jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

芸術は「現実逃避」の文化--ネコも杓子も小説や動画にうつつを抜かす現在

筆者は基本的に科学やサイエンスの情報をフォローしている。ニュースサイトでも,トップの一般記事は見るが,次に見るのは科学・サイエンスの分類タブである。

 昨今のこの科学・サイエンスの話題の半分は,新作ゲームソフトの話題である。ゲームソフトはたしかにコンピュータサイエンスの結晶なのだが,あくまでもゲームなので,ゲームをまったくしない筆者にとってはまったく関心を引かないし,ただスルーするのだが,その時間さえムダに感じる。

 芸術に関わっている方には申し訳ないが,筆者にとっての芸術は人生のプラスアルファの部分である。人生を一生懸命生きているほんの少しの合間に,リラックスできる時間を持つためのコンテンツである。したがって,スイッチを押せばすぐに情報が飛び出てくるテレビや携帯電話,パソコンなどは,筆者にとってのエンタテインメントである。

 ところが,まずテレビ番組が本当にくだらない内容になってきた。NHKを含めて,MCにお笑いタレントが席巻し,ガチャガチャと進行する。ゲストにはほぼ一般人のお笑いタレントを集め,どうでもいい意見をしゃべらせる。話すのが商売だから話が長いわりに,まったく内容のないコメントをされる。クイズ番組も,超難関な知識をひけらかすだけだし,100人に聞きました,と言っても何の意味もない統計だったりする。

 スマホは,使っている人の半分以上がゲームである。通勤途上の30分をたとえばゲームをするのに使うのは勝手だが,終着駅のアナウンスが聞こえても,電車が止まっても,まだ画面に集中したまま。扉が開いても画面から目を離さず,片手で網棚から荷物を降ろすので,それが頭の上に落ちてくるし,振り回し背負いをするので,反対側の肩紐がムチのように飛んで来ているのにも気づかない。そしてそのまま歩きスマホである。周囲のスピードに合わせることもなく,自分のペースで歩かれるので,邪魔になって仕方がない。

 残念ながら,人生にまだ余裕がないので,劇場や映画館,美術館などに足を運んで時間をかけて鑑賞する,という気持ちになれない。レンタルビデオすら借りに行くのが面倒だし,ネットワーク映画もログインして選択するまでが煩わしい。筆者にとってはVTRとそれに続くHDDレコーダーによるタイムシフト録画鑑賞が神のようにありがたかった。

 さて,昨今の小説にはまったく興味がない。時間を掛けて読むほど文学的な価値があるとも思えないし,将来まで文学として残るとも思えないからである。

 映画も同様で,アクションものもCGものも時代ものも,すべてバーチャルな世界で,しかも楽しいバーチャルではないと思えるものが大半であり,観ない。かつてはSFの世界で行けない宇宙の旅だったりミクロの世界に入ったりと,ワクワクする映画があったが,昨今の映画はどれもCGを駆使し,極端なカメラアングルを使い,激しい画面展開を押し付けてくる。ゲームすら拒否している筆者には,スピードがありすぎる。

 しかも,原作がコミックだったりすると,わざわざこれを実写化する必要があるのか,という思いと,コミックだから展開できるありえない世界をこれでもかと見せつけられるのにうんざりする。やたらとタイトルが長かったりするのも,知性を感じない。

 一方で,かつてのハリウッド映画の手法の1つだったマイノリティを取り上げる映画が世界に広がり,万引きや清掃員といったテーマで何となく物珍しく見せて評価を得ようとする傾向が強くなっている。

 ネコも杓子もするという,片手間で書かれた小説や,自ら語るYoutube動画など,筆者にはない才能を展開できるプラットフォームが,インターネットの普及で使われるようになった。筆者のこのブログも,いつか誰かの目に留まって,日の目を見てもおかしくないと思ったりしている。

 しかし,インターネットは規制のなさすぎるメディアである。玉石混交というより,意図的なフェイク情報を簡単に発信できる。文字だけでなく,画像,音声,そして動画まで,昨今の技術でフェイク情報として発信される。今の若い人にとってはこれが当たり前のメディアなのだが,情報の正しい選択ができているかどうか不安である(もちろん,年寄りは詐欺に遭いがちである)。

 かつて,映画俳優も歌手も芸人も画家も小説家も,普通の仕事ができない人が人生のどん底で出会った仕事である。最終的にはスターになれたとしてもそれはほんの一握りで,ポッと出で成功した人はいない。ほとんどの人はそのまま消えてしまったものだ。

 今,何かしたいと思えば,インターネットのサイトに投稿すれば情報発信できる。一方で,情報に飢えているメディア側も血眼になってインターネットサイトを探索し,売れそうなネタに飛びつく。カリスマ◯◯などは,かつて独自のメディア方針を持っていた出版社やテレビ局,広告代理店が,苦肉の策として作り出した虚像である。1年間テレビに出演させて,数冊の本を出版して,それでおしまい,という使い捨ての情報である。筆者としては,自分の信念は通したいと思うのである。

 映画もコミックもアニメもゲームも,筆者にとっては「現実逃避」の文化である。作る側になる能力もなければその気もない。世界中に広がったコスプレや,人気アニメなどが「これが日本の文化だ」と思われることに正直言って抵抗がある。世界に対して貢献できているとは思えないのである。

 世界に貢献できるのは,政治力や経済力である。文化力ではないと思う。文化力は人生のオプションである。政治力のない日本が世界に進出できたのは,戦後の経済発展による経済力であり,そこに費やされた技術力である。混沌の21世紀に,日本が世界に貢献するには,エネルギーや食糧分野での技術開発だと思うのだが,残念ながら投資能力がない日本では宝の持ち腐れになってしまっている。