jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

中学入試と大学生--義務教育の間は基礎知識を蓄え,高校・大学で応用力を鍛える方がいいのではと筆者は考える

都内の地下鉄の壁広告として,中学入試問題が掲載されている。同じ塾が掲載を続けているが,以前と比べて問題の傾向がずいぶん変わってきた。

 以前は,正直言ってトンチを利かすか,解法を知っていなければまず解けないような複雑な算数問題が多かった。巨大な虫食い算のような出題もあった。まさに「難関校お受験」という問題に思えた。

 最近は,読解問題が多くなってきたのか,かなりの長文を読ませた後に,解決策を示し,その理由を書かせる,といった小論文的な出題を掲載している。どうも環境問題について答えさせる問題が多いように見える。

 いずれも,中学入試のごく一面だけを見せているので,全体の傾向が変わったのかどうかまでは分からないのだが,環境問題について論じることのできる小学生がどこにいるのかな,という気もして,少し複雑な気持ちになるのである。

 小学校でも取り入れられてきたアクティブ・ラーニングで,生徒がテーマを探し,そのテーマについて調べて発表し,議論する,という時間が増えている。答えのない問題でも,考えて議論するプロセスが大切なのだとする方法である。たしかに,そのプロセスは意識するようになるのだろうが,子供の間に獲得した方がいいと思われる基礎知識を学ぶ時間が限られるような気がして仕方がない。

 この中学入試と比較して大学の共通テストは,文章の虫食いに入る数字を4択で選ぶといったテクニック問題がまだ多い。じっくり論述するのは,各大学の試験にはあるが,第一次関門を突破するためのテクニックを高校の間にある程度身に着けないと,じっくり考えて答えを導き出せる能力が発揮できないまま,行きたい大学に進めなかったりする。そしてなんだかんだ言って基礎知識も雑学も姑息なテクニックも身に着けた現代風「できるヤツ」が東大に入り,じっくり論述することも研究することも公務員や医師といった社会貢献する仕事も目指さず,エンタメの世界に流れてしまうというおかしな構造になってしまっているように思える。

 エントロピー増大の法則のことを書いた(「エントロピー増大の法則」が成り立たない日本--ガラパゴス化が一層深化 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/10/1)。しかし,日本からはマネーだけが流出してしまい,疲弊の一途をたどっている。かつて,優秀な頭脳流出が問題になったが,いまや流出する優秀な頭脳すらない。

 かつての製造業のように,人とカネとエネルギーを集中してモノを作るという「形を作る」産業がなくなったのが,日本の教育方針を変化させてしまった要因だろう。汗水流して働くことの生き甲斐ややり甲斐,その達成感のようなものを教えられなくなり,目指す先を教えられなくなったために,教育段階で迷走しているように見える。

 産業も迷走,政治も迷走,そして教育も迷走。その中で自然災害は甚大な被害を及ぼすようになり,かつて人々を守ってきた川の堤防すら謀反を起こして決壊し,氾濫を引き起こす。そこに政治力がまったく働かず,地元の自助努力だけで復興が進まない状況が続いている。

 先生も大変な時代である。何をどうやって教えれば,子どもたちのため,子どもたちの将来のためになるのか,模索が続いている。文部科学省は,机上の空論で方針を出すだけで,現場のことは何もわかっていない。特に義務教育の間は,先生が生徒たちをリードして,導いてあげないと,子どもたちが迷ってしまう。明日の日本を背負って立てる子どもがいなくなってしまっている。まあ,これからの日本を支える仕事が何か,という問題もあるのだが。