jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

生成AIで事務系補助業務の要員が不要に--形を作る・新しい発想という前向きな創造性が求められる

デジタル化のためにはリアルを知っておく必要があると筆者は書いた(リアルがある限りAIは人間には勝てない--しかしAIに勝つためにはリアルを捨ててはならない - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2024/3/19)。インターネット上の情報をかき集めて,そこからもっともらしい答えを拾って組み合わせて提示するのが生成AIなので,「情報」というデジタルな状態になった素材しか,生成AIは使うことができない。自分で何か新しい発想をしたり,形のあるモノを作ったりすることはできないのである。

    モノをただ作るだけなら、これまでもロボットが作業してきた。したがって、ただ素材を削ったり、組み立てたりするような作業は、今後も減って行く。

    つまり、自分で考え、五感で感じながら進める創造作業だけが、人間に残された作業である。新しいモノを考え、今までにない方法でやってみる。正解を出すのではなく、失敗もそのプロセスなのである。

 手を動かしてモノを創造するという意味では,芸術も人間に残された仕事の1つかもしれない。デジタルな画像や3D映像,動画はAIでも作れるかもしれないが,モノの上に絵の具などを積み上げたり,彫刻,塑像など,形を作る芸術は生き残るかもしれない。音楽も,単に音を出すだけならAIでできるが,演奏というスタイルや楽器を越えた音作りなどはAIでは実現できない。話芸などのエンタメも,表情や表現が意味を持つ。音だけでは伝わらないものを持っている。ただし,芸術・芸能では人類は生きていけない。生きるための必要不可欠な要素ではない。

 漁による水産業は,持続可能性を失ってきている。地球温暖化,海水温暖化,そして化学物質やプラスチック,酸性雨による海洋環境汚染により,生態系が破壊されつつあるからである。持続可能な陸上養殖を含めたモノづくりの知恵が必要だろう。生き物が相手だけに,AIでは知り切れない要素がある。農業も,工場化などによる効率化が必要かもしれない。

 AIに取って代わられるとされる可能性が高いのは,事務系の補助業務である。現在,PCやコンピュータが後工程を自動的に処理している業務の窓口が,AIによる対応になる可能性が高い。すでに切符券売機や改札機,銀行ATM,無人レジなどが自動化されている。これらの無人化に伴う犯罪も増えていることから,ここにAIが組み込まれることによって詐欺や無賃乗車などを的確に抑えることができるようになるだろう。

 企業の経理業務や総務業務も,すでに社員からの電子申告でデータが勝手に収集されている。事前案内などの作業も電子化されている。対面での仕事が極端に減っている。

 営業業務は,迷惑行為に捉えられつつある。購買者が自分で情報を調べ,価格を比較し,通販で購入を決定できる時代である。営業による情報が,ノイズと捉えられたり,行き過ぎた行動と捉えられることもあり,逆効果になる可能性も出てきた。当たり前のように流されていた広告映像なども,単なるアイキャッチやイメージ広告だけになり,お笑いタレントの使用で拒絶反応を起こす商品も出てくる。すでに,テレビでもインターネットでも広告スルーが当たり前になってきている。

 企画部門も,新しいニーズを掘り起こす補助手段としてAIを活用することは問題ないが,それで感心していては何も進まない。ここからは人間の想像力,創造力が必要である。漫然を日を過ごしていては,やることがなくなってしまう。企画の主体,中心になってリードしていく人がどんどん出てこなければ,人類は停滞してしまう。

 医療分野ではすでに,患者の顔色すら見ずに検査の数値だけで判断するような医者は不要になるだろうし,処方も自動化,処方薬の提供も自動化,という動きも実際に出ている。裁判も,専門職の裁判官だけでは判断できないとして裁判員制度が始まった。一般の判断を参考にしたいというのなら,AIで十分だろう。裁判官そのものも不要になってくるかもしれない。医療,裁判という分野はすでに,見る側と見られる側に明らかな立場の差があり,見られる側の人権は無視される傾向がある。医療分野では,間違いが起きて患者が死亡しても,医療側の責任は問われない。裁判では往々にして被告側が敗訴し,その判決に対する控訴が行われ,裁判が長引き,結論が出ない。最高裁判所では憲法判断が行われ,結局は憲法改正論まで発展し,堂々巡りしているだけである。これほど無駄なプロセスはないのではないだろうか。

 政治分野も,「記憶にない」「上まで情報が上がってない」で人に責任を押し付けて責任逃れする。ここがAIで管理されれば,間違いが起こらないし,間違いが起こる前に発覚する。もともと,権力によって実態以上の金銭を集めるのが政治家という仕事である。ウマミがなくなれば,面倒な政治をしようとする人すらいなくなるかもしれない。AI政府はどのような政治をするのか,自民党が崩壊したらぜひ構築してみたいものである。

 一方で,教育分野は,絶対にAIが入ってはならない領域である。本来なら,デジタル教材も,情報過多になった教科書と学習要領も不要で,先生,教員がしっかりと学習方針を決めて人生を指導すべきもののはずである。知識を得,考えたり調べたりする方法を知り,仲間との協力や切磋琢磨の中で自分の生きる道を見つけて,その興味や才能を引き伸ばしてやるのが,教育の本来の姿である。最適解とやらをはじき出すだけのAIに,教育はできない。

 しかし,今の教育は「最適解」として「一流大学合格」を目標にしているため,すべての方法がレールに載ってしまっている。レールから外れたらそのまま落ちこぼれだし,浪人すら許されない。膨大な量の教科書の知識を限られた時間数で教え込もうとする。その大学に入れることだけが目標になっている。友人と過ごす,実験をする,部活で汗を流す,そういう創造的な活動が制限される。もっとも,生まれてすぐにテレビやパソコン,スマホ,ゲーム,アニメという非生産的なメディアが周囲にあり,そこに入り込んでしまって社会的な経験がないまま,学校という共同生活の場に入れられては,適応できないのも分かるような気がする。

 結局,デジタル化によって,人同士のコミュニケーションが疎かになったことが,生成AIというとんでもないバケモノを作り出してしまったのではないだろうか。人と相談できないからAIに頼る。自分の経験や考えをこれまでにリアルに育ててきていないために,AIの出してきた答えに“感動”して飛びついてしまう。ゲームでもアニメでも同じである。テレビも,かつての「遠くにあるリアルを手元で表現する」という役目から,ただの表示装置に成り下がってしまった。放送する側の意志の欠如である。

 2024年は,日本の政治が変わるだろう。いい方向に向かうのではなく,カオス(混沌)に向かうだろう。そして世界も変わる。アメリカのトップが変わろうと変わるまいと,政治は混迷し,ロシア,欧州NATOとの関係も一気にバランスが崩れる。漁夫の利を得ようとする北朝鮮,その間を縫って中国が指導で第二の国連が誕生するかもしれない。もっともそれは,中国の軍事力の下に力で組織化されたものであり,西側諸国は単なるオブザーバーとなった組織である。ここに,アンダーグラウンドイーロン・マスクマーク・ザッカーバーグジェフ・ベゾスなどが闇市場を支える。

 求心力のない日本は,行き先を失ってしまうのではないだろうか。能登半島地震からの通信復旧にすら3ヶ月もかかり,いまだに生活インフラ復旧ができないようなハード側の能力不足が顕著である。姑息な国産AIだの国産ロケットだのの資金を,国策としてのエネルギー,食糧生産に早く振り向けなければ,日本の未来はない。