jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

脱輪と落輪--もう少し定義をはっきりしてほしいし,そもそも「タイヤが外れることがおかしい」という感覚を思い出してほしい

筆者の常識からすると,「脱輪」は「タイヤが溝にはまってクルマが動けなくなる状態」というイメージである。左に寄り過ぎて溝にはまる,あるいは右左折の際に後輪が溝にはまって動けなくなる,というイメージがある。

 ところが,最近は文字通り,タイヤが車体から「外れる」ことを脱輪と呼ぶことが多いようである。そもそも,筆者にとっては,タイヤが溝に落ちることは考えられても,タイヤが車体から外れることなどまったくイメージできない。

 20歳で普通免許を取って以来,前期高齢者になっている今でも,自宅の車庫で自分でタイヤ交換をしている。毎年冬場になればスタッドレスタイヤに履き替え,季節が終わればノーマルタイヤに戻す。ジャッキアップも手動,ボルトの取り外し,締め付けも手動である。4本の取り替えには1時間近くかかる。手も痛くなるし,膝も汚れる。電動ジャッキは使ったことがない。電動レンチは一度使ったが,ボルトの締まり具合が今ひとつ均一性がないように思えたので,その後は手動レンチである。ジャッキアップでクルマのバランスを考え,手動レンチで締め付け力を自分の手の感覚で掴む。もちろん,ひとっ走りした後の増し締めも必ず行う。

 高速道路を使う場合は,ガソリンを給油する際に必ずタイヤの空気圧を上げると同時に,タイヤの表面の異物やキズのチェックをする。「タイヤは命を載せている」とはまさしく名言であり,運転者の責任だと思うからである。

 したがって,パンクもしたことがないし,まして「脱」輪などまったく考えられないのである。

 実際にタイヤが車体から外れる現象は「落輪」あるいは「離輪」とすべきだと考える。でないと,「高速道路で脱輪」というニュースを聞いたときに,「路肩に寄って,さらにそこに溝があってタイヤがはまった」ようにイメージしてしまう。まさか高速道路でタイヤが外れて転がってくることを指すとは思わなかった。

 そもそも,ドライバーにとってクルマが感覚的に遠い存在になっていると思う。クルマに乗っても遮音性が高まり,エンジン音もタイヤのロードノイズも小さくなってきている。車幅感覚も低下しており,これを補助するためのセンサーとブザーがやたらとたくさん取り付けられ,さらに車体姿勢がモニターに映されるだけで,突起物への関心もなくなる。クルマによっては,自動的に駐車してしまうオートパーキング機能も装備されている。

 オートマチック車になって,エンジンが高速回転することも,坂道発進クラッチ合わせすることもなくなった。そういう音を聴きながら,クルマの調子や坂道の度合い,乗車人数や天気などの道路状況による加速やブレーキなどの効き具合を体感することで,クルマの運転感覚を養っていけた。

 今のクルマは,運転も安全もほぼクルマ任せである。最終的に無人運転車となるのなら結構だが,ここでも人間の生き物としての感覚が奪われて行き,責任感もなくなる。免許更新をするなら,きちんと教育すべきだと思うし,トレーニングや感覚チェックなども必要だと思う。

 タイヤが外れた,転がって歩行者に当たった,などというのを監視カメラ映像で見て,自分は当たらなくて良かった,といった他人事のようにテレビ報道したり,SNSに投稿したりといった感覚の麻痺についても,改めて指摘したい。