jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

東日本大震災から13年などと言っても教訓が何も生かされていない--ミネラルウォーターの買いだめなど一時的な行動に過ぎない

2011年3月11日の東日本大震災から13年という日に,さまざまなイベント,さまざまな報道がなされている。13回忌という意味なのだろうか。しかし,阪神淡路大震災からも29年など,何年経っても,当事者の記憶から災害の光景が消えることもないし,非当事者にはほとんど関係のない出来事である。

 筆者にとっては,故郷の実家が半壊の被害を受けた阪神淡路大震災が,人生の中で最も大きな災害である。家具が散乱し,壁が剥がれ落ち,便器がひび割れたその光景は今でも鮮明に思い出す。実家の前の2階建てのアパートの1階が崩壊し,友人の実家も1階が崩れ,馴染みのお米屋さんの前のマンションが傾いた。国道を跨ぐ立体交差道路の橋桁の鉄筋が曲がってむき出しになっている光景も見た。

 阪神淡路大震災の後,建築基準が改定され,より地震に強い家屋が建てられるようになった。しかし,地震に強くても津波にはまったく無抵抗だったことは,東日本大震災で明らかだった。能登半島地震では,阪神淡路大震災のときのような大火災と,東日本大震災のときのような津波原子力発電所の故障,そして新潟地震などで起きた液状化現象など,過去の地震災害のあらゆる面が同時に発生したが,ほとんど何の教訓も生かされていないことに愕然とする。

 そして,千葉県で発生している群発地震では,ミネラルウォーターの買い占めが始まっている。結局は,自分だけのことしか考えないという体質はまったく変わっていない。少なくとも,千葉県民は東日本大震災の影響で液状化現象が各地で起きており,これによる停電や断水を経験しているはずである。日頃の準備をまったくしていなかったことを証明したようなものである。

 筆者を含めて平和ボケしている日本人は,情報ばかりが周囲を飛び回っていて,それを見て聞くことで「やった気持ち」になっているのかもしれない。したがって,相手をだます卑劣な犯罪が後を絶たない。デマ,オレオレ詐欺フェイクニュース,コンピュータウイルス,そして災害復旧を語った振り込め詐欺など,明らかな悪意のある犯罪を起こす人間が横行する。

 一方で,これと同時に国民を騙すモノづくり,流通,農水生産者も横行する。検査不正,横流し産地偽装なども後を絶たない。研究者の論文不正,フェイクな発表も,信じられない思いである。

 さらに,聖職であるはずの教員や宗教家,法律を守る立場であるはずの弁護士や裁判官,国民の命を守るはずの警察,消防,医師,さらに国民の代表として仕事をしているはずの国会議員までが,性犯罪,脱税といった犯罪を起こす。

 そして作られた法律や制度すら,一時しのぎだったり,根幹から間違っていたりする。たとえばNISAなどは,国民からカネを出させて金融関連機関のマネーゲームを助長し,さらに投資家と呼ばれる相場屋のマネーゲームで経済をおもちゃにしていたりするし,電動キックボードなどの新たな危険な乗り物を許可してしまう。さらに,日本の教育の根幹となっている学習指導要領すら,旧統一教会文部科学省を操作しているという疑惑を否定できないことが明らかになっている。

 現在はお遊びのように浮かれている「生成AI」が,もっともらしいフェイク情報をどんどん発信し始めるだろう。それをフェイクと判断するのは,非常に困難である。すでにフェイク音声,フェイク画像,そしてフェイク動画も流布され,特に実在の有名人すら乗っ取られてしまう危険が現実になって来ている。たとえば不謹慎ながら,先日亡くなったTARAKOさんの声などは,これまでのちびまる子ちゃんのアニメを学習させればものの見事に生成されてしまうと思うのである。

 文字という情報,音声(声)という情報で,人間は簡単に騙されてしまう。テレビや写真といった画像・映像は「真実」だと思い込んできた筆者だが,デジタルカメラスマホの画像が内部ですでに補正されていたり,複数の画像から合成されるような時代だし,zoom会議などでもアニメキャラクターのアバターから本人とほぼ分からないほど精巧なアバターに代わりつつあるのを見ると,写真の人物,電子会議の相手すら,本物であるかどうか,いちいち疑ってかからなければならなくなる。

 リアルな自然災害に遭っても,その被害を最小限に抑えるとか,インフラが戻るまでの数日間を生きる準備をするとか,災害からの復旧をスムーズに行うとか,結局そのハード面は一過性に終わっており,1年過ぎたら忘れてしまうような内容である。

 東日本大震災で特に被害をもたらした津波も,シミュレーション映像が作られて東京の半分が沈むと表現されても,「わぁ,大変だ」と思うだけで,それ以上の行動につながらない。地震で家が潰れないこと,津波が来ても流されないこと,山崩れが起きないこと,などをただ希望的観測をするだけに留まっている。

 これは筆者の自戒の気持ちでもある。たしかにペットボトルの水を買ったり,ポータブルの大型バッテリーを買ったりして,一時的に備えたつもりになってはいるが,これを継続し,繰り返し,バージョンアップし,と思っても,すぐにそれを忘れて現実問題に引き戻されてしまう。

 健康,仕事,家族,財産など,永遠に続くと思いたいものでも,常に変動し,劣化し,そして破綻の日は突然やってくる。病気にならないように注意していても,いつどこで骨折して入院しないとも限らないし,その入院がきっかけで認知症状が出たりするなどの連鎖の可能性もある。こういうことをすべてシミュレートすべきなのだろうが,そのような余裕は,今の日本の特権階級の人以外の一般庶民にはないだろう。慌てふためいても,「大変ですね」と声を掛けるだけで終わってしまう。法律による補助も期待できない。

 フィンランドの国民のほとんどが別荘を持っているという話を紹介した(保守だけでは維持できない日本--人材育成,産業育成で「日本を潰すわけにいかない」と世界に思わせる政策が必要 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/1/24)。これは贅沢のためではなく,ヨーロッパで戦争が起きたときに国民自身が拡散して被害を最小限に留めるための工夫だという。そういう危機感を常に持っているのである。人口減少が進む日本で目立つ空き家が,災害時に生かされないのが本当に残念である。2軒目の家を確保し,災害時には自主的に避難して災害関連死を防げるような,補助政策も考えてほしいと思ったりする。