jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

政治家は,発言すべき言葉と発言してはならない場をわきまえなければ政治家としての資質も資格もない--Xでの不適切発言は,指摘する側も場を間違えている

下水道にマスク流す人へ、市長「人間が腐ってきてるな」とX投稿…批判受け削除 (msn.com) 。長野県飯山市の江沢岸生市長のXへのコメントに対して,市議会3月定例会の一般質問で見解を聞かれた,というやり取りである。副市長と教育長が「少しきつい表現」「人権侵害に当たるのではないか」と答弁し,市長が陳謝し,Xの投稿を削除したという。

 まず,下水道に流すことを含めて,道端などにマスクを捨てる,あるいは落としてもそのまま放置する人がけっこうたくさんいることは,日本人のマナーの悪さである。マスクに限らず,ゴミも平気で捨てる。以前はタバコのポイ捨ても多く見られたが,昨今の電子タバコによりタバコの吸い殻は減った。それでも,道路での喫煙を禁止している東京都千代田区では,裏通りを中心に喫煙監視員を配置し,ほぼ1日中監視をさせている。

 「人間が腐っている」という表現は,市長が言うように「人権侵害」には当たらないと思う。「物理的に腐敗をしている人間」も確かに存在する。また死体は基本的に腐敗が進む。亡くなった方にももちろん人権がある。しかし,市長の意図することは「根性が腐っている」「心根が曲がっている」という意味であり,物理的な腐敗を言っているわけでもないし,これを物理的な腐敗と理解して詰問することは,いわゆる「揚げ足」取りのように筆者には聞こえた。

 言い訳するわけでもなく,謝罪してXから削除した,というのは,最低限の対応だったのかもしれない。

 もう1つ言えば,市長という公職にある人間が,軽々しくXなどのSNSに発信すべきではないということである。これは常識の範囲の大前提である。したがって,Xに投稿すること自体が「常識がない」と言うことはできるだろう。その中で,あまりにもストレートに意見を述べて,その表現がやや不適切に取られかねない,という点で,情報発信能力が不足していた,ということもできるだろう。昨今の政治家の不適切発言が続いていることともつながっている。言葉に対する感覚が鈍っている。

 政治家は,言葉や話術で民衆を率いていくのが仕事である。その政治家が,言葉の使い方を誤っていたり,言葉に対する感覚が鈍感になっているようでは,正直言えば政治家としての資質も資格もなくなったと言えるのではないか。指摘されてからでは遅い。指摘された時点で,すでに資質を失っていると言える。これをさらに言い訳したり,「記憶にない」というのは,すでに資質どころか,認知レベルで問題があると言わざるをえないだろう。政治家自身が自覚して,自分の進退を決めるべき話である。

 議会の場は,この不適切さを指摘するべきではない。そんなことに時間を使ってはならない。もし不適切だと思うのなら,不信任案を提出し,審議し,結論を出すべきだろう。国民,市民は余計なやり取りは聞きたくないし,そんなことをしている時間はないはずである。あまりにもお粗末な政治家であり,議会である。

 それにしても,ゴミを捨てる日本人のマナーのなさには,筆者も残念でならない。海外からの旅行者が「日本はゴミがなくてきれい」とよく感想を言うが,それはゴミを捨てていないからではなく,ゴミを拾う仕事をする人がいるからである。自治体の職員が業務として担当している場合もある。一部の会社は,近所のゴミ拾いをボランティア的にやっているが,それは自分たちの会社の客に対する礼であり,自分たちの利益につながるからである。決してボランティア(自主的奉仕)ではない。地方の自治会でも,せいぜい月1ぐらいである。

 筆者はボーイスカウト活動に参加していたので,ゴミ拾いのボランティアも定期的におこなっていた。小さいころから,ゴミのポイ捨てが多いことに気づいていた。子供心にゴミは捨ててはいけないという意識が育っていたと思う。しかし,いまやゴミ拾いはゲームにして競わせたり,ポイントを付与するようなイベントにしなければ,参加することもない。

 「三つ子の魂,百まで」ということだと思う。今,子供のころに十分な社会学習が与えられていない。他の人のことを気遣うとか,迷惑をかけないとか,そういう基本的な教えができていない。こういうのを何でもかんでも「しつけ」という一言で片付けてしまうから,暴力的,言葉的,心理的な虐待まで「しつけ」と定義されてしまう。親が見本を示せなくなっている以上,その親の行動を見聞きしている子供も,大切なことが身につかない。

 今回のことで,筆者からはため息しか出ないのである。