jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

スネに傷を持たない人はいないのではないか--個人のルールと組織のルールをどう使い分けるかが問題

ジャニー喜多川が,事務所のタレントに性加害をしたことが彼の死後に発覚し,さまざまな取り上げられ方をしている。これは,個人の問題だけでもなく,会社という組織の密室の中の問題だけでもなく,社会全体,人類全体の問題であり,単純に糾弾して終わりという問題ではないと筆者は考える。

 ジャニー喜多川の行為は,密室を利用し,力関係を背景にした性犯罪である。刑事事件である。明るみに出た以上,実態解明は警察の仕事であり,被疑者死亡で送検となり,引き続いて検察が調査し,裁判にて罪状を確定し,それから民事裁判によって被害者救済が行われるべき流れだと思うのである。

 一方で,ジャニーズ事務所という会社組織は,経営を継続することが責務であり,経営責任をどう取るかが問題なのであって,新社長が性被害を受けていたかどうか,あるいは性加害者側だったのかどうか,などは別問題である。

 この異なる2面性を同じ会見の場でしたことで混乱がさらに拡大しているように見えるし,そもそも会見に出席している大手メディアはただ報道するだけ,質問をするのは個人のジャーナリストや週刊誌系記者だけで,組織の今後の運営について報道することなどを考えていない人たちばかりとの会見になってしまった。

 世間でも言われているように,まずジャニーズ事務所という看板は下ろして,いちから作り直した方がいいと考える。所属タレントはタレントという仕事を個人として続ければいいし,自分たちで集まって会社を作ってもいい。おそらく,ジャニー喜多川が生きている間に独立したら,「裏で手を回して潰される」という恐怖があっただろう。別に芸能の世界だけでなく,どの世界でもそんな権力者ばかりである。政治家などその典型である。もはやその縛りはなくなったのだから,新しい出発をすればいい。

 このような流れで,ジャニーズ事務所を退所して別事務所TOBEを設立した滝沢秀明氏(タッキー)については,「裏事情」を盾にしたとの憶測もあり,残念ながらスッキリした形での退所・新規出発とはなっていないようである。これも人徳だろう。

 新ジャニーズ事務所は,藤島ジュリー景子社長が代表権を持ったまま会長になり,東山紀之氏が新社長となる人事を行ったと発表された。筆者としては,会社を精算した方が良かったのではないかと考えるが,現時点で藤島氏が会社の株を100%持っているということにも驚いた。今後,どのように株式を動かすのかにも注目したい。

 どうでもいいことだが,いちおう時系列でここまでの動きをまとめておきたい。ジャニー喜多川の死亡が 2019年7月9日。滝沢氏の退所が2022年10月31日。BBCによるドキュメンタリー報道は2023年3月7日(日本では3月18,19日)。社長交代の記者会見が,2023年9月7日である。

 それにしても,今回の事件で「性加害」「性被害」という言葉は出てくるものの,「セクハラ」「パワハラ」という言葉が出てこないのはなぜだろうか。明らかに,立場の上下を利用したパワハラであり,性的な嫌がらせなのでセクハラである。メディア側がこの2つの言葉を主に「男性から女性に対する嫌がらせ」だけに使おうとしているステレオタイプに陥っているのではないかと感じる。それとも,男性から男性に対する性的な嫌がらせに対して特別な意味合いを持たせようとしているのではないか。この点では,LGBT問題の取り上げ方でステレオタイプを脱したい思いと矛盾が生じているように見える。

 もう1つは,個人の性癖についてのステレオタイプである。男児への性的なアプローチは,歴代の権力者が続けて来た。中国でも日本でも行われてきたし,近年は聖職者による男児への性加害も問題になった(密室犯罪とマスメディアの対応--経営における権威・権力の構図が変わることを期待 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/9/1)。筆者には理解しがたい世界だが,生物の行動としては成り立つのだろう。

 性犯罪の前歴のある教員が退職後も別の学校に採用されたり,塾経営をしたりという事態も長年続いてきた。イギリスの犯罪経歴管理・証明発行システム「DBS(Disclosure and Barring Service)」を取り入れた日本版DBSが検討され,法案化に向けて具体的に動いたのもようやく2023年9月4日である。

 まあ,こうした仕組みは重要だと思うが,別に教育界にとどまらない。今回のジャニーズ事務所のように,会社などの組織の中も学校と同様に密室である。パワハラ,セクハラの温床になる。

 ならば,国民全員の犯罪歴をすべて明らかにした方が平和な社会になるのではないかとも思ったりする。そのためにマイナンバー制度も役に立つと正論では言える。

 しかし,すべての履歴を記録して明らかにしてしまった場合,まったくスネに傷を持たない人は世の中にはいないのではないかとさえ思ってしまう。筆者の場合も,「臨機応変を優先」してクルマの走っていない小さい横断歩道では赤信号でも渡ってしまう。交通ルールからすると違反を犯しているわけだが,これも犯罪だと言えば犯罪である。盗撮はしないが女性の身体の線を見て満足したりもする。もし相手に気づかれればこれはセクハラと言われても仕方がない。相手が嫌な思いをした時点でハラスメントが成立するからである。特に男性側は,合意のあるセックスであっても身勝手なセックスを相手に要求している可能性を否定できない。パートナーがガマンして受け入れているケースは,円満な夫婦の間でもありえることである。家庭という密室も存在するからである。

 相手との関係がまったく対等でない場合,どこまでを容認するか,どこまでを妥協するか,そしてどこから拒否するか,という価値観も人によって基準が違うだろう。今回のジャニー喜多川事件でも,単なる嫌がらせの行為だったのか,あるいは性行為の強要なのかという点は,筆者は確認はしない。

 それにしても「商品に手を出す」ことで商品価値,そして企業価値を下げてしまったことに対しては,経営者としての資質が疑われるし,消費者としては憤りを覚える。ものづくりであれば商品偽装であり,検査の不正である。社員にまでこの不正を強要していたというビッグモーター元社長の兼重宏行,息子で元副社長の兼重宏一がさっさと会社を辞任して雲隠れしている件も,放置してはならない。やはり,カネが人間の心を狂わせてしまうのだとつくづく思ってしまう

(本コメントでは,あえて一部の敬称を略し,コラムニストの思いを表現しています)。