jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

男の女装はGDPの責任逃れであると考える--これは女性に対する冒涜ではないか

タレント活動や水商売で男性が女装する例は数多いが,逆のケースは見かけたことがない。なぜだろうか。

 武士の時代に、男装して若武者や忍者になった女性がドラマでは描かれるが、これはあくまでも物語なのかも知れない。

 女性が男役を演じるのも、宝塚歌劇団ぐらいしか聞かない。それは女性にとっての理想の男性像かもしれないが,結局は王子様である。何もしなくても自分の存在位置がある。そんな男は,実際の世の中にはほんの一握りである。

 女装した男性ができる仕事は何かと言えば,オカマバーの経営とホステスぐらいしかこれまではなかった。アングラで歌う歌手という仕事もあった。しかしある日から突然,テレビという表舞台にエンタメ系のタレントとして急速に進出し始めた。番組のMCからCMにまで登場するようになり,地位を固めつつある。

 しかし,タレントはエンタテイナーであり,稼いだとしても個人の収入でしかない。これは女性であっても男性であっても,そして女装の男性でも変わらない。スポーツ選手でも同様である。大谷翔平選手がどんなに活躍しても,日本は豊かにはならない。

 国を豊かにする指標は,GDP国内総生産)である。しかし,その生産物を輸出して外貨を稼がなければ,単に国の中だけで消費されてしまうだけである。

 輸出できるモノを作り,それを海外に売れる仕事を担うのは,ほぼ100%,男性である。男とは,オスとは,そういう性質の生き物なのである。相手を殺してでも,奪うものを奪うのが男の性格である。それが単に個人の利益や名誉にだけつながる場合もあるが,領土を広げたり,外貨を稼いだりという仕組みを作る企業組織や政治組織を構築できるのも男である。

 女装した男性には,海外に売れるモノを作ることはできない。絶対にできないと言い切れる。

 男は,世界征服といったような夢を描けるのである。それはある場合は善意であり,ある場合は悪意であったりする。それでも,自分たちの利益につながると信じれば突っ走ることができるのが男である。筆者はそんな男であることに誇りを持っている。すでにもう残り人生も少なくなっており,世界征服どころではなくなっているが,それでもまだ何かできるんじゃないかという夢と希望と野望は持ち続けている。それが男というものである。筆者はそう思っている。だから男はやめられないと思っているのである。

 したがって,女装する男,女性になりたいという男の気持ちが理解できない。よほど,男としてのプライドを傷つけられてズタズタになったのかもしれないが,それでも国のGDPを生み出せるのは楽しい。それを放棄するのは,男としての責任逃れであると考える。

 しかも,女装のために化粧もするが,決して女性に近づこうとはしない。より派手な格好と化粧をする。これは女性に対する冒涜であると筆者には思える。女性の格好をしながら女性を侮辱している。自分は女装することで女性以上になっているという自負のように思える。それこそ傲慢というものである。だから嫌いなのである。