jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

墓じまいは時代の流れかー家族とは何かを考えるきっかけになった件

筆者の実家は関西にある。本籍もそのままにしている。しかし、かつての実家の家そのものはもうなく、その半分の土地に兄が新しい家を建てて住んでいる。

   2023年3月から4月にかけて、家の墓じまいをした。実は筆者は、母の姉、つまり叔母の養子になって、叔母の家を継いでいた。東京に来てから20年以上、残念ながら墓参りもせず、ただ管理費のみ払い続けてきた。数年前に訪ねる予定だったが、新型コロナ禍で移動ができなかった。第8波が収まったタイミングで、墓じまいをすることにした。

 長年、放置状態の間にお坊さんも代替わりし、過去の事情をあまり詮索されないままに手続きは機械的に進んだ。分骨などの余計なお願い事も聞き入れてもらい、2日で墓じまいは完了した。

   この話をすると、周囲でも2人の知り合いが、やはり墓じまい中だという。一人は筆者よりかなり年上の方で、ようやく決心がついたのだという。

   筆者の場合、家の墓を考えた時に、10年以上一緒にいるペットの犬の埋葬のことが気になったという事情がある。2022年にがんと診断され、いつ死んでもおかしくない状態なのだが、筆者としては彼女を家族の一員として葬ってあげたいという気持ちが強い。しかし、一般の寺の墓地や霊園などは、人間以外を埋葬できないケースがほとんどである。

   そこで考えられるのが、樹木葬などの新しいお墓ということになり、お寺の墓を手離すことをやむなしという結論に至った。

   筆者や筆者の家族にとって、2匹の犬はかけがいのない家族である。この意向には賛成してもらっている。しかし、勤め先など外部から見ると、ペットのことで騒ぐのはおかしいということになる。現在も、いわば介護状態なのだが、法律も含めて家族とは認められていない。

   新型コロナ禍でテレワークの効果が評価されたが、3年経過後、通常勤務に戻している会社も多い。せっかく柔軟な働き方ができるようになったのに、また以前のように職場に縛りつけて上から目線で監視することが管理だという日本人らしい風潮に戻ってしまったのが残念である。筆者の場合、ペットの終末介護をしながらでも業務を遂行できると考えており、実際、丸2年間を完全テレワークで過ごし、問題は起こしていない。ただ、オフィスに出社した人が、代わりにファイルをプリントして回覧したりするだけのことが、癪に障ったのだろう。心の狭い人間と一緒に過ごすのは苦痛である。