jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

休むことに罪悪感? 咳をしながら満員電車に平気で乗るのは男ばかり

今日も、東京の電車は満員である。現在、筆者の乗っている車両でずっと咳をしている人は3人。すべて男である。しかも恰幅のいい大型の中間管理職クラスと見える。

    会社にしがみついていると、休みをおいそれと取れない。部下がいると下手に休むこともできない。いや,会社に座っていることこそが,自分のステータスを守る唯一の手段という考えが染み付いているのだろう。

 モーレツ会社人間だった筆者も,滅多なことでは会社を休まなかった。社会人になったころは,普通の風邪とインフルエンザを区別するような風潮もなく,もちろん特効薬もなかった。もともと熱がそれほど上がらない体質なのか,年に4回も5回も風邪を引いても市販薬を飲んで普通に出社していた。パソコンもインターネットもない時代である。テレワークなど夢の夢だった。有給休暇を取ったのは,1年目に母親をヨーロッパ旅行に連れて行ったときの1週間ぐらいで,後の30年間はほとんど消滅していた。有給休暇の残り日数など気にしたこともなかった。別にそれが普通な時代だった。

 現在も一定の有給休暇をもらっているが,ケガ以外はペットのイヌの病気とかぐらいしか使うこともなく,消滅してしまっている。若い社員が結構頻繁に有給休暇を取って休むのを見ていると隔世の感がある。権利なのだから休みは取るべきなのだが,古いモーレツ時代の人間にはどうも馴染めない。

 ある時期からはパソコンと電話以外は出張すれば仕事ができるようになり,テレワークの環境の整った現在は夢が現実になったのを感じる。会社という組織の中でチームとして仕事をしているときは,お互いに顔が近くにある環境はコミュニケーションを取る上で便利だし,短時間に結論が出る。一刻を争うような場面ではフェイストゥフェイスは重要である。しかし,社外とのやり取りが中心になってくると,オフィスにいようが家にいようが喫茶店にいようが,相手との繋がり方はメールや電話になるので,働き場所は関係なくなる。どうしても相手の顔色を伺う必要がある場面は,そう多くはなく,電話でも声の感じで十分にコミュニケーションができる。

 一方で,zoomなどのテレビ会議は,複数の人が距離を気にせずに場を共有できるツールとして十分使えることも,ここ数年のコロナ禍で証明された。この先,ImmersedやApple Vision Proのような没入環境で仕事をするようになるまで行くかどうかはまだ懐疑的な部分はあるが,それこそ自宅にいて世界のあらゆる場所に行ける環境が技術的には可能になってきた時代とも言える。

 さて,話を現実に戻すと,新型コロナが感染症五類になって以降,これまでテレワークしていた人たちがリアルの出社を求められることが多くなったと見えて,電車は満員になっている。オフピーク通勤のはずが,早朝でも人の出は多い。その電車の中は,「第9波の可能性」という専門家のコメントの影響もあるのか,マスク着用率は結構高い。

 しかし6月に入って,咳をする人が増えたのも実感するところである。咳をする人の多くはマスクを着けているが,咳をする際にそのマスクを押さえようとする人は皆無である。まるで「オレはマスクをしているんだから,咳は自由にしてもいい」と言わんばかりである。咳によるマスク周辺へのマイクロ飛沫の噴出は,すでに明らかになっているので,マスクを押さえて漏れがないようにしてほしいのだが,そういう認識はまったくない。いまだに,咳をするときにマスクを外す人までいる。またこれで感染がさらに拡大するのかな,と思ってしまう。

 「咳が出たら休め」「咳の出る人は公共交通機関に乗せるな」という趣旨のコメントは,新型コロナ蔓延当初から筆者がコメントしているところだが,電鉄会社も国交省も結局何もしない。ということで,今週,急きょテレワーク宣言をすることにした。今,休めないタイミングだからである。さて,また上司や社長はどう思うのだろうか。