jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

バーチャル集中型感性欠乏症候群--スマホ歩きは精神病である

スマホ歩きをしている人を非難し続けているのだが、見方を変えれば実に画期的な能力を発揮しているとも言えることに気づいた。それは、極度に「自己中心に集中する能力」である。

    何しろ、周りを歩いている人も、走ってくるクルマも、一切が視野に入らないほど集中してスマホゲームなどを延々と続ける能力があり、しかも、駅のホームから落ちることも、階段を踏み外すこともなく、無事に家まで辿り着けるからである。

    この集中力を活かして、eSportsの世界でお金を稼ぐ人も中にはいるが、それはごく稀である。たいていの人は、すき間時間をスマホゲームに費やすために、この集中力を活用している。

    もちろん、これは単なるオベンチャラである。

 テレビやスマホなどのバーチャルな画面で,ゲームや映画,アニメなどのバーチャルな世界には集中しやすい。ここにイヤホンで両耳を塞いでいると,さらに集中できる。

 逆に,多くのイヤホンは外部のノイズが入りにくく設計されているし,さらにノイズキャンセリング機能も標準装備されつつある。街中であろうが,電車の中であろうが,外部の音は入らず,コンテンツの音しか聞こえない。アナウンスによる注意も耳に入らない。画面に集中しているから,周囲の状況に気を配ることもない。

 これは,外部に対する感性が欠乏しているということではないか。そこで,タイトルにある「バーチャル集中型感性欠乏症候群」という病名を思いついた,というわけである。

 スマホ歩きは,精神病の一種である,と言っていいだろう。本人が気づかないのだから,治しようがない。

 かつて,テレビが子供の勉強の邪魔になると言われた。テレビのバーチャルな世界に集中してしまうからである。しかし,テレビは親がスイッチを切ることができる。時間制限をすることもできる。番組そのものも30分単位で途切れる。その都度リセットされる。

 しかし,スマホのバーチャルな世界には,時間制限がない。ゲームなど何十時間も続く。歩いていても電車に乗っていても,途切れることなく続けられる。他人がスイッチを切ることもない。したがって,より罪が重いのである。

 電車の中なら30分ぐらいで駅に到着する。そこで歩き始めるときに音を切る,という習慣を作り,歩きスマホをやめるというメリハリをつければ,この精神病から開放される可能性がある。ぜひ,自覚して,治してほしい。