jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

芸能人のプライバシーもコメントも要らない

芸能人は芸能活動をするのが仕事なのではないのか。芸もでき,コメントもでき,ドラマの演技もでき,ときには小説も書き,などというのをマルチタレントと呼ぶのだそうだが,芸一筋で精進している方よりも,まるでマルチの方が偉いみたいな扱いである。筆者は,愚直に一筋の方を支持したい。

 筆者と同様,皆さんブログを綴って,世の中の出来事にさまざまなコメントを発信されている。芸能人=有名人ということらしく,芸能メディアであるマスメディアまでが常にブログをチェック,気になる発言があると,いかにも自分たちでインタビューでもしたかのようにメディアのニュース欄に取り上げる。これをまた,ポータルサイトがかき集めて自動的に表示させる。

 マスメディアの代表であるテレビは,ワイドショーでコメンテーターとしてこのマルチタレントを招聘し,番組の中でもコメントさせる。これをまたブツブツに切り刻んで芸能メディアやポータルサイトが表示させる。

 マルチタレントによる社会問題に対するコメントは,適切なのだろうか。何か価値があるものなのだろうか。ただタレントだから視聴率が稼げるということだけなのではないのか。コマーシャルに芸能人を使うのと同じ発想なのではないのか。

 弁護士が法律の立場から法律問題にコメントする,医者が医療の立場から医療問題にコメントする,元プロスポーツ選手がプロの経験からスポーツを評論する,これは大いに結構である。マルチタレントを呼ぶ必要があるのだろうか。

 一方で,多くのメディアが芸能人のプライバシーを発信する。誰と誰が付き合っているとか,結婚したとか,その辺りまでは,タレントの挙動に関心のある人も多いだろうから構わない。しかし,その後の妊娠しただの子供が生まれただの,学校の参観に行っただの,そんなことは必要あるのか。プライバシー情報は,ハラスメントと紙一重である。そんなことばかり追う仕事って面白いのか。ただのパパラッチではないのか。正直,パパラッチ行為は犯罪である。人のプライバシーは,たとえ相手が芸能人であっても侵してはならない領域である。まして,その家族のことまで報道するのは,犯罪である。

 テレビが自らの矜持を捨てたところからこの芸能人頼みのビジネスモデルが始まった。今や,独自企画も新しい切り口も何もない。視聴率も広告収入も,インターネットメディアに負け,個人ブログ発信に負けた。そこで,独自取材を捨ててインターネットで発信される情報を検索して探し,いかにも自分が見つけてきたような情報として発信する。企画会社が持ち込むアイディアをそのまま採用し,ネット発信者を「カリスマ○○」として持ち上げ,これを出版社に売りつけて本を書かせ,そして1年でポイ捨てする。これの繰り返しである。多くの出版社もこの「おこぼれ」で書籍をまとめて売り抜く,というビジネスモデルに頼っての自転車操業である。

 政府や記者クラブの発表だけを報道するだけでもダメである。自分で考え,自分の足で歩き,自分で話を聞き,自分の言葉で情報発信する。それがジャーナリズムではないのか。広告収入に左右されず,情報の中身で勝負できる時代にもう一度戻りたい。アフィリエイトで年間何十億円も稼ぐことが,幸せだと感じるような時代は,筆者には合わない。