jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

強さを捨てた男、美しさを捨てた女

パラダイム・シフトである。男が強さという価値観を捨てること、女が美しさという価値観を捨てること。これによって、どこまで社会が変わるかを考えてみる。

 男性の価値観としてこれまで考えられてきたのは,まず才能・能力である。次がコミュニケーション力,最後は外見という順序になる。「ボロは着てても心は錦」という演歌があった。「男ならドンとやれ,人のできないことをやれ」と続く。一発当てたら勝ち,みたいな価値観を推奨されている。そして,地位とカネと力を得る,という価値観である。どの男性も,基本的にこれを目指すのが当たり前と考えられてきた。

ところがすでに、多くの男性はお金という力を持てなくなっている。これまでは、高学歴が高収入に一般論として結びついていた。それは、大企業や省庁で定年までの仕事と収入が約束されていたからである。社会的ステータスというレッテルも自然に付いてきた。これは、何よりもこれまでの男性に与えられた特権でもあった。

 女性は、いくら成績が良くても、一流企業でもお手伝い扱いだった。定年まで勤めることを前提とした雇用と考えられてなかったからである。昇進も限定的だった。

 一方で、今日は男性も就職によるステータスはなくなってきている。大手企業でも、半分は非正規採用である。身分も収入も保証がない。中小企業は給与も低く、会社自体の存続の保証がない。個人でベンチャーをしてもいいが、数回は潰す覚悟が必要である。

 資格を取っても、使い回されるだけに終わるかもしれない。ベストの資格としての医者や弁護士などですら、安泰ではない。

 そこで東大生が選んだのが、タレント業である。東大卒、東大生という、世間ではまだ通用するカードを使って、テレビのクイズ番組やワイドショー、ゲームなどに出てくる。またYoutuberとして、ネット上で生きる。

 これが新しい産業なのだそうだ。人類にとってなにを生み出し、残すというのだろうか。

 今、高収入といえばこの成功した高学歴タレントか、デイトレーダーなどのマネーゲームに才能のある人たちだという。小学校に出前授業で株式投資をしたりしている。

 かつての相場師の養成をあちこちで行い、実学のない世界が広がっている。国のGDP に一切貢献しない産業が今やトレンドなのである。

 自分の才能で成功した人が厄介なのは、得たお金をすべて自分のものにしてしまおうという浅ましさを持っていることである。自分がお山の大将になって、周囲を見下ろす。小金をばら蒔いてますます天狗になる。謙虚さを持てないのである。

 単純にお金があるところに,人は寄ってくる。事業で成功した場合でも,宝くじを含むギャンブルであぶく銭を得た場合でも,同様である。男性は従順を装って接近し,そのおこぼれにありつこうとする。女性はより直接的に性的関係と引き換えに,より魅力を増すためのお金を使わせることができる。この経済原理は,なかなか変えることが難しい。

 一般に金や腕力のない男性は、周囲に対して優しい。知性や理性を持ち合わせていれば、ほどほどに幸せな生活が送れるはずなのだが、例えば家庭という小さな社会の中でまた力を誇示するようになると、家庭内暴力につながる。そこをバランスを取るのがパートナーの役割でもある。

 ただ,力というのは内面的なものであり,外見ではわからない。ボディビルダーが必ずしも怪力ではない。弱いものほど武器を持ちたがるのも厄介だ。武器を持った男は,間違いなく攻撃的になる。身を守るための武器は存在しない。

 これに対して女性は,外面的な美しさという価値観を持っている。いくら内面に力を持っていても,なかなか評価されない。まず外見,次に話し方,最後に才能という順番に評価されがちである。男性の見られ方と真逆である。それは「家族,家庭」という安定した社会単位をどうしても作りたいという深層心理が働くからではないかと考える。子孫を作り育てるための安全・安心な環境を作るために結婚,そして家族,という価値観が自然と働くからだろう。その家庭の安定ために,パートナーには一定以上の財力や社会的地位,そして家庭への参加・協力を求める。ここですでに,男性との心理的なギャップが起きる。

 外に勤めるサラリーマンの仕事は残酷なものである。基本的に時間をカネに換算しているので,1日の1/3を仕事に拘束される。オフィスワーカーも,工場勤めも,流通関係も,仕事に追われる。 1日の残りの1/3が睡眠,さらにその残りの1/3のうち半分近くを通勤の移動に使っているとすると,自分や家族との時間はほんの2時間ほどになってしまう。モノづくりやコールセンター,教員,交通機関など,拘束時間中ずっと緊張を強いられる仕事は仕方がないとして,そのほかの仕事では目の前の業務以外の私用のことを考えられる時間も出てくる。しかし業務中なので私用の行動はできない。

 一方,COVID-19のために2年近くテレワークした筆者にとって,自宅での作業は快適だった。会議以外はほぼ100%,自分で時間を管理しているので,仕事に集中する時間の合間を縫って,子供の送り迎えの手伝い,イヌの散歩,ご飯の支度・片付け,風呂の準備など,家庭のサポートもできた。決して仕事に手抜きをしているわけでもなかった。逆に,何もすることがなかった無駄な通勤時間がなくなり,その分を家族サービスや睡眠,検索・調査などに充てることができた。このブログも,1日数本アップしていたが,現在は1日1本,アップするのがせいぜいであり,執筆も通勤電車内,というだけになってしまっている。中途半端なまとめ方しかできなくなっている。

 会社という形態が確立し,給料という形で安定した収入が得られるようになり,中流層が安定した家庭を作ることができたのが,戦後の経済成長につながったが,一方で,収入を確保するために会社に時間を売り,安定した家庭を守るために女性が家庭に縛られ,これによって家庭崩壊も進んでいった可能性もある。

 せっかくのITの環境を活かし,時間を拘束するという形態を脱却し,男性の家庭回帰と女性の社会進出を同時に実現すれば,経済も家族もうまく回るような気がする。テレワークでカジュアルな姿で仕事ができたのと同様,女性も外見に100%こだわらずに仕事ができるのではないか。会社に定時に出社して定時に帰るという価値観から,成果で評価する価値観に変えることで,もっといい仕事,家庭,個人の関係ができるのではないか,と考えたりする。

 女性が外観を気にするあまり,女性としての魅力を発揮しすぎることで,逆に男性から興味本位で見られたりする。華美を抑えることで,内面的な知性で見てもらえるようになる。コミュニケーション力も内面の知性を見せる意味で重要である。そうすれば,仕事のパートナーとして見られ,仕事を任せられ,そして活躍できる。テレワークは,仕事の中身が重要である。男性も女性も多いに利用して,成果をアピールすると同時に家族との時間,個人の時間も有効に作り出していくことで,より充実した時間が作れるのではないかと考えるのである。

 おそらく,自営業の男性は,家事も普通に手伝っているのではないだろうか。また,家族も仕事に参画し,うまく分担できているのではないだろうか。サラリーマンも,テレワークという武器を手に入れて,痛勤地獄から開放され,より充実した人生を送れるのではないだろうか。そして女性も,自分がしたい仕事を家庭と並行してできる環境ができつつあるのではないだろうか。

 緊急事態宣言が解除され,COVID-19感染確認者数が減っている日本で,また以前のような人流が起きているのが気になる。ここはテレワークをもっと発展させるようなパラダイム・シフトがあってもいいのではないか。

 Facebookアバターを活かしたテレワーク事業にシフトするというニュースが流れた。これが実現すると,社会が大きく変わるような気がする。日本はまた乗り遅れてしまうのだろうか。