jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

日本人が負のループに入った--企画力,生産力から結婚,出産,そしてイジメ,犯罪へ

人というものは,権力を持つと傲慢になって自分の思い通りに世の中を動かそうとする。金を持つと生活が派手になり金で自分の思い通りに願いをすべてかなえようとする。いずれの場合も,周囲の人間も思い通りに動かし,自分の奴隷のように扱う。対等意識などなく,真の思いやりもなくなってしまう。金は地位を獲得するために,そして権力は名誉を獲得するために使われる。周囲の人間に対するルールは自分たちのいいように決めてしまい,自分たちはそのルールには従わない。あとはマウントを取りに行って,相手をねじ伏せてしまう。

 一方,金がないと,他人の生きる権利を奪ってでも自分が生きようとする。これがすべての犯罪になる。家庭という最も基本的な集団の中でのDVも犯罪だし,学校や会社でのイジメも犯罪だし,小児は女性に対する性犯罪も,元をたどれば荒んだ生活の中で育くまれてしまった社会性や常識,教養,愛情などのなさと関係が深い。

 犯罪と言えば,映画のテーマにもなった万引きは貧困の象徴と言えたが,近ごろは衝動を抑えきれないという病的なケースが増えている。

 性犯罪でも,単なるちょっとした理性の欠如では片づけられない精神的な不整合になっているケースが増えているように思える。

 特に,医者や教員,議員,弁護士,裁判官,警察・消防といった「免許」を持った人たちの犯罪が目立つ。

 企業で働く人は,会社が定めるコンプライアンス(法令)を遵守する必要があり,大手企業を中心に指導,教育,テストなどが定期的に行われる。基本的には,社内データの持ち出しや個人機器の持ち込み,社内で知りえた情報の漏洩の禁止など,当たり前のことだが,それでもチェックする機能が働いている。

 一方で,「免許」人は基本的に個人業務であり,コンプライアンスについての指導も教育もチェックも受けない。警察や消防,学校などの組織に属していても,コンプライアンスを指導する仕組みがおそらくほとんど機能していない。

 それでも一般常識で考えれば,他人が嫌がる行為や,他人の権利や財産が被害を受けるような行為は,人としての理性で踏みとどまることが期待される。それができない,あるいはその常識を知らないケースが多い。この責任は,まず生まれ育った家庭でのしつけと,社会共同生活の場である幼稚園・保育園・学校の指導の欠如にある。

 筆者の場合は,親の言うことは絶対正しかったし,教員は「先生」であり,指導してもらえる心強い尊敬の対象だった。しかし,現在の家庭や学校での人間関係は,指導もしないし,相手も聞く耳を持たない。

 バブル崩壊後,年功序列,定年制など企業の経営構造が変わり,退職金もなくなった。金の切れ目が縁の切れ目,とばかり,組織に対する忠誠心など起きることもなく,数ヶ月,あるいは数日で転職の道を選ぶ若者が増えている。収入が安定せず,また基本的に少ないため,結婚することもできず,仮に結婚しても人口を維持できる最低の数字である2.0人をはるかに下回り,現在は1,4人,東京都は1.0人を切ったという。

 経済の停滞→定職・定収入なし→結婚高年齢化→高齢出産→1人っ子→衣食住の不安→家庭内の不和→社会性の欠乏→教員の低所得→教員不足→教員の仕事量増大→不十分な教育・指導→ドロップアウト・社会性欠如→定職・定収入なし→犯罪。こういう負の連鎖・ループがまさに現在進行中と見える。

    現在の子育て支援策は、ほぼ人気取りの目先の方策にすぎない。経済の立て直し、そのための国のしての選択と集中しかない。

    ガラケーと揶喩される日本のケータイだが、そのストラップホールはユーザーの利便性と、落とさないための立派な企画力だったと思う。今、日本オリジナルな企画は何もない。

    もう一度、世界、日本あり、と宣言できる国になってもらいたい。国産半導体への再投資もまた失敗に終わる。リーダーシップのあるリーダーが出てきてほしい。