jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「男の子のお母さんは男性用トイレに立ち入ってもいい」と定義してから,LGBT問題を考えてみた

ジェンダーアイデンティティという言葉の使用に修正することでLGBT 理解増進法が可決した。性同一性や性認識という言葉に野党が反発していたのを、妥協した形のようである。LGBTだけで男女以外に4つの多様性が加わり、さらにQにもいろいろある。非常に複雑である。

    これに対して、最も懸念されているのが、女性用トイレを誰が使えるかだろう。性犯罪の可能性が高まるからである。

     以前にもまとめたが、Tのトランスジェンダー以外は個人の趣味である(「性的志向」と「性自認」を一緒にしてはダメではないか - jeyseni's diary 2021/10/18)。したがって、その身体の特徴に合わせてトイレを選べばいい。しかし、トランスジェンダーは心の病なので、配慮が必要である。ただし、トイレに関しては、身体の特徴に従ってガマンして使ってもらった方が問題が起きなくて済む。

     トイレの使用に関しては、一般の男女でも困ることがある。女の子の父親は、女性用トイレに入る訳に行かない。しかし、犯罪者が女性用トイレに潜んで、1人で入って来た女の子が被害を受ける可能性は否定できない。

    逆に男の子の母親は基本的に男性用トイレには入らないが、ここでは犯罪者が男の子に被害を与える危険性がある。

    女性用トイレに犯罪者がいる可能性は、公園のトイレや夜間のスーパーなど、人の少ない時間帯に高くなる。これはもう、監視強化しか手段がないように思われる。

     一方、男性用トイレに母親が監視のために立ち入ることは、むしろ推奨すべきだと考える。女性は基本的に男性の下半身に関心がないからである。それを騒ぎ立てる男性の方がおかしい。単なる自意識過剰である。

 「身体は男性,心は女性。だから女性用トイレを使い,女性用の浴場を使う権利がある」というのは,女性に対して失礼に当たると思う。多くの女性は,男性の身体に基本的に興味がないし,見せつけられることを拒否する傾向にある。また,女性用トイレに男性の身体を持った人が入ることに対しては,万が一の危険を感じるだろう。

 「身体は女性,心は男性」という人が,男性用トイレを使い,男性用の浴場を使うのは問題はない。ただ,小用便器を使うことはできないだろうし,風呂場でほかの男性の視線に晒されることは覚悟しなければならないが,それは勝手である。

 LGBTで問題になっているのは,結婚問題である。たとえば男性同士,女性同士で結婚することに対して,男女の結婚と同様の権利が認められていない。特に扶養控除や財産分与の権利などが規定されていない。これらの関係を正式な婚姻関係と認めるための法整備や努力が必要と定めたのが今回の法である。

 筆者は,これらの関係を夫婦として認め,扶養控除や財産分与についても同じ権利を与えて然るべきと思っている。

 しかし問題があるとすると,これらの婚姻関係によって,本来の家族としての子どもができないことである。結婚したからといって,必ずしも子どもができるわけではないが,そもそも結婚によって家族ができ,次の世代の人口を維持することを期待して優遇措置が取られている。しかし,男性同士,女性同士の結婚では,基本的に子どもができない。養子を取ったとして,今度は両親が他の家庭と違う構成であることに子どもが気づく。子どもは親を選べない。「親ガチャ」と言われるように,両親に対して抱いた疑問によって,苦しむことにならないとも限らない。

 これだけ,国にとって不利益な婚姻に対して,100%の控除を与えることが平等だとは筆者は思えない。80%,あるいは50%でもそれなりの効果があると思う。満額回答をする必要はないと思うのである。しかし,いずれ100%を取り戻すための訴訟や法改正がまた必要になってくる。なんとなく煮えきらない感じである。

 近所に男性同士,女性同士の家族が越してきた場合,その地域はどう対応すればいいのか,結論を出しにくい。受け入れるという選択,受け入れないという選択。非常に難しい問題を抱えるのである。そこで,100%認められたことを権利として主張することが許されるのかなと思うのである。

 100%の権利を認めた上で,できるだけ目立たないように暮らしてもらえないものだろうか。権利があるからといって,何をしてもいいというものではないはずである。

 生物学的に,オスとメスがいるからこそ,子孫につながる。子孫を残せない個体は,滅びるしかない。あるいは別の場所に移り,別の方法(たとえば子どもの略奪)で子孫を作り,新しい種が生まれていく。通常の集団と同居すること自体が困難なのである。

 人間も,LGBTで集団を作り,法律を作り,そして国を作る,という選択肢もあっていいはずである。でなければいつまでたってもマイノリティーと呼ばれてしまう。自分たちが独立することで,マジョリティーになることを目指すべきではないだろうか,というのが,今の筆者の気持ちである。