筆者が初めて家のクルマに触れたのは大学生のころである。普通免許を取得し,兄がどこかから買ってきた中古のセダンが家にあったのを運転させてもらっていた。
当時はスタッドレスタイヤなどなかったように思うし,実家周辺で雪が降ることは数年に1回あるかないかだった。スキー場と言えば長野県にスキーバスで行くしか手段がなく,家のクルマで雪道を走ることはなかった。したがって,タイヤの交換をした記憶はまったくない。
その代わり,洗車やワックス掛け,フォグランプの取り付け,そして点火プラグの清掃や交換などは自分でしていた。少しでも燃費が上がるように,特別なプラグを購入したり,プラグの配線を替えたりした。そうやって週末にクルマを触るのが楽しかった。
就職して首都圏で一人暮らしをするようになって1年目に原付きバイクを購入。その1年後に中型バイク免許を取って250CCの中型バイクを購入。途中で手放した後,結婚して久しぶりに四輪車を購入した。
実家にいた時はマニュアル車で,エンジン系,電気系,その他ウォッシャー液やエンジンオイルの交換など,素人でも触れそうなところはそれなりに触ってきた。ところが,結婚後に購入したクルマはすでにオートマチック車になっていた。エンジン周りも複雑になり,点火プラグの交換も難しそうだった。できることといえば,洗車とワックス掛け以外には,ウォッシャー液の交換とタイヤ交換ぐらいだった。
印象として,関東の方が関西よりも平野部の雪の確率が高い。最初に雪に見舞われたときはスタッドレスタイヤもチェーンもなく,クルマを動かすことはできなかった。現在のセレナにしてから初めて,スタッドレスタイヤを購入した。その後,毎年冬が近づくとスタッドレスに交換し,春になるとノーマルタイヤに交換する,という作業が年中行事になった。
タイヤ交換後,少し走った後でボルトの緩みがないかどうか増し締めするのは当たり前と思っている。実際,わずかながら緩みは発生する。交換時と同じ力でボルトを締めているが,増し締め時にはだいたいのボルトが1~2度動くのを知っている。
したがって,昨今,タイヤが外れて人にぶつかって死傷事故が多発しているのを聞くと,クルマに対する接し方がおかしいのではないかと感じるのである。
車検もチェックもタイヤ交換もショップ任せ。実際は,「増し締めをするので,もう一度立ち寄ってください」と言われているにも関わらず,交換したら交換しっ放しで走っているのではないだろうか。もちろん,自分で車載工具を使ったこともなく,レンチで緩みを確認することもしていないのではないだろうか。
自宅で手動のジャッキで車体を持ち上げ,手動でボルトを緩め,タイヤを手で支えて取り付ける作業は,結構な重労働である。筆者も最近は,握力が弱くなったのか,一気にジャッキアップできず,途中で休憩しながらジャッキ作業をするようになった。ワゴン車なので車重が重く,タイヤのボルト孔も5個タイプなので,なかなかボルトにはまらないことも多い。特に急な大雪で寒い中で交換する作業はかなり辛い。それでも,タイヤショップまで行く間が動けないのだから,自宅で自分でタイヤ交換するのが当たり前だと思って現在に至っている。交換後にガソリンスタンドに行って空気圧の調節をするのも同じ流れである。
そんな筆者にとって,タイヤが勝手に外れることなど,まず考えられない。自分の手でしっかりとボルトを締め,増し締めもしているからである。トラックなどの大型車では必要以上の荷重が掛かってボルトに負担が掛かる可能性は否定できないが,仕事で使うクルマである以上,タイヤのボルトの緩みやタイヤの溝の残り,クギが刺さっていないかなどの点検は「するのが当たり前」だと思うのだが,どうもその辺りの意識が低くなっているように思える。土木用のショベルカーなどを積んだトラックが,何となくフラフラ走っているのを見かけると,思わず睨みつけてしまう。
クルマを乗る前の始業点検は,個人の運転者にも義務づけられているはずである。タイヤ関係,ランプ類の点灯確認なども必須である。しかしそれを実施している人は,おそらくほとんどいないのではないか。エンジン車であれば,加速時のスムーズさとか,エンジンの回転音とか,ハンドルの重さとか,いろいろ身体で感じながら走るべきところだが,最近のクルマのようにただアクセルとブレーキだけの操作で動くようになると,クルマに対する危険意識がほとんどなくなってしまうのではないか。
タイヤ外れ以外にも,サイドブレーキが甘くて勝手に動きだしたり,アクセルとブレーキを踏み間違えたりといった,相手を巻き込むような事故の原因になり兼ねないチェック項目がおろそかになっているように思える。
オートマチック車になってギアチェンジが自動化され,防音性も上がってエンジン音やロードノイズも聞こえにくくなっている。EV車に至っては,駆動音がほとんどしない。おそらく,勝手に動いていても気づかないのではないか。
それならば,逆にもっと神経を集中してクルマに乗る必要があると思うのだが,何でもボタン1つ,不具合があれば音声で教えてくれる,エンストもしない,といった最近のクルマでは,クルマに乗っているという意識そのものが薄弱になっており,したがって「クルマは凶器」とかつて言われていたことすら,知らない人たちが運転しているように思える。
太い道路では,多くのクルマがそれなりのスピードで走っている。時速50kmで走っているクルマから外れたタイヤは,同じく時速50kmで歩道に向けて転がる。対向車線側に転がる可能性もある。とても安心して歩道を歩ける状態ではない。さらに,車線変更もいい加減で,方向指示も出さずに急に車線変更するクルマがあり,慌てたドライバーが運転を誤って歩道に突っ込んだりする。居眠り運転で事故を起こすクルマも絶えない。
自転車やバイク,そして昨今の電動キックボードなどの交通マナーの悪さもさることながら,免許講習を受け,2年ごとの免許更新もしているはずの四輪車ドライバーの交通安全意識が欠如している。
おまけに,高齢者ドライバーを中心とした判断ミスによる事故もおそらく増えていると思われる。テレビで放送された高齢者ドライバー講習の場面を見ると,一時不停止,速度超過,合図なしの車線変更,適切に使えないブレーキ,さらに試験官とのやり取りさえおぼつかない場面が見られる。それでも講習を受けたからOKを出すのだろうか。
特に,おそらく「安全装置」が各種付いていると思われる最新型車での事故が多いように思える。ハイブリッド車もその1つだし,高級ブランド車に乗っている高齢者もいる。逆に,手軽だという理由か,軽自動車での運転ミスも多い。急発進防止装置などが付いていても,慣れない装置だとわざとスイッチをオフにして走らせているのではないかと疑ってしまう。
クルマの調子を感じながら乗ることが,ドライバーには求められると思う。クルマを走らせるときは,“人馬一体”ではないが「人車一体」と思う必要があると思うのである。したがって,昨今の短時間貸しのクルマなどはあまり使いたくない。感覚が違うからである。自分の所有物であり,自分の足代わりである,と思えば,もっと違う感覚になるのではないだろうか。何でもクルマ任せでいいというものではないと思うのである。