jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

日本人の堕落は、無信教と洋間から始まった説--シツケ、マナーが戦後世代で無くなった

筆者は昭和の戦後生まれである。両親はその前の世代である。

   筆者の次の世代、つまり、戦後世代の親から生まれた子どもたちが今の中心世代なのだが、筆者から言わせると、とにかくマナーが悪い。

    戦前世代と戦後世代の親の違いを考えて見た。すると、表題に書いたように、信教と家の構造の違いが思いついた。

    戦前世代は、天皇陛下が神様である。そして多くの人は仏教なりキリスト教なりの信教を持っていた。先祖の墓を守り、葬式も自分の信教で執り行った。

    戦後の日本憲法によって、信教の自由が保証された。そこで新興宗教が続々と認知された。天皇陛下は象徴となり,神としての絶対権力の存在ではなくなった。戦後の混乱から高度経済成長期となり,日本人が信じる対象は「お金」に変わっていってしまった。エコノミック・アニマルと呼ばれ,公害問題も引き起こし,サラリーマンは戦士と呼ばれて残業もいとわず働いた。その分,給料も稼げたし,日本も発展した。

 しかしその経済成長の中で,日本人が失ったのが誠実さ,真面目さ,勤勉さである。そして,自分中心主義となって家庭が崩壊し,その結果,その子ども世代,つまり今の中心的な世代が躾(しつけ)をまったくされていない,自由奔放な考え方の人たちになってしまったと思うのである。

 その結果,年功序列が崩壊し,製造業などの勤勉を必要とする業種が崩壊し,そしてバブルが崩壊して金融市場も崩壊し,個人および家庭が崩壊した。特に,将来に夢を持てなくなった世代が,家庭を持たず,子どもも作らず,自分気ままに生活することで,少子化が進み,同時に高齢者が増えたことによって,健康保険制度と年金制度が崩壊しようとしている。さらに,教育現場でも「指導」ができない状況になっており,無法者の若者が増え,社会経済を支えるGNPを生み出す製造業に人が集まらず,エンタメの世界に進む高学歴な若者が増えるという異常現象が起きているように見える。

 かつて,天皇陛下が神であり,また仏教を中心とした既存の大型宗教の行事によって,生活のベースとなる常識は守られてきた。しかし,象徴天皇となり,新興宗教無宗教が普通になると,ごく個人的な教義が拠り所になってしまい,多くの人たちをミスリードすることになった。心の拠り所がなくなり,葬式や墓すら先祖の流儀に従わない家庭も増えてきた。

 アメリカでも,キリスト教を中心とした近隣の助け合い精神が崩壊しつつある。日本もあやしくなってきている。

 躾ができていないという意味で,もう1つ考えられたのが,和室から洋間へのシフトである。今,筆者もタイピングするのに椅子に座っているが,背筋が丸くなり,脚を投げ出した酷い格好をしている。しかし戦前は和室が中心であり,畳に座っていることが多かったことを考えると,正座しては背筋を伸ばさざるを得ないし,立ち居振る舞いにも気を使わなければならなかったのが,椅子生活ではまったくケジメがない。

 先生が生徒を,親が子どもを,そして社会全体が子どもたちを見守り育てるという環境がほとんどなくなっている。子どもたちは,何が常識なのか教わらないので,自分たちの状態が常識だと思ってしまうし,それをチェックするはずの大人が子どもたちの行動を全然理解できないほど,大人に信念がなくなっていると感じる。

 筆者は,咳・くしゃみマナーなどは幼稚園で習ったし,交通ルールは主に小学校で集団で学んだ。したがって,物事を判断するためのベースとなる知識は得ていると思っている。しかし,今の若者世代には,子どもに対する見方など,どうでもよくなっているのである。イジメ,不登校,そして麻薬など,筆者の世代にはまったく思いもつかないような現象が起きている。

 同じように,戦後始まった洋間と椅子による生活が,日本人を堕落させたのではないかと感じる。筆者も今,椅子に座って少し背もたれを倒した状態で文章を綴っているのだが,周りからみれば,随分といい加減な格好でパソコンに向かって座っている,という具合にしか捕らえられていないだろう。この格好はあまり格好良くない。しかし続けてしまうし,個室ならばドアを閉めてしまえるので,さらに自由に生活ができる。

 かつての畳の和室は,板間に比べると弾力があるが表面が傷つきやすい。傷がつけばササクレが出るので,自然と注意して行動していたような気がする。座ったり立ったりの動作も大きくなるため,動作はゆっくり取っていたような気がする。時には正座することもあり,なんとなくそれが躾になっていたように思う。

 家が洋室中心になり,個室を持つようになり,扉を閉めたり鍵をかけることができるようになったことで,自分の世界に没入し,親からの干渉もなくなり,あいさつもしなくなった。周囲への関心が低くなり,周囲に対する思いやりも減っていったのではないかと思える。

 ほかにも,ウォークマンとイヤホン,個室のテレビ,そして家庭用ゲーム機やスマホなどの便利な電器製品によって,自分の世界に没入してしまうことも,周囲に対する気遣いができなくなった理由の1つだと思うが,根本にある家庭での環境のあり方が,大きく影響したのではないかと思える。

 家庭で,親子が対話する時間をきちんと取れるような雰囲気を作ることが最も大事なのだが,共働き家庭で小さいころから保育園に預けられたりしている状況では,なかなか改善は難しいようにも思える。しかしそこは努力する必要があるだろう。