jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

協調性がない日本人が国を衰退させる--信頼できるモノが何もなくなった

ついに暗証番号なしマイナンバーカード発行へ--ポイント,確定申告,年金がなければこれでOK - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/7/5 で筆者は,「とりあえずこれでOK」と書いた。システムを動かすためには,まず全員が同じモノを持つ体制を作る必要がある。

 マイナカード「暗証番号なしで交付」資格確認書「自動送付」次々崩壊する制度に「存在価値ない」総ツッコミ (msn.com)。世間ではさまざまな反論が出ている。当然のことである。

 結局は,日本人が「デジタル音痴」であることが,最大の原因ではないだろうか。国民個人だけでなく,政府も企業もすべて,日本人はどこかで「アナログ崇拝」がベースにある。

 もう1つは,戦後の民主主義を読み違えて「権利だけ主張する」協調性のない国民になり下がったことだと思われる。

 筆者が大学時代は,パソコンもなく,デジタルといえば大型計算機を動かすFORTRANプログラムを書くことだった。ワープロもない。卒論は手書き。グラフ作成は方眼紙に手でデータをプロットしていた。関数電卓も高額だった。

 社会人になって初めてパソコンに出会い,BASIC言語でプログラムすれば自動処理されることに感動した。ワープロが会社に導入されたのが2年後。その1年後に今のパソコンの2倍もの値段がする個人向け日本語ワープロを購入した。メディアの仕事をする上で,これは画期的だった。どこでも仕事ができるようになった。出張帰りの新幹線の中で原稿を作成して,そのまま会社に戻って提出,などということもできた。当然,当時は携帯電話がなかったから,通信は自宅や会社でしかできなかった。

 携帯電話が普及し始めたが,当初の携帯電話は音質が非常に悪かった。筆者は,あくまでの仕事のツールとして音声品質のいいPHSに長年こだわった。この携帯電話やPHSで電子メールが送信できるというのが,また画期的だった。相手がいなければ会話のできない電話と違って,必要な情報をタイムリーにとりあえず発信できる携帯メールはありがたかった。

 ワープロ,パソコン,ケータイ,クラウドと,筆者の周りのデジタル環境が次々に拡大し,新型コロナウイルス禍ではついにzoomという無料で使えるテレビ会議システムまで現実となり,在宅ワーク,テレワークが可能になった。

 仕事の相手である大学の研究者も,パソコンとインターネットの恩恵を強く感じていると思われる。ほとんどのやり取りがメールで完了し,数回の急ぎの確認もケータイで可能。データのやり取りはインターネット経由でできる。

 ところが,高校の教員とやり取りする機会ができて,事情が一変した。ある教員は,今となっては非常にマイナーとなった日本語専用ワープロを使い,データをフロッピーディスクで郵送してきた。また別の仕事相手は,手書きのFAXで原稿を送ってきた。「えっ,いまどき?」と,そのときは思ったのだが,今にして考えると,これが日本の教育ICTの遅れの現状だったと認識できる。

 データの管理もおろそかというか,そもそも管理しておく大容量ハードディスクなどが学校に用意されていない。最終的に発表で使うグラフなどのデータは,画面キャプチャしたイメージだけを残し,元の表計算データはなくなってしまったりしている。ポスター発表のように,結果は切り貼りして終わり,といった感じなのである。写真データも,オリジナルのデータは破棄し,PowerPointやWordに貼り込んだ圧縮データしか残っていない。

 確かに,デジタル化できる仕事はまだ限られている。リアルでなければサービスできない窓口業務や,リアルに手を動かさなければ作れないモノづくりの現場などもある。そこを自動化,デジタル化しようと,ロボットを開発し,無人化運転の研究にいち早く取り組んだのが日本である。しかし,結局は「日本という社会,日本人という国民が,デジタル化を受け入れていない」というのが実態と思われる。

