jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

SNSを再考する--アンチメディアの造語かと思われる

SNSという単語が何の注釈もなく当たり前に飛び交っている。ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略だというのだが、Wikipediaによると英語圏でこの短縮語も約さない言葉も使わず、social media またはsocial と言うのだそうだ。

   さまざまな種類がある。筆者は、家族連絡でLINEを使う以外は、アカウントはあってもほとんど見ないし、情報発信もしない。そもそも、不特定多数とつながる必要性を感じないし、まして不特定多数に個人的に情報発信するつもりもない。はてなブログは、日記であり、自分の思いつきのメモである。ときどきご賛同もいただきありがたいが、基本的にはジジイの独り言である。社会とつながろうと思っているわけではないし、まして、アフィリエートで金儲けしようとも思わない。スポンサーが付くのは、逆に言論の自由を損なうので不要、という考えである。

   かつては「チャット」ソフトというのがあった。登録した人同士がショートメッセージで会話するだけの機能である。プライバシーも守られる。誰でもに公開することもなかった。今や、発信側が不特定多数に向かって自分のプライバシーを公開している。そこに誰が入って来てもおかしくないのに、その危険を考えない。むしろ、自己アピールしている。街中で派手な格好をして目立とうとしているのと同じなので、筆者にはとてもできない。今の若者はそれほどにネットでの出会いしか求めないのだろうか。これは、少し前の援助交際ソフトとほとんど変わりがないと、思うのである。

   それにしても、SNSというありもしない言葉を、さもGAFAが作ったありがたいシステムであるかのように、また何でも省略するのが好きな日本人のクセを利用して広めたのは誰だろう。どうせアンチメディア系のコメンテーターの誰かだろう。無責任に使ったことにまた大手メディアが食いついたといういつものパターンだと思う。浅はかだと気づかない不幸が日本のメディア人にある。

 メディアとは,仲介とか媒介とかいう意味であり,情報であればそれを相手に伝える手段はすべてメディアである。今のSNSは,自らが情報発信者になれる点が,これまでのメディアとは異なるところであり,自分が主体となった「メディア」なのだと思う。ここはきちんと「ソーシャルメディア」だと宣言して「不特定多数に自ら情報発信する」側になればいいと思う。 

 「SNS」という言い方で逃げているように思えたのは筆者のヒガミだろうか。このブログも含めて,すべてのソーシャルメディアの情報は,これまでのメディアからすれば「クズ」である。ただ,そのクズを集めて分析することで新しい知見が得られていることも事実である。これをビッグデータといい,データサイエンティストという新しい仕事ができていることも事実である。しかしこの状況は「カオス(混沌)」でもある。マークシートや雑学で過ごした次の世代の人たちが,多くは情報を利用される側になってしまうのかもしれないという危機感を感じる。