jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

筆者の人間嫌いについて

このブログで日記を書いていると,いかに自分が人と馴染めていないかを改めて感じる。先生族が嫌い,日本の男が嫌い,東大が嫌い,タレントが嫌い,スポーツが嫌い,映画が嫌い,ダミ声が嫌い・・・などなど。自分が人間としてまともではないような気にもなる。

 子供のころはイヌが苦手だった。当時,街中には結構な数の野良犬もいた。通学路の真ん中に座っている時,遠回りしたこともあった。家に中型犬がいたが,自分は距離を置いていた。散歩に連れて行って,誤ってヒモを引いてしまったために川に落ち,そのせいで肺炎を起こして死んでしまった。これらがトラウマになってイヌとの距離は基本的に遠かった。

 結婚して,相手の実家にイヌがいた。何世代も飼い犬がいたので,イヌが急に身近な存在になった。子供の習い事の行き帰りに,DIYショップで時間を過ごすことが毎週のようにあった。そのショップに併設してペットショップがあり,時間を過ごす中でペットショップに寄ることも多かった。ここから我が家の10年以上のイヌとの生活が始まった。

 イヌと生活をしていると,その無邪気さに癒やされる。我が家のイヌは,しつけはしたが,そのほかは何も芸を教えていない。待て,おすわりぐらいしかできない。しかし,しっかりとこちらを見て話を聞いてくれる。おねだりされるのも嫌いじゃない。いつのまにか,イヌは好きになっている。

 人間嫌いは,この裏返しみたいなものかなと思ったりしたが,もともと人付き合いが苦手だった。理工系を選んだのは,人と向き合うよりもモノや技術と向き合う方が自分に合っているからだと思ったからかもしれない。その後,マスコミの道を選んだが,これも基本的に人付き合いが要らない仕事だからである。自己中心と言えば自己中心である。このブログでの主張も,いかにも自己中心である。情報業というのは,ある意味で自分たちが中心だと思い気味である。

 人間嫌いだと成り立たない仕事が,先生族や営業,接客業なのだろう。いずれも自分では難しいと思う業種である。さらに難しいのは医療関係者である。患者に対して人間として向かう必要がある一方,病気やケガと向き合うときには冷淡な判断もしなければならなくなる。手術で麻酔のかかった状態の患者さんには,“生きているモノ”という感じで対峙しなければならない。筆者はとても無理である。

 アニメやゲームの中では,人の表現についてウエットな表現が取られることもある。情報業の中でも特殊な分野だろう。これも筆者が馴染めないところかもしれない。

 こうして無人格でブログを書いたり,メールでやり取りするだけのテレワークが性に合っているのも,人間嫌いの成すところだろうか。正直,zoom会議は好きじゃない - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/2/18 とコメントしたのも,どうも対面で話をするのが嫌いな性格によるものらしい。先日も最終的に50往復ぐらいのメールでのバトルを別部署の担当者とやらかした。結局,対面だと妥協点を探れるが,デジタルだと変な方向に議論がすり替わっていくらしい。まさに“炎上”モノだったと言えるだろう。最後は,さらに関係者が集まってのリアルな場を設けようということになったのだが,「こんな2者間での不毛な議論をするだけ時間のムダ」だった,というのが正直な感想である。テキストでのやり取りは,お互いの要点が合わないと平行線をたどる。恐ろしいことである。