jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

トランスジェンダーの心の課題と,マイナンバーによる制度確立の提案

筆者は、典型的なステレオタイプ人間である。男性の視点で世の中を見、女性との共存の方法を真剣に考えている。男女差別の問題になかなか解決策が生まれない。教育、本人の意識、男性の協力などの方法論はあるものの、性差、特にセックスに対する褒美と我慢の関係がクリアできない。男性はもう少し、女性の立場を理解すべきだが、女性はどうすればベターなのかの結論が出ない。

 結局、加害者としての男性、被害者としての女性という構図が変わらないのが本質にあることは変わらないのである。

 この問題がまだ日本では十分に解決されていない中で、性の多様性を持ち出すことは、解決がますます難しくなる。特に、心が女性というトランスジェンダーの方の行動について、たまたま報道があったので、考えてみることにした。

 その前に、逆のトランスジェンダー、つまり、身体は女性、心は男性という人はどれほどいるのだろうか。おそらく、女性的な服は着ず、化粧もしない。仕事をバリバリすれば、周囲からも認められ、高い位置にも行ける。男性の格好をしてもいいが、そのままでも不自由はなさそうである。トイレも風呂も女性用を使って静かにしていればいい。

 しかし、心が女性というトランスジェンダーはそうは行かない。女性に近い服装や化粧をしても、所詮は男性が化けた風にしか見えない。女性の格好でトイレに入れば怪しまれる。ましてや、女風呂に入ることはできない。「トランスジェンダーの権利」と単純に言っても、一方的にしか聞こえないのである。つまり「女装した男性」にしか見えない。男性としての性行為もできるのに、トイレや風呂の使用は無理である。

テレビに出ていたトランスジェンダーの方は、20代からミニスカートで70歳を越えてもミニスカートがトレードマークになっている。心は女性であることを形で示しているとのこと。しかし、個人攻撃ではないが、女装と変わらなくしか見えない。同じ年齢の女性がする格好ではない。オバサン、オバアサンという女性像を自ら否定しているのではないのか。

 逆に、女性はこういう服装と格好をすべきという極端なステレオタイプ人間にしか見えない。自ら女性を自負しての行動か、化粧とセックスアピールだとすると、それこそ女性を愚弄していないか。一体、どういう仕事をしてきたのか。

 トランスジェンダーが安心して利用できるトイレの設置を自治体などに呼び掛ける運動をしているという。具体的には、トイレを3種類設置する以外に手はない。男性トイレに女性の格好をして並ぶ訳にはいかないし、女性トイレに女装風に並ぶ訳にも行かない。性転換をしても、残念ながら男性らしさをなくすことはできない。そこに、問題の本質がある。

 残念ながら、男性は加害者、女性は被害者という立場はどの時代、どの国、どの主義、どの思想においても変わらない。トランスジェンダーの典型が、中国における宦官だろう。権威ある王の側に家来として使え、王の性の欲望のはけ口として自分の肛門を使わせる。従順の誓いとして睾丸を切り取ることもいとわない。そしてある日、王の立場を自ら引き継いで権力者になるのである。目的はただ1つ、トップに立つことである。そのために、手段を選ばなかったということである。

 現在のトランスジェンダーの方は、何を求めているのだろうか。自分らしく生きるために、便利な環境を周囲に作らせることなのか。

 障害者にとっての環境整備は、プラスアルファとすることで、共存できるところまで進化した。不自由ながらも、働く意欲のある障害者を社会は受け入れてきた。しかし、トランスジェンダーの社会的な適用性が今一つ筆者には理解できない。

 芸術活動をするのなら、それで構わない。トイレや風呂ぐらいはガマンして、むしろ、天下を摂るぐらいの気概が感じられないのである。

 トランスジェンダーのもう1つの問題が、スポーツ競技において起こっている。心は女性だからといって、女子演技に加わっては、筋力や体格など、明らかに優位になる。この問題にどう答えるのだろうか。

 スポーツは,根深い人種差別の歴史の中でようやく今日になって対等の場を提供している。芸術も差別はないはずだが,100%開放されているとも思えない。障害者も,スポーツや芸術の世界では独自の才能を発揮し,特にスポーツではパラリンピックという新しい枠を作って大きな目標になってきた。

