jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ブルシット・ジョブ(意味のない仕事)が多すぎる--金融などのマネーゲームのほか,学者やメディアも自覚せよ

斎藤幸平氏が「SDGsは“大衆のアヘン”」と断じるワケ 「マイバッグ・マイボトルを持っても地球規模の問題には対処できない」 | マネーポストWEB (moneypost.jp)(2024/2/13)という記事に出会った。東京大学の斎藤幸平准教授のコメント記事である。

 「SDGs」と言った途端に,自分の行動を正当化して満足してそこで止まってしまう,という指摘にはまったく同意する。みみっちい話ですが--トイレの紙とSDGs - jeyseni's diary (hatenablog.com)(2023/11/9)の筆者のコメントでも,言葉の履き違えについて指摘した。しかしさらに,「広告業や投資銀行などのブルシット・ジョブ(意味のない仕事)」という言葉には少しビックリした。筆者が思うところの「虚業」をまさに「意味のない仕事」と喝破されたようである。

 ブルシット(bullshit)は英語の卑語・俗語のようで,もちろんあまりいい言葉ではない。shitがウンチであり,bullの牛の意味を加えているのかどうか分からない。アクション映画の中では捨て台詞のように使われるようで,一般放送では「ピー」に置き換えてしまうような言葉なのかもしれない。「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論(英: Bullshit Jobs:A Theory)は、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーによる2018年の著書」(Wikipediaより)で使われた言葉のようである。

 上記の記事の中で斎藤准教授は最後に,グレタ・トゥンベリさんが高校時代に起こしたストライキのような小さくてもいいから行動することが大事だとしている。

 筆者は,メディア人の立場でこのブログを書いているし,彼は大学教員という立場でコメントを書いている。おそらく,言っていることは的を射ているし,筆者がこのブログの目的としている「提案」をしてもいる。

 しかし,先の人類学者を含めて,大学もメディアも「言っているだけで行動しない」まさに「ブルシット・ジョブ」であることを自覚しなければならない。提案や指摘,コメントだけなら何でも言える。それを行動に移せるかどうかが問題なのである。

 結局,大学の研究者は論文を書き,論説を書き,時に出版社とコンタクトして本にまとめてそこで終わってしまう。メディアは,世の中の提案や意見を伝える仕事はするが,それ以上のことは何もしない。その後に世論が巻き起こって初めて,自分たちの業績だと言い始める。行動を起こさないのである。

 おそらく,行動を起こすには政治家か実業家になるしかない。作家やメディア人が政治の世界に進んで大改革を行った例は,東京都知事など知事レベルではいくつか成功例もある。しかし,国を動かし,世界を動かす政治家になった人は,残念ながら日本ではいない。市民運動から立ち上がった菅直人が唯一だったかもしれないが,どこか道を間違ってしまった。それこそ,政党,派閥を経て政策チームを率いてこない限り,閣僚人事を構築することができないからである。

 海外では,実業家出身のアメリカのドナルド・トランプの実力が群を抜いている。また俳優出身のウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーが国民の支持を得て国を守るために立ち上がっている。方向性が正しいかどうかは別として,国のリーダーになれる可能性がある。

 日本を再生するために,雇用を作り,世界にエネルギーと食糧を供給する社会を構築できるのは,実業家である豊田章男氏しかいないのではと筆者は書いた(豊田章男氏がトヨタ自動車会長に--次は日本再生に乗り出してほしい - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/1/28)。EVで立ち遅れたと言われているトヨタだが,時代は早くもEV減速に転じており,水素エネルギー技術を持つ同社にとって追い風になりつつある。

 一方で,水素エネルギーについては先行するドイツに続いて,アメリカが大規模な投資開発を始めた。広大な国土の地下に眠るホワイト水素を有効活用しようという動きである。日本は,赤道ベルト地帯の国々と連携して太陽電池パネルを使って発電した電力で水素を作るグリーン水素をベースとした水素エネルギー社会の構築のリーダーシップを取らなければ,また流れから外されてしまう。今の自民党および野党を含む政治家こそ,ブルシット・ジョブであり,実業家である豊田氏に地球の未来を託す必要があると思うのである。

 当然のことながら,打ち上げを延期したH3ロケットに代表される宇宙開発も,今や地球のためにならないことを認識する必要がある。

 筆者の関わるメディアは,少なくともこうした声を世の中に正しく広める使命があると思っている。すでにインターネットという何でも情報発信できるメディアがはびこっている中で,きちんと情報を精査し,方向性を明確にし,未来を見つめて情報を選別する目だけは,失いたくないと思って,日々活動を続けているつもりである。