jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

話芸は日本独自のエンタテインメントだが,現在の話芸は品がなく下劣--笑いのクオリティが低い国民性

次から次へと新しいお笑い番組が登場する。情報番組でもコマーシャルも、お笑いタレントばかりである。

 日本のエンタテインメントは,基本的には話芸である。寺のお坊さんによる法話もそうだし,辻説法もそうである。これが落語,漫談,漫才などへと広がって,笑いの要素が加わってきたようである。

 こういう話芸は,海外ではほとんど見かけない。大道芸や手品などはあるが,話芸は聞いたことがない。街角での演説はあり,これが政治家へと展開していく。また宗教による辻説法もあるが,笑いにつながることはない。

 落語は,聴衆の身近な話題で心を掴み,そして落とし所で笑いを取るから落語である。聴衆は自分の失敗などにつながる話で笑いが生まれるのである。

 一方,漫才は基本は2人の掛け合いで,一方がツッコミ,一方がボケで,そのリズムの中で笑いが生まれる。これも聴衆の身近な話題である。

 ところが,昨今の話芸は品がない。ドツキ合い,絶叫,裸芸,そして下ネタである。そんな捨て身のパフォーマンスで笑いを取ろうとする。これはもう芸ではなく,犯罪である。

 海外に裸芸を持ち出して,笑いを取れたと思い込んで,各国で同じようなパフォーマンスをする芸人がいる。日本の恥である。これに気が付かないのだろうか。笑いが取れていると思い込んでいるかもしれないが,すべて苦笑いを巻き起こしているだけである。

 もともと,すべてのパフォーマンスはアングラ芸である。こっそり楽しむものである。それがテレビに乗り,一部の番組からほぼすべての番組のMCがお笑い芸人になってしまった。

 いまや,一般個人までがYoutubeで話芸パフォーマンスに興じている。その内容を見る限り,海外に通じるパフォーマンスは1つもない。

 最も純粋な笑いを引き出す落語でさえ,落語家が絶叫話をしたり下品な喋り方をしたりする。しかも,どんな相手に対してもタメ口でマウントを取ろうとする。

 こんなクオリティの低い笑いで楽しんでいる多くの日本人のクオリティも低いと思う。いい加減,目を覚まさないと日本人全体がバカにされてしまうと思うのである。