jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

両極端の「SDGs」に一言

SDGs(持続可能な開発目標)は,人によって捉え方が真逆である。 一度,整理した方がよいのではないかと,考えてみた。 そもそも「Development」をどう捉えるかである。

 1つ目の考え方は,「開発」というのを「人の幸福のため」と捉えると,現在,飢餓や病気で苦しんでいる人や,差別を受けている人を救うための技術開発ということができる。 足りない食糧やエネルギーを補い,ワクチンを供給し,医療を提供する。 教育も開発し,近代的な文明の恩恵を受けられるようにすることというように思える。

 このために食品ロスを減らすのは正しい。 食糧効率の悪い畜産の餌に回す穀物を,人が食べられれば,食糧不足を減らすことができる。 このために,大豆などから代替肉を開発し,卵も開発すれば,満足度を減らすことなく,動物食から植物食に転換できる。

 家畜が減れば,家畜のゲップが原因とされる温室効果ガスも減らせる。 いいところずくめのように見える。

 しかし,一方で,これまで病気や飢餓で早死していた子供が健康な生活を送れるようになると,世界人口は増え続けることになる。 人口が増えれば,食糧難,エネルギー難は解消しない。 当面は,石油を中心とした化石燃料を使ってエネルギーを作り出す以外に方法がなく,地球温暖化も加速する。 温暖化によって地球の砂漠化が広がって穀類などの作付け面積は減り,食糧供給にブレーキがかかる。 森林での火災の危険性が高まり,海洋の食糧がなくなる。 陸上養殖や昆虫食なども提案されているが,おそらく需要には追いつかない。

 2番目の考え方は,地球温暖化を止めるためのDevelopmentで,代替エネルギー開発が叫ばれている。 かつての省エネの花形エネルギーであった原子力発電が,世の中で完全に否定された。 現在の世界のエネルギーの半分を担っている石炭火力発電も,二酸化炭素排出量が多いとして多くの国で否定されている。 石油火力発電では,最も低質な重油を燃やしている。 ガソリンや灯油,軽油などの高級石油を分離した後のいわば「カス」を燃やしてエネルギーを得ており,原油に占める重量の割合では一番多い厄介者の部分を高級エネルギーである電気に変えている。 原子力にしても,LNGにしても,太陽電池にしても,高級エネルギーから高級な電気エネルギーに変換しており,当然のことながらコストは高い。 設備の維持費も高い。 この,石炭,重油に支えられてきたエネルギーを,不安定な太陽電池中心のエネルギー構造に変えるのに,筆者の適当な予想ではあと30年はかかる。 その間の二酸化炭素削減は進まず,温暖化が加速し,北極海の流氷やグリーンランドなどの氷河,そして南極の氷までが溶けることで,地球を冷やせる要素がなくなり,海水面の上昇の加速,海底に眠るメタンハイドレート(メタンの氷)の気化でさらに温暖化ガスの噴出が加速し,歯止めが効かなくなる。

 残酷なようだが,1つ目のSDGs,つまり人間の平等については,人類の生存にとっては本質的な問題ではないと思うのである。そもそも,生物にとって多様性は生存のための知恵だが,それは地域へ最も適応できる種のみが生き残り,棲み分けるためである。地球の環境が変われば,そこに一番適応できる種のみが生き残り,他の種は滅亡するが,次の世代にはより環境に適応した種が繁栄し,拡大できるのである。

 すべての多様性が生き残ることはできないが,ヒトは生き残るために火を使い,服を作り,さまざまな食を開発してきた。火は現在でいうとエネルギーである。食も自然から取るところから囲って育て,そしていまや管理して作る時代になった。すべての種が生き残るための知恵によって,自分たちの首を締め,地球を破壊に向かわせている。

 電気や動力というエネルギーを生み出した150年前の産業革命以来,単純に燃やしてエネルギーを得る手段から,化学反応を利用したエネルギー開発,素粒子を利用したエネルギー開発までようやくたどり着いたが,石炭,石油を燃やすという単純なエネルギーが現時点の主流であるところをみると,これから数十年で安定的で高密度な画期的なエネルギーが開発されるとは思えない。唯一,水素燃焼が可能性が高いと思っているのである。

 筆者が50年前に学校で「世界の人口」として覚えた数字は33億人だった。現在,世界人口は67億人。50年でなんと倍増以上に増えている。日本を含む先進国では人口が減少傾向にあるのに,これほど増えているのは,中国,インド,アフリカである。あまりにも国土が広く,貧富の格差が大きく,教育などの規格が統一できない。

