jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

開会式演出で惜しかったこと

2021/7/23東京オリンピック2020の開会式が開かれた。パフォーマンスの途中で雨が降り始めたが,選手入場以降,雨が止んだのは本当によかった。オリンピックのスタートはまずまず支持されている,ということにしよう。個々の演出については良い点もあれば疑問点も多々あるが,あまりコメントはしないでおくことにする。全体の運営について,惜しいと思った点について2つ記述しておきたい。

 1つめは,せっかくの無観客開催を逆手に取れなかったことである。筆者は,無観客になったことで,選手の入場をまず先に行い,選手が観客席に移動してから,パフォーマンスを高い視線で見られるようにすることが望ましいと考えていた。前半のパフォーマンスや映像を,選手は競技場裏の控えスペースでモニターだけで見ていたことになる。これは気の毒なことである。入場しても,観客がいないなら,まず選手たちを入場させ,それからパフォーマンスを見てもらう,という順番変更をしてもらいたかった。子供たちがブロックを並び替えてシンボルマークを作るパフォーマンスなど,結局何をしているのか,フィールドにいては分からなかったろう。

 最終入場した日本人選手団が中央に陣取り,先に入場した選手団は端の方で座ってしまうというレイアウトも,残念だった。フィールドのどこにいても見えるような大型ディスプレイがあったわけでもなく,安っぽい演出になったように思える。

 2つめは,橋本組織委員長とバッハ会長の挨拶が長すぎたことと,橋本委員長の挨拶が日本語だったことである。ここは英語でスピーチすべきところだろう。選手に橋本氏の言葉が届いたのだろうか。もったいないことだと思った。せめて逐次通訳でもいいから,英語での挨拶をすべきだった。

 筆者には意味が伝わらなかったのが,森山未來氏のダンス,タップダンスパフォーマンス,上原ひろみ氏のジャズ・ピアノによる市川海老蔵歌舞伎。いずれも不要な気がする。そしてテレビカメラクルーのようなパントマイムと劇団ひとりのスイッチングパフォーマンスは,意味不明で不要だった。ドローンによる地球儀パフォーマンスも正確さはよかったが地味すぎた。選手を観客席に移していれば,フィールド上ででもパフォーマンスできたろう。

 最終聖火リレーにおいて,長島茂雄氏は車椅子あるいはセグウェイでの移動でよかったのではないのか。本人の希望どおりだったと思うが,筆者には痛々しく見えた。そして,最初から置いてあった富士山を形どったと思われる聖火台は,あまりにも貧相だった。せめて,聖火点火時に会場の中央に移動させて点火すべきだったのではと思った。

 1964年のときと同様,和風演出で通すような統一感がほしかった。多様性を表現するには中途半端だった。上下方向の動きを実現するためのハードウエアの仕掛けを作る時間がなかった。プロジェクションマッピングもフィールド中央だけで規模が小さかった。

 入場行進で国と国の間のソーシャルディスタンシングを図ったとあるが,果たしてこれで十分だったろうか。フィールド上でのソーシャルディスタンシングはできていたのだろうか。入場前の会場裏で密状態になっていなかっただろうか。開会式で感染,ということにならないことを祈りたい。それにしても,中央アメリカやアフリカ,島国など,ふだんほとんど聞かない名前の国の選手が公平に参加できる唯一のイベントがオリンピックだということを改めて感じた。参加各国の選手の皆さんには,最高のパフォーマンスをされることを改めてお祈りしたい。