゆとり世代:1987~2004年生まれ
 Z世代:1995~2010年生まれ

この分け方で言うと,筆者は「◯◯世代」が当てはまらない1950年代ということになる。

 団塊の世代は,第二次世界大戦後のベビーブームで生まれた人たちである。年間出生数が260万人を超え,戦後経済の高度成長期の恩恵を受けて,電化製品やクルマといった先端文化に触れることができた一方で,大学入試戦争,就職氷河期,団地族,高齢化社会の引き金にもなっている。企業戦士,ジャパニーズビジネスマン,ジャパンアズナンバーワンなどを牽引してきた。日本経済の発展に粉骨砕身尽くして来た世代であり,それに伴う公害や環境破壊なども引き起こしてきた世代と言えるだろう。

 世界で悪役だった日本が自由社会の一員に加わり,世界第2位の経済大国に押し上げた世代である。波はあったが最もエキサイティングな時期を生きてきた世代だと言えるだろう。

 1960年代は「新人類世代」だという。経済成長のおかげで教育にも仕事にも幅が広がり,組織に縛られない自由な生き方を謳歌できた時代なのだろう。筆者の後輩世代に当たり,確かに何を考えているのか分からない世代だったようにも思う。

 その後の「バブル世代」以降は,筆者にはもはや理解不能である。しかし,このバブルが弾けて日本の成長が止まってしまってからは,日本自身が目標も方向性も失ってしまったと感じる。この「◯◯世代」という言い方も,結局は何かの定義づけをすることで販売戦略としようとする企業側の論理のように思える。しかし,もはや日本という市場は縮小の一途を辿っており,このような呼び方をすることでかえって自分たちの首を締めるのではないかと危惧する。

 団塊の世代の次の“無名の世代”にあたる筆者は,たぶん一番ハッピーな人生を過ごしてきたと思う。小学校に入ったころに東京オリンピックがあり,これを応援するために家にモノクロテレビが入った。次のメキシコオリンピックを機会にカラーテレビが家に来た。クルマもエアコンもなかったし,家の風呂は最初は薪を燃やしてお湯を温めていた。その後,ガス風呂に変わり,台所にガス瞬間湯沸かし器が入った。

 学校教育は,小中高と基本は公立校だった。私立学校に行くのは金持ちとか医者の子供だけだった。ガキ大将はいたが,陰湿なイジメはなかった。大学受験もある意味でのんびりしており,浪人して予備校で勉強して入る,ということが許された時代だった。1浪も2浪も,就職活動においてほとんど影響がなかったからである。今では,現役合格,4年で卒業,2年,3年ですでに就活開始など,大学生活を楽しむ余裕すらない。

 就職の枠も決して広くはなかったが,何しろ世界に冠たる大企業が揃っていた時代である。自動車会社,電機会社,コンピュータ会社など,いわゆる一流大学を卒業していれば大学の講座に就職枠の割り当てまであった。筆者も大手企業と最終面接までいくつも行ったが,最後に肌に合わないことに気づき,メディアの世界に飛び込んだ形である。当時,数十年の大学の歴史で,3人目の変わり者と言われたものである。

 しかし,モノづくり産業も20世紀の間は隆盛を極め,これに伴ってメディアへの広告収入も多大なるものがあった。そのモノづくりが21世紀に破綻し,金融業界も破綻し,メディア業界も破綻した。雑誌は次々に廃刊に追い込まれ,新聞も細々と生き残っている状態で,インターネットメディアの趨勢が凄まじい。その中で,書籍という紙のメディアでの可能性を追求しているのが,現在の筆者の仕事である。デジタルでは超えられない一面があるからである。必ずしも順風満帆ではないが,続けられることはありがたいと思っている。

 言い方は悪いが,真面目に勉強し,大学でも真面目に勉強して卒業すれば,大手企業の終身雇用というレールが敷かれていた時代である。筆者は何の疑問もなく,このレールを選んだ。大企業の歯車の1つとなって,日本を世界に冠たる国にのし上げるといった気概があった。大企業には,長期の経営ビジョンがあったからだ。

 しかし,産業が破綻し,経済が破綻した21世紀に,多くの人を抱えてコスト削減ができない大企業は破綻した。モノづくり産業ですら,正社員は4割で,あとの6割は非正規雇用。柔軟に人の数を操作することでコストカットはできるようになったが,もはやその会社に忠誠を尽くすといった古い考えはなくなった。これによって新しいアイディアもなくなり,品質向上の現場活動も,そして伝統的な職人芸もなくなった。あとは,投資力,機械自動化力を武器とする中国に惨敗という結果が訪れることになる。そして,いまさら3K(きつい,汚い,危険)な製造現場で汗水垂らして働く若者は日本にはいなくなった。YouTuberや東大クイズ王,e-sportなどのゲーマー,そして他人を食い物にする詐欺師や犯罪者集団が,日本の中心産業になりつつある。Z世代はこの辺りになるのだろうか。

 筆者も,環境問題にはそれなりに関わってきた。アメリカ留学中に,南極のオゾンホールが話題になり,学者を訪ねて取材したこともある。まさか,これほど危機的な状況になる前に人類は一致団結して問題解決に当たるだろうとたかを括っていたのだが,結局人類は愚かな選択しかしてきていないようである。そこには,キーワードでいう格差社会や,搾取社会,そして陣取り合戦と,まったく進化していない人類の姿を見ることになる。

 公害のない,戦争のない,格差のない,食糧もエネルギーも十分に全人類が享受できるような社会は,たしかに20世紀後半にはイメージできていた。日本の研究開発技術は,海洋汚染も大気汚染も克服してきた。クリーンエネルギーの利活用も世界に先駆けていた。そこでガラパゴスに陥り,世界に目を向けなかったところに誤算が生じたのだろう。

 筆者の生まれた“無名の世代”は,実は一番ハッピーな世代だったのかもしれない。ただ,戦後復興の惰性の上に乗っかり,ある意味でノホホンと生きてきた世代なのかもしれない。岸田文雄も1957年生まれ,安倍晋三も1954年生まれの2世議員である。一方で,河野太郎は1964年生まれ,その他,野党党首陣もほぼ新人類世代である。残念ながら,日本の政治がおかしくなったのは,無名の世代以降が中心となってからかもしれない。いわば惰性内閣と無策野党というわけである。

 今回のテーマを書き始めた時は,「1950年代生まれの無名の世代は超ハッピー世代」というイメージを描いていたのだが,実は「惰性による無責任世代」とも言えるのではないかと思っている。戦後の日本の屋台骨を支えてきたモノづくり産業を中心とした大企業という組織がなくなり,個人ベースのバラバラな仕事をいくら集めても,経済復興はありえないだろう。

 1つの提案だが,現在の消費電力の1/10のエアコンを徹底的に開発する,というのはどうだろうか。残念ながら地球沸騰時代は到来してしまった。平均気温はますます上がる。エアコンを使わないと人類は死滅してしまう。しかし,今の効率のエアコンでは,さらに温暖化を進めてしまう。ならば,快適な空間を作り出せるエアコンを1/10のエネルギー消費で運用できる技術開発が実現できれば,世界に貢献できるはずである。

 どうやら,今さらCO2を削減しても,地球沸騰化を止めることはできなくなってしまったと考えられる。ならば,とりあえず人類が快適に暮らす方法を考えなければならない。地下住宅,超高効率エアコンの開発は,喫緊のエンジニアリングだと思うのである。