jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

エンタメが日本を滅ぼす--癒しだけでは生きて行けない

今や、日本人は「癒し」ばかり求めている。その需要に無分別に便乗しているのが、テレビ業界であり、広告業界である。

    テレビを観れば、出てくるのはタレントとダンシングシンガー、日本人大リーガーだけである。特にCM に至っては、ほぼお笑い芸人で占められている。

    それを視聴しているはずの視聴者は、テレビは年寄りと主婦だけである。若者はテレビを見ない。スマホとネットで情報は完結している。

    考えてみれば、筆者は年寄りであり、テレビ世代なので、情報をテレビに頼っている。必要なニュースや天気予報は全体の1割にも満たない。したがって、「最近のテレビはお笑いばかりだ」と批判してしまうのだろう。かつて「ウェザーチャンネル」が24時間天気予報を流し続けていたのは画期的だったが、今はなくなっている。

    メディアは広告収入で成り立っている。NHKのみ、公共放送と名乗って視聴料金を徴収しているが、それなら情報番組に特化すべきで、タレントにカネを使わずにすべきではないか。

 エンタメは,一心不乱に仕事をした後に,心に安らぎを与えるためにあるものだと思う。人間は,そうやって心のバランスを取ってきたのだと思う。仕事のストレスが強いほど,それを解消する手段が必要になってくる。お酒を飲むこともその1つだし,大笑いして気晴らしすることも大事である。休日にゆっくり休むことも大事だし,非日常の映画やスポーツ,落語,音楽コンサート,ドライブ,買い物などで楽しむことは大事である。

 しかし今の人は,仕事が充実していない。日本の経済を支えてきたモノづくり産業や運輸・流通産業,商社などの大きな企業組織が崩壊した。終身雇用制が崩れ,正社員採用が減り,年功序列制もなくなった。安心して仕事に集中できる環境がなくなってきた。Youtuberがやりたい仕事の1位になったこともある。

 かつて,野球選手や映画俳優,歌手が,自分の才能だけで勝負する世界だった。100人に1人も成功しない世界だった。それが一般人の心の夢として心の支えとなり,明日の活力になっていったのである。

 現在は,野球だけでなく,サッカー,バスケットなどスポーツの種類が増えているし,役者の仕事の場も劇場やテレビだけでなく,ネットドラマなど幅が広がっている。歌手に至っては,レコード会社だけでなく,自分でネットで発信してブレークするなどのチャンスも広がっている。誰でも,スポーツ,役者,歌手への敷居が低くなったように見える。

 さらに,お笑い芸人がどんどん増殖し,エンタメがエスカレートしていると感じる。かつての落語や漫才などの話芸とは違い,ドタバタ劇,ハレンチ劇,そして大声で叫ぶだけの芸だけに見える。おそらく,集中できない仕事のストレスを解消するために,それに負けないだけの強烈なエンタメが必要なのかもしれない。これは非常に不健全な状態だと思えるのである。

 ゲームもどんどんエスカレートし,内容が過激になってきている。シューティングでも相手が消えるだけでなく,出血や身体が破裂するなどのビジュアルが強調されてしまっている。没入感も高まっているため,そうした過激なビジュアルが当たり前のようになってしまっている。

 しかもゲームの関わる時間も長くなっている。仕事終わりのわずかな時間だけでなく,通勤途中から就寝後に睡眠を削ってでもゲームに熱中する人が増えている。これでは,ますます仕事がおろそかになるのではないかと思うのである。

 そこにさらにChatGPTのような生成AIも登場した。もはや何も考えなくても今まで以上にまともに見える答えが出力される時代になってきている。ゲーム脳と併せて考えない脳が蔓延しつつあるように思われる。

 テレビが登場したころ,「1億,総白痴化」という言葉が出された。みんなテレビに夢中になって,ボーっと画面を見てニヤニヤしているだけになってしまうからというのがその理由だったと思われる。

 しかし,テレビは時間が来れば番組としての区切りが訪れるし,広告が途中で流れを遮るので,ふと自分に戻れる瞬間が訪れる。スイッチを切れば(あるいは切られれば)別の行動に移らざるをえない。「時間」を停めるという方法で区切りを付けることができる。

 一方インターネットは,区切りを付けることができない。電車に乗っていても,果ては歩きながらでも,ゲーム,動画(映画,Youtube)を続けることができる。イヤホンまでBluetooth化することで,スマホに触らなくても音楽を聴き続けることもできる。

 逆に,「誰でも作家」「誰でもカメラマン」「誰でも映画監督」のために時間を費やすようになっている。ネットを通じて情報を発信し,そこに視聴者を集め,そして広告収入を得るという“ネット大道芸人”が,次から次へと生まれてくる。親が子どもをダシに使ってネット動画のアップを手助けするケースも多い。自己表現する,あるいは自己主張するだけの人生では,個人は潤っても国は潤わない。特に日本人の発信するエンタテインメントは,国際社会にはほとんど通用しない。日本という縮小する市場の中でしか受け入れられないエンタメの世界に,なぜこれほど安易に手を出すのかと考えてしまうのである。

 さらに「誰でもカメラマン」が発展して「勝手に個人情報アップ」して,他人に無意識に危害,被害を与えている可能性も指摘できる。これまで自分の趣味としてその瞬間の記録として使われてきた写真やビデオが,他人の中傷やイジメ,果ては犯罪にまで利用されるようになっている。スマホによる盗撮などが繰り返されるのも,個人の記録ではなく,その情報をカネに変えようというさもしい心理がなす犯罪である。

 もちろん,個人だけが悪いわけではない。経済が低迷しているのは国の施策の貧困さも原因にある。目先の収入を得るために,仕方なく犯罪まがいの行為に手を出してしまう可能性は否定できない。それをコントロールできる親子や教育の歯止めも効かなくなっている。

 今,自分の24時間をどのように使っているか,もう一度見直してみるタイミングかもしれない。児童・学生なら,学校での学びの時間は何のためかを考えてみてほしい。そして社会人は,個人の域を越えて,日本という国が今後世界の中でどうあるべきか,と考えて行動してほしい。

 そのためには,時間の使い方をもう一度考える必要があるのではないか。エンタメに脳を支配される前に,自分がどう生きるべきかをもう一度考えるべきではないか。