筆者は関西に生まれ、社会人になって東京に出てきた。人生の2/3は関東で暮らしていることになるのだが,改めて東京や地元の道の複雑さに戸惑う自分を感じた。
生まれ育った町は,南北に伸びた形をしており,川も南北に流れていた。また,瀬戸内海に沿って鉄道や国道が東西に真っ直ぐ伸びていた。このため,町全体は東西南北に道路が格子状に広がっていた。道に沿って家はほぼみんな四角形だった。
大学の4年間を過ごした京都は,ご存知のように完全な碁盤の目の街並みである。「丸竹夷二押御池」と数え歌があるように,通りは東西南北に走っている。大阪市内は道路も格子状だが,さらに地下鉄も格子状に走っている。どこに行くにも最大1回乗り換えれば到着する。大阪外周を巡るJR大阪環状線もほぼ丸く走っている。
ところが東京に来て驚いた。地下鉄がブーメランのような格好で走っている。特に丸の内線は,新宿から新橋,銀座,東京,大手町を通って池袋に戻ってくるし,半蔵門線は南から北に向かったかと思ったら,皇居を巡って大手町に戻って東に進み,また上野の東側を北に向かって進む。どこで乗り換えたらいいのか,まったく理解できなかった。おまけに,複数の並行する路線の駅が地下道でつながっている。大手町駅で降りて出口を間違えていつのまにか日本橋に出ていた,という苦い経験もした。
大阪環状線のつもりで乗ったJR山手線は,まったく丸くない路線でびっくりした。大阪環状線だと,大阪駅が一番北,天王寺駅が一番南なのだが,山手線は北は池袋から日暮里までがほぼ一直線,そこから品川までほぼ南北に真っ直ぐ下るが,品川から大崎に向かってさらに南に向かってから大きく西に曲がって大崎に入る。西側も,目黒から新宿,池袋までほぼ南北に真っ直ぐである。長方形に近いが,品川のところが妙に飛び出たおかしな形である。そしてこの山手線の途中から東西,南北につながっているのが,新宿-秋葉原をつなぐ中央線・総武線しかないし,中央線に乗ったら東京に行ってそこが終点になってしまう。
同じように,道路も複雑である。まっすぐ走っている道がほとんどない。その道の上に作られた首都高速道路も,右に左にカーブするし,上下方向にも大きく振られる。道幅が狭く,路肩がまったくないので,まるでジェットコースターに乗っているかのようである。分岐があっというまにやってきて,乗り間違えると戻ってこれなくなる。たぶん,関東生活40年以上になるが,首都高速で走ったのは5回ぐらいしかないのではないか。それほど乗りたくない道路である。
東京の道路は,江戸時代の江戸城を中心とした城下町の道が基本になっている。江戸城は今の皇居なので,皇居を中心とした円周状が基本なのかと思いきや,江戸城に向かう真っ直ぐな道もない。外部からの攻撃を防ぐために複雑な道を作ったのではないかと思える。その道が現在の複雑な道の原型になっているかのようである。
同じ城下町でも,名古屋や広島,大阪などは,碁盤の目のように整然とした町の構成になっている。名古屋城に向かう南北の久屋通りは幅100mもある真っ直ぐな道路である。広島は原爆で町が破壊されたが,安土桃山時代から江戸時代の城下町のころから碁盤の目が基本になっていたらしい。
東京が,第二次世界大戦の大空襲で9割が消失した際,その後の街づくりにパリのような放射状に整備するという計画があったはずだが,結局は地主達が線引きの変更を許さなかったのだろう。世界の首都で最も乱雑な配置の町になっていると思う。筆者はカーナビがなければ動けないし,ナビどおりに走っても迷ってしまう。
かつて,首都をほかの土地に移すという話があった。仙台などが候補になっていたのを記憶する。思い切って,福島県の東日本大震災の被災地を徹底的に開発して,新たな首都圏にしてはどうだろうか。いまだに除染が進まないのは,「どうせ元の住民はもう戻って来ないから,そのまま放置すればいいんじゃないか」といった考えがどこかにあるからではないのだろうか。
せっかく盛り土をして土地を嵩上げしたが,戻ってきた住民は1割にも満たないという。広大な土地が広がっている。ならば,完全に土地開発して,首都を作ってしまってはどうだろうか。それだけ本気になれば,除染もできるし,福島第一原子力発電所の廃炉も進むのではないか。