 貧しい家庭でなぜ子供がたくさん生まれるのか疑問だったが,残念ながら「子供を売る」ことで初めて生計が成り立つからである。農業などの労働集約型の産業しかなく,低賃金で働かされる。この繰り返しが延々と続いているのである。

 いまや,アフリカでのスマホ普及率はほぼ100%で,テレビよりも普及率が高いという。ならば,もっとスマホを利用した教育と家族計画,衛生教育などを拡大し,人口増加を止める必要がある。まずここから始める必要があるのではないかと考える。

 そして1つ目のSDGsに含まれる人種差別や男女差別,性的マイノリティ差別などについては,SDGsへのタダ乗りのように見えるのである。障害者がパラリンピックによってようやく立ち位置が得られたように,自分たちも立ち位置を確保するために,「多様性」というキーワードを利用して,権利を主張しているように見えるのである。

 正直言って,エネルギー問題を解決するよりも,フードロスを減らしたり,無駄をなくしたり,差別撤廃を叫んだりする方が,楽に活動を始められる。

 たとえば,いままで捨てていた食材を使う,というのは,いかにも正義であるようにも見える。市場に乗せられずに廃棄される食材をうまく活用してお金に変えるというのは,正しい行動のように見える。しかし,いくらこの廃棄素材を活用しても,世界の飢餓はなくならない。日本での生活困窮者を救うことは可能だが,救った人がGDPの拡大につながるかどうかは限定的である。

 逆に,本来であればスーパーマーケットで規格品を買っていた消費者が,虫食い品を安く買うようになれば,規格品が売れなくなり,返って廃棄食材が増えたり,規格品を値下げして売ることになり,生産者にも販売者にも利益が出なくなる。これではまったくサステナブルではなくなる。

 スウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥーンベリさんの活動は評価しないわけではないが,彼女は具体的な提案を何もせずに,現在の政治的な活動を否定し,それをアピールするために目立つ行動をするという手段に訴えているだけにしか見えないのが残念である。反対意見を表明する勇気は評価するが,「科学者の意見を聞け」と言っているだけでは,何も進まないのである。科学者が志向する方向も,バラバラなのが現実である。議論を重ねても結論は出ない。

 荒療治だが,COVID-19によって人口調整が進むのではないかと思っていた。2年間の世界での感染者数は2億4000万人を超えたが,死者数は500万人弱である。スペイン風邪では,感染者数が世界人口の1/3の5億人,死者数は5000万人ということから考えても,影響は小さく抑えられている。もしスペイン風邪と同じレベルだったら,感染者数が20億人,死者数は2億人。経済活動はさらに抑えられることで,エネルギーの消費は減ることが期待され,地球温暖化の延命効果があったはずだが,影響は限定的に終わりそうである(筆者も,いつ罹患し,いつ死亡するか,といった恐怖に苛まれていた)。

 日本では,子供の7人に1人が貧困家庭で,食事に不自由しているという。一方で,大食いや激辛,創作メニュー,高カロリー食を扇情するようなテレビ番組やインターネットチャンネルもあり,情報発信された飲食店は,さらに過激度を増している。とてもSDGsを進めている国,およびそのメディアとは思えないのである。矛盾だらけなのである。大食いをしている番組の司会者が,一方でゴミ拾い番組の司会もする。そもそも,営利目的企業で広告収入に頼っていて,自分たちの主張を持っているとも思えないメディアが,いかにも自分たちが地球の未来を考えているような,イメージ広告を出すような資格はないと思うのである。単なる自己満足,第3者を装ったエゴイズムではないのか。

 同時に進めるのは,①安定的な燃焼型発電システムとしての水素発電を世界的規模で開発・普及させること,②Amazonや7-netなどロジスティクスを持つネット系企業による期限切れ間近食品の冷蔵・冷凍による僻地運送の定期便化,③スマホネットワークによる家族計画を含む教育活動の実施──がまず,進める必要を感じる。また,経済的支援も必要である。

 現在,SDGsを標榜している活動はすべて,「意味の後付け」である。倹約であったり,減量・再生・再利用を「SDGsだ」と言っているにすぎないように見える。結局は,「SDGs」と言えば世間には通りがいいし,宣伝効果もあるし,利益も出る,という短期の利潤追求のための活動にしか見えない。実際に行動を起こしたことは評価できるが,本質を突いているとは思えないのである。