 かつて,日本という国を精神的にまとめてきた天皇制が,終戦をもってなくなり,日本人の心の拠り所がなくなった。戦後復興のためにガムシャラに働いて収入を得てきたが,その経済がモノづくりとその輸出による外貨獲得によって潤ったことがいつの間にか忘れられてしまった。半導体産業,液晶パネル産業などの高度な技術開発はできたものの,その技術および人材の海外流出を止めることができず,東アジア・中国の低コストな労働力によるガムシャラな労働と国による戦略的な投資によって,日本からモノづくりが消えた。

 もう1つのデジタルツールであるスマートフォンとそのアプリケーションによって,日本人の貴重な時間が奪われてしまっている。そもそもデジタル化は,効率向上,合理化のためのツールだと筆者は考えているが,今のスマホ利用は5割がゲーム,3割が動画視聴,2割が音楽視聴で,生産性のある使い方をしている日本人がほとんどいない。最近は,動画視聴から動画配信に移りつつあり,そこでのコミュニケーションであるSNSにも多くの時間が費やされている。

 つまり,コンピュータやパソコンは仕事を合理化して単位時間のアウトプット量を向上し,これによって多大な収益を得るために使われてきたのに対し,スマホは消費一方で,しかもそれに関わる時間が長大となり,結果として日本の生産力を大きく落としていることになる。

 しかも,会社という組織に属さない個人としてのエンタメ系活動が人気となり,そこにこれまでメディアにたかっていた広告業界が乗り移り,かつての組織としての継続的な経済活動ができなくなりつつある。個人が中心となり,協調性のない社会が日本を衰退させつつある。

 求心力となる政治家もいない。求心力となる経済人もいない。ただスポーツ選手を持ち上げているだけでは,日本という国を支えることはできない。

 マイナンバー制度にしても,最初は「マイナンバーが書かれた書類が書留で届く」というところからスタートしている。ああ,自分という個人が国にはこの数字で登録されたのだな,と認識した。この時点で,すべての国民のデータが一元管理されたことになる。それは,住民票によって管理されているシステムに,番号を振る作業が間違いなく行われた証拠である。その後も,必要に応じて「マイナンバーを書け」という指示があるたびに,この書類を見て番号を確認して記入提出してきた。正直,この書類を持ち歩けば,それで済んだのかもしれない。

 ここに,やれ顔写真を入れるだの,デジタルで読むためのパスワードを設定するだの,市役所に出頭して手続きをするだの,というアナログな作業を加える際に,まさにアナログ特有の間違いが起きてしまった。

 最初に「マイナンバーを書かれた書類を書留で送る」のではなく,「マイナンバーの書かれたカードを全員分作成して書留で送る」ようにしていれば,よかったのである。あとは必要に応じて,写真データを書き込んだりする作業をすればよく,そのカードを読み取れる仕組みをきちんと配布すれば問題が起きなかったはずなのである。

 医療機関で,マイナンバーカードを読み取る装置が普及していないという。このため,健康保険証がマイナンバーカードに一体化されると,対応できない医療機関が出て,その装置を導入する予算のない医療機関が廃業する,という流れが起きている。なんだか本末転倒に思える。なぜ,医療機関だけが特別な読み取り装置を必要とするのだろうか。マイナンバーを確認し,それが健康保険のデータと一致すれば,それで済む問題ではないのだろうか。なぜ,そのデータをつなぐ作業がアナログなのかが,まったく理解できないのである。

 日本人は,もともと管理されるのが嫌いだったのではないか。それは公家の世の中でも武家の世の中でも,いや古代の八百万(やおよろず)の神の時代から,なにか1つのことを信じるとか,1人の人の言うことを信じるとか,そういう協調性がなかった民族なのではないか。

 一方で,文字という文化を極度に発展させた民族でもある。海外から導入した漢字をひらがなやカタカナに変化させ,欧米の言葉をカタカナ語として受け入れ,また海外の言葉を日本語として新しい訳語を造語として作ってきた。さらに近年では短縮語,絵文字まで生んできた。これほど言葉を変化・拡張してきた民族はほかにはない。