 しかし,力やスピード,背丈や筋肉量などの体格の点で,男性優位は否定できない。男性スポーツ,女性スポーツと2分するのにはそれなりの合理性がある。その間を埋める新しい枠をトランスジェンダーはおそらく作ることができない。女性スポーツの中に入り込んで,その体格を生かして女性の中でトップに立つのを目指す,というのは,これも女性否定にしか見えないのである。

 筆者のようなステレオタイプ人に枠をはめられるのは不本意であろうし,SDGs流行りの中で逆行しているとレッテルを貼られても仕方がない。しかし,生物の世界での多様性は主に環境によって生じ,環境に適用するものだけが生き残るのが一般原則である。性の多様性が生まれたのはそれなりの環境背景があり,市民権を得ているという欧米に日本の環境が近づいているということなのかもしれない。しかし,地理的にソーシャルディスタンシングが取れる欧米と違って,人口密集している日本では,すべての多様性を受け入れられる環境にないのではないか。

 自転車事故が増えて,自転車専用レーンが各地で設けられている。クルマとの事故もそうだが,歩行者を巻き込む事故が増えているため,クルマとも歩行者とも違うレーンを用意した。これによって自転車による事故はおそらく減っていると思われる。法律としても決められ,罰則も決められているが,自転車が歩道を走ったり,専用レーンを逆走したり,といったルール破りは横行する。エスカレーター内の歩行禁止についても,条例が定まった埼玉県でもまだまだ守られていない。これも,以前提案したような歩行禁止マークや歩行を阻止する物理的な障害物などを設置したとしても,ルール破りは横行するだろう。

 トランスジェンダー向けのトイレの設置義務付けは,法律を定めれば可能だろう。また理解ある自治体が率先して設置するかもしれない。しかし,それが設置されて安心してトランスジェンダーの方がそのトイレを使うかといえば,結局使われないのではないかという気がする。そこは共存のための妥協・我慢があってもいいのではないか。

 自分の才能を発揮するのに,性別は関係ない。男であろうが女であろうがトランスジェンダーであろうが,チャンスは平等にあるのではないか。むしろ,戸籍制度や渡航制度,婚姻制度などの問題を先に解決すべきなのではないのだろうか。

 しかし,戸籍制度・婚姻制度は「家族」「相続」の問題,渡航制度は「安全保障」の問題をクリアするのが課題が大きい。ひょっとすると,COVID-19のワクチン・パスポートで筆者が使用を推奨きている「マイナンバー」でも,登録上の問題があるのかもしれない。生まれた瞬間に番号が振られて,そこに名前や性別などが紐づけられているから,途中での改名や改性で混乱を生じるかもしれない。すると,夫婦別姓問題など,家族のあり方も変わってくるのかもしれない。

 問題を整理しよう。まず,日本でのマイナンバーによるデジタルデータベースをすべての基準に考える。性別,姓名,戸籍など,現時点では二択,一元的な情報に,バリエーションの余地を設け,選択肢を増やせるようにする。履歴も残るようにする。

 性別については,外見の変化も認め,その代わりオリジナルと現在の両方の写真の掲載を必要としてはどうか。パスポートであれば2ページに渡って個人情報を載せる。スマホなどでのデジタルパスポートであればもっと簡単にプライバシーを守ることもできる。婚姻についてのマッチングも,その登録データで判断でき,自治体によるサポートもできるだろう。

 岸田文雄内閣の誕生で,デジタル庁長官に牧島かれん氏が任命された。マイナンバーと健康保険証の一体化がまず最初の行動のようである。前任の平井卓也氏よりは何か新しい動きを打ち出しそうな気もする。女性閣僚として野田聖子少子化担当大臣とともにジェンダー問題にはどう取り組むのか,いちおう注目すべきだろう。ただ,目の前の衆議院議員選挙でまた政権が変動することにならないとも限らない。あまり目先のことばかり主張していては,全体の問題を見えなくしてしまうのではという懸念はある。

 #BeyondGender始まる - jeyseni's diary 2020/11/3 と書いたのが1年前。この時は男女問題であった。トランスジェンダーまでは考えが及ばなかった。政策的にも,ジェンダー問題までは協議できても,トランスジェンダー問題まではまだまだ先が長いのではないか,という懸念を示して,この問題へのコメントはこれで終わりたい。