職場の近くに、学校があって、元気な子どもの声が聞こえてくる。しかし「元気」なほかに、結構辛辣な言葉も多く聞かれて、ドキッとすることがある。
相手の喚呼び方でも「オマエ」呼ばわりは当たり前、これに「オメエ」「オメーら」まで加わる。
子どもが,大人びた話し方をすると,イヤミに聞こえる。大人をバカにしているように聞こえるのである。子どものくせに,忖度(そんたく)するな,と言いたくなる。
逆にストレートな子どもの言葉は,基本的に相手のことを考えない,自分の思ったとおりを言うので,相手にグサッと突き刺さる。
子どもの言葉は,普段,家庭で話されている言葉である。つまり,家庭で親と話をしている中で覚えた言葉だろう。
一般に,子どもの言葉使いもマナーも,まず家庭の中で伝えられるべきものである。しかし,今の多くの家庭は,子どもと十分な時間接することも話をする時間もない。子どもはテレビを観て育つ。アニメを観て育つ。ドタバタ漫才を観て育つ。さらに今は,Youtubeを観て育つ。酷い言葉遣いのオンパレードである。まともな言葉使いができるわけがない。
これが幼稚園や学校という場に持ち込まれると,言葉を向ける対象が同じクラスの仲間になる。当然,自分と価値観の異なる相手との間ですれ違いが生じる。
先生との間では,さらに価値観が異なるし,立場の差にストレスが生じる。これは教員側にも児童側にも双方にストレスが生じるのである。
かつては,教員側が児童をきちんと指導していた。体罰はともかくとして,きちんと信念を持って指導していた。しかし,現在は教員は児童を強く指導することができない。どういう理屈かわからないが,「教員が児童に強制するのはパワハラ」という風潮があり,指導すれば親が文句を言い始める。いわゆるモンスターペアレントである。
一方,児童の親に対して,教員が「しつけは家庭でしてほしい」と言うと,親は「しつけは学校でするもの」といった言い方をするらしい。筆者から言えば,あまりにも親が身勝手だと思うのだが,親にすれば「働いているだけで忙しい,教育,しつけは学校の役目」と思っていることが,おかしい。
教員の仕事が,筆者が子どもだったころに比べて遥かに増えている。筆者が子どもだったころは,教員の指導は絶対に正しいとされていた。実際,「先生はモノ知りで偉い」と思えたものだ。何でも教えてくれるし,尊敬できた。
しかし今は,子ども一人ひとりに合わせて指導をせざるをえない。30人の児童がいれば30倍の準備と評価をしなければならなくなっている。それぞれの家庭の事情に合わせる必要がある。子ども相手でも大変なのに,ここにそれぞれの二親が絡んでくる。かつては母親だけだったが,今は男親も絡んでくる。特に女性の教員は,児童の男親からの圧力に対してのストレスが半端ではない。
筆者は,家庭を持ったときはそれなり収入があったので,妻には仕事を辞めてもらい,専業主婦になってもらった。正直,筆者の仕事は残業当たり前で,とても子どもの教育に携わる余裕がなかったからである。妻は今でも,仕事を辞めたことを不満に思っているが,子どもがマトモに育ったのは妻のおかげだと思っている。誰かが子どもに対して100%で接しなければ,子どもはマトモには育たないと思うのである。
親が,その義務を放棄している現在,負担が教員にかかってしまっている。
まず,経済をマトモに戻し,日本の産業を復活させ,家庭をマトモにしなければ,子どもはマトモに育たないと思うのである。