 それだけに,デジタル化には大きな壁があった。日本語専用ワープロや日本独自OSが開発されたのも,一種のガラパゴスだったが,そのうち欧米が,それまでの1バイトから漢字などの2バイトに対応したOSを提供することで,OSというプラットフォームがすべて海外製になってしまった。現在の筆者の執筆は,すべてこれらの欧米製のプラットフォーム上で問題なく動いている。

 ただ,メールやデータベースといったデジタルのままでは信頼を置くことができず,プリントアウトして配布し,ハンコを押して回覧し,これを保管するという仕組みがいまだに直らない。アナログで会議を開き,書類を人数分コピーして配布する。データの収集をサーバーに置いたファイルに全員で書き込むようにしても,それをディスプレイで参照しながら打ち合わせすることはなく,わざわざプリントアウトして配布する。全員がノートPCやタブレットを会議の場に持ち込めば,プリントアウトは不要だし,そもそもzoom会議などを利用すれば会議の場を作る必要すらない。会議でのデータの修正はその場でできるし,更新後の確認のための回覧をする必要もない。

 しかしおそらく,これらの流れを知らない日本の若者は,キーボードというもともとアルファベットのタイプライターを十分活用する前にスマホというオモチャを手にしてしまったため,SNSの短文しか発信できないような頭になってしまっている。長文解釈も長文作文も苦手で,プレゼンテーションも下手くそになっている。ChatGPTなどの生成AIに無条件に飛びついたのは日本人だけだという。それほど,自分の言葉に自信がなくなっている証拠である。

 また,「会議という場にリアルに集まることが必要」ということは「集まらなければ相手が参加しているかどうか信じられない」ということになる。つまり仲間,部下を信じていないことになる。これでは協調性が生まれるわけがない。

 突破力でさまざまな課題を越えてきた河野太郎デジタル担当大臣。新型コロナウイルス対応ワクチンをメーカーとの直談判で予定より早く導入を実現した。デジタル担当大臣となって,フロッピーディスクやFAXを廃止し,マイナンバーカードの登録の徹底のために健康保険証の廃止まで言い切って,課題克服を加速しようとした。

 筆者はこれらの「決定」はそれなりに評価している。しかし残念ながら1人相撲になってしまっているらしい。裸の王様状態で,官僚が着いてこないし,さらに指示の丸投げで,デジタル化に対応しきれない業者任せになってしまっているために,間違いが起きてしまったと考えられる。結局その業者選びも,競争入札で最安値の業者を選ぶか,癒着した業者に無条件に委託するかで,結局はカネだけのつながりになっている。責任の所属が曖昧になり,チェックもなしで終わってしまう。

 ただ,「決まったことは粛々と実行」し,修正をしない,人の意見を聞かない,というのは,問題ではないだろうか。多数決で決めたことだと言っても,実は与党多数で決まっただけの話で,とても民主主義とは思えない。これも協調性のなさではないだろうか。

 何だかんだと言っても,アメリカや欧州の民主主義各国も,ロシア,中国,北朝鮮などの社会主義国も,国のリーダーがドンと座っているところは,方針がブレないし,ある意味で国に信頼を置いているように見える。

 しかし,今の日本の国に対して信頼している人はだれもいない。かと言って,伝統文化を守ることを信条とする人も,1つの宗教に心を寄せる人も,そして何よりも自分の仕事に誇りを持って汗水垂らして人のために働いている人も,そういう日本人がほとんど見受けられない。そして,人をだまし,カネを着服したり奪ったりする犯罪が,個人単位でも,組織単位でも,そして既存の企業や団体,果ては官僚,政治家,教員,さらに法律に携わる弁護士,裁判官,公務員,命を守る医者,看護師,介護士,警察官,消防士,自衛官まで,いとも簡単に法律を犯して犯罪に手を染めてしまっている。

 もう一度,日本復興を実現しなければ,世界中から日本は信頼されなくなる。新型コロナウイルス禍でも,結局日本はリーダーシップを取れなかった。ならば,環境先進国として,エネルギー問題,食糧問題に答えを出し,自ら動き,そこに人とカネを集中させて,未来を作っていかなければ,本当に明日の日本はないと思ってしまう。