jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

歴史をオモチャにすると,今の時代も将来はオモチャにされる--歴史ドラマの品位が低下

筆者は歴史小説は読まないし,大河ドラマも視ない。高度成長期の日本であれば,エンタテインメントとして歴史モノを楽しむことはあっても構わないと思うが,経済成長が停まり,地球環境の危機,生命存続の危機,そして第三次世界大戦すら危ぶまれているこの21世紀に,ノホホンと歴史ドラマを作り続ける作家や脚本家,そしてメディアの神経が理解できない。

 しかもその大河ドラマですら,正しい時代考証に基づくストーリーではなく,歴史をオモチャにしたような脚色で構成され,それに合った出演者が配置される。映画俳優ではなくエンタメ業界人としてのバイアスを掛けて見てしまうので,そこに面白さを加えたつもりだろうが,歴史を侮辱しているようにしか筆者には思えない。

 かつて,テレビゲームで歴史モノを素材にして大成功した時期があった。戦国時代の群雄割拠を理解するのに役立ち,教育的価値もあったと評せられた。しかしそれは本当だろうか。ストーリーが版を重ねるごとにエンタメ性が重視され,時代考証も何もなくなってしまってきているのではないのか。

 エンタメは,自分たちの生活が安定し,向上し,平和で活気に満ちた社会で大いに発展していいものだと思う。不安定な時代,不遇な時代には,それに見合ったささやかな楽しみとして存在すべきものだと思う。それが今,不安定な時代にも関わらず,スマートフォンという個人レベルのエンタメ機器が広がったことで,地球上のあらゆる地域で同じ情報を共有できるようになった。日本発のアニメ文化やコスプレ文化が世界に発信され,そこで根付き,日本の新しいイメージを作り上げてきた。しかし,結局は「サムライ」「なでしこ」「ニンジャ」など古い価値観から抜け出せないでいる。

 現在進行系の歴史は,新型コロナウイルス感染症というパンデミックが起きる時代と,第二次世界大戦から80年も経っているのにまだ他国の侵略と殺人を繰り返す戦争・紛争の時代が続いている。かつての戦国時代にも戦略・戦術はあったし,その裏にある裏切りや買収などの闇の歴史もあったろう。しかしいずれ,現在進行系の歴史が,歴史モノのテーマになる段階で,その次代の作家や脚本家は今の時代をどう描くのかを考えたとき,何とも惨めな思いになるのである。

 おそらく,第一次世界大戦ヒットラーをエンタメにする人はいないが,現在の世界は笑ってしまうほどストーリーがお粗末で,意外に低級なエンタメとして描くことができるかもしれない。それほど,無秩序な世界が,現在進行系の歴史に見える。

 ひょっとしたら,未来のエンタメを描くのは人間ではなくAIかもしれない。いや,それはそれほど先のことではなく,すでに現実的にChatGPTをはじめとする生成AIが勝手にストーリーを創り始めているのではないだろうか。逆に「あんたの今やっていることは,こんなエンタメレベルだよ」と,その紛争の当事者に読ませたいものである。「あなたはスーパーヒーローでもなければ,魔法使いでもないんだよ」と。それで目を覚まさないものだろうか。残念ながら,英語圏の考え方では通じない別の世界なので,それぞれロシア語圏,中国語圏など各世界で,展開するストーリーがいかに地球全体の利益につながっていないかという内容を自ら創り出してもらえないだろうか。しかし,それらのAIの助言は,結局は粛清されてしまうのだろうか。