筆者はいわゆる“ぼっとんトイレ”(汲み取り式トイレ)の時代に育ってきたので,今の水洗トイレが神々しく見える。
紙も,ロール式ではなく,チリ紙だった。当時は“花紙”とも呼んでいた。鼻をかむための「鼻紙」の美的表現だったのだろう。今のティッシュペーパーに相当するものだが,床の上に置いた木箱の中に単に重ねて5cmぐらい置いてあり,上から適当な枚数を取って使用していた。
見るからに少なめだし,まだ紙は貴重な存在だった。1拭き2枚。これを折ってさらに1拭き。これを2セットぐらいで拭き取れるように頑張っていた記憶がある。
水洗トイレになり,ロール式のトイレットペーパーになっても,このときのクセは抜けない。1回に長さ1mほどを引き出して手のひらサイズに折り,状況に応じて折り直したりしながら拭き取る。やはりこれも2セットぐらいが目標である。必要量が多そうな状況でも,多くのトイレに付属するようになった温水洗浄便座,いわゆるウォシュレットがあれば汚れをあらかじめ落とせるので,それほど枚数を必要としないと思うのである。
しかし,自分の子どもたちにせよ,世の中の若い人にせよ,トイレットペーパーを繰り出す音だけから判断すると,こんなみみっちい使い方をしている人は皆無に思える。1回分が3mほどを繰り出し,これを数回平気で繰り返す。タオルぐらいの厚みを作り,これで1拭きして流す,といった印象である。ロール紙をガラガラガラガラと引き出す音が数秒間も続く。それが何度も繰り返されるのである。
実は,トイレ自身も進化しており,水の使用量が当初の1回10Lから現在は3.3Lと1/3に減っているのである。水の流し方も渦を巻くようにしてあり,総量を抑えられるようになっている。
しかし,使用する紙の量は増える傾向にあり,当然のこととしてトイレが詰まりやすくなる。その結果,2回,3回と水を流すこともあり,水の使用量が以前とあまり変わらないケースも出てくるという逆転現象が起きているのである。
ティッシュペーパーも同じである。2枚重ねで摘まみ上げて出てくるティッシュペーパーは30cm四方もの大きさがある。鼻をかんだり,汚れを拭いたりするには十分な量だと思うのである。
ところが,摘まめば何度でも出てくるので,2回,3回と繰り返し摘まみ,果てはそれでガシャガシャと拭いてまとめてゴミ箱行きとなっているのを見かける。ペーパーナプキンの感覚で量を使っているように見える。
トイレットペーパーは,半分ぐらいはリサイクル品になってきている。新しいパルプから作る場合も含めて,添加物がほとんどないため,水の中で繊維がほぐれ,バラバラになって流れていく。
一方,ティッシュペーパーはほぼ全数が新品のパルプでできている。しかも,水の中でバラバラになることもない。水洗トイレでティッシュペーパーを流したら詰まってしまう。
トイレットペーパーも水中でバラバラになるといっても,大量に流せばバラバラになる前に管の途中で詰まってしまう。水は流れていってしまうので,バラバラになることもない。
中国の公衆トイレで以前,身分証明書を装置にかざすことで,長さ2mぐらいの紙を出すというニュースを見た。かなり以前のことで,当時は紙の質も悪く,トイレ詰まりが起きないように量を制限しているのだということだった。その後,中国は急速に豊かになっており,現在はそんな制限もなくなったのかもしれないが,いい考えだと思ったものである。
SDGs(持続可能な開発目標)という国連が決めた言葉が日常にあふれているのは日本だけだという。そんな日本で,使い捨て文化がこれまで以上に,また他国以上に,ひどい状態にあるように感じる。食品ロスもそうだし,ビニール包装も一向に減らない。コンビニ袋とストローばかり取り上げられているが,総量のごくわずかである。気にしている筆者でさえ,プラスチックゴミの日のプラゴミの量には驚かされる。元を絶たなければ,減らすこともできない。
紙のストローも開発されているが,実は水に強くするためのコーティング剤が生態系にとって悪い影響を与える可能性があるとの報告も出てきた。
筆者の場合,プラスチックストローを洗って繰り返し使用している。毎週使って,1年間使っても,別に壊れることもない。いい加減,「コンビニエンス」という言葉をやめてはどうか。多少不便でも,ストローもスプーンも配布せず,必要な人は買うようにすればいい。弁当でも,割りばしで食べればいいし,スプーンは金属製のものを店で売ればいい。ストローも直接カップに口を付けるようにすれば,ストローを使わずに済む。使い捨てがオシャレな時代は終わったのである。