jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「病院で死亡が確認」の違和感--「発見時点での死亡を病院で認定」とマスコミは言葉を選んでほしい

これはマスコミの報道姿勢についての疑問を投げかける意見である。

 事件の被害者や事故の犠牲者が発見された際,多くの方は心肺停止状態にある。そこから病院に搬送される間も救急救命措置は続けられるが,助かる命は稀である。そして死亡を確認するのは医師の仕事である。したがって,「病院で死亡が確認」と報道される。

 しかし,この表現は「病院で死亡した」と読めてしまう。死亡であることを「確認」つまり医者が死亡と「宣言」したのは確かに病院なのだが,実際は発見された時点で心肺停止状態であれば,この時点で死亡していたと認定していいかと思うのである。表現としては,「発見時点での死亡が病院で認定された」としてほしいと思うのである。

 亡くなった方の尊厳を重視するなら,真に命が停まった時を死亡時刻としてほしいと思うのではないか。病院に運ばれ,医師が確認した時が自分の死亡時刻ではないと思うのではないか。医師に看取られて息を引き取るのとは訳が違うのではないか。それをすべて医師の仕事に委ねるのはおかしいのではないか。

 仮にこれが事件だったとすれば,複数の人がどの順番で亡くなったのかが重要になる。それは死亡推定時刻であり,法医学者が法医解剖によって確定することになる。決して病院に搬送されてからの時刻が死亡時刻になることはない。当然,複数の搬送者があればそれぞれの「死亡確認時刻」は変わってくる。しかしそれは実際に命が停まった時刻ではなく,したがって順番も変わってくる可能性がある。

 その時刻の確定によっては,生命保険や相続などの問題が生じることもあるだろう。その辺りが曖昧なのが気に入らないし,気になるのである。幸いなことに,こういった事件性のある死に立ち会ったことがないが,ニュースになるような事件,事故においては微妙なことが起きている可能性もある。ある意味で,マスコミが無責任な報道をしているということなのかもしれない。

 病院に運ばれる前の段階で亡くなっていたのか,それとも病院に搬送後に亡くなったのか,その辺りをきちんと表現してほしいと思っているのである。なんでも杓子定規な表現で済ますのはおかしい。「警察と消防は◯◯の原因を探っています」などというのは当たり前の話なのであり,杓子定規に報道する文言ではないと思うのである。