近ごろの日本のコミックは,筆者の目からすると“狂気の沙汰”である。
コミックだからといって,何でも作り話を作っていいわけじゃないと思うのである。
高度成長期で,技術革新が次々と起きていた時代は,未来の世界を描いた夢のある「マンガ」が作られた。マンガは「漫画」であり,ロマン(浪漫)のマンである。ロボットが活躍し,宇宙へと人が進出し,逆に宇宙からの侵略者に対して地球や人類を守るという「正義」が描かれた。人類が一致団結して敵に向かう。
ハリウッド映画は,今も地球外の敵と戦うというストーリーが多い。そして地球外生物と融和していくストーリーも多い。今も「正義」が貫かれており,勧善懲悪が描かれている。
ところが日本のコミックはどうだ。出てくるのは妖怪,巨人,そして支配者である。そして,人同士,特に男女が入れ替わったり,男性同士のラブストーリーが描かれたりと,無茶苦茶である。
マンガもコミックも,本というスタティック(静的)なメディアの上でどのように動きと音を表現するか,というまさに作家の血の滲むような創意工夫が込められていた。しかしこれがアニメになった途端に,効果ばかりが派手になってくる。
メディアとしてテレビしかなかったころは,放送コードという良識のフィルタリングが掛けられていた。たとえば流血シーンなどは放送できなかった。殺人がテーマになるような探偵モノでも血の色を黒色で表現して逃れてきた。
しかし,ネットワークでの動画配信が始まると,良識のフィルタリングを誰も掛けられなくなった。エロもグロも何でもありになってしまった。
そして,今まではスマホを使って小学生でもほとんどあらゆるコンテンツにたどり着くことができる。もう歯止めが効かなくなってしまっている。
こんな仮想の物語ばかり見さされていたら,頭がおかしくなってしまう。現実を見なくなってしまう。自分の好き勝手な生き方をしてしまうのではないか。
そこに,さらにアニメから実写版を作ろうという流れになる。若い俳優やアイドルが,こぞって駆り出される。かつてはアングラ劇場で演じられていた芝居が,今や堂々と表舞台で演じられる。アイドルが出演するから,客は集まる。妙なマーケットが出来上がってしまった。
そのアニメで描かれていた“仮想の物語”が,現実の悪質な強盗事件や陰湿な性犯罪につながってしまっているのが,ここ数年の出来事のように見える。J事務所での経営者による性加害の背景に,異様な人間関係があるし,逆に被害者である男性アイドルタレント同士にもおかしな関係があるのではないかと疑ってしまいそうである。同じ身振り手振りでダンスする姿や,中性的な化粧や装飾品,髪色などを見ると,BL(ボーイズ・ラブ)系のコミックを連想してしまうのである。
ウクライナ紛争が解決しない間に,パレスチナのガザ地区における武装集団ハマスとイスラエルの戦争が始まってしまった。人間同士の争いは,お互いがそれぞれ自分たちが正しいと信じているだけに,解決しない。ハリウッド映画を作ったアメリカが正しいと必ずしも言えない。
そんな中でも,次々とアングラコミック,アングラアニメ,そしてアングラ小説がどんどん作られ,次々に配信され,そして日本人の精神を崩壊させているように筆者は感じている。
もし,その“仮想の物語”の世界が正しいのなら,そのテーマパークを作ってみてはどうか。ディスニーランド,USJ,ハリーポッターランドなど,夢を与えられるテーマパークを作ることができるかどうかは,考えるまでもない。単なる日本ローカルな食い潰し文化を作ろうとしているだけである。
金がないから,バーチャルなコミックやアニメで誤魔化そうとする日本の創作文化に,明日の日本を託すことはできないと筆者は考える。輸出できない文化は,国を救うことはできない。