jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「お客様同士のトラブル」の原因が増えた

電車の車内アナウンスで「お客様同士のトラブルの原因となります」と最近言われているのが、リュックサックである。しかし、背中に背負おうと、腹に背負おうと、周囲の邪魔になる点では同じであることに気が付かない人が多い。

   雨の日の濡れた傘も同じである。先から滴る水滴のことなど、知ったことではないという無神経さが、トラブルの元である。

    台風14号が去った後で急に冷えてきた今日2022/9/16の通勤電車では、やたらに咳をする人が増えた。たまらずに隣の車両に移ったが、そこも同じだった。季節的にも、急な気候の変化のためもあり、例年なら風邪の症状なのでマスクさえしていればそれほど怖くはないのだが、まだオミクロン株の蔓延の時期でもある。症状のある人は本当に出勤しないでほしいと思う。

    同じように、「会話はお控えください」と言われているのに、乗ってから降りるまで延々と30分も途切れなく話し続ける人もいる。車内放送も結局はお願いベースでしかない。

   世界各国では、マスク着用義務が適用され、これをきちんと警察を取り締まるという態勢があった。入場規制にも、ワクチン接種証明書の提示が定められた。ロックダウンという強制的な移動制限も行われた。さまざまな規制に対して警察の抑止力が効いているからである。

   これに対して、日本ではマスクも入場規制も行動規制もすべてお願いベースだった。規制するのは、店や施設の運営者であり、強制力もなければ拘束力もない。

   抑止力が働かないし、それを監視する人もいない。トラブルは発生するのは当たり前だし、それで傷害などの事件も被害も出てくる。ニュースで報道されるだけで犯人逮捕に進むが、結局、事前に被害の発生を止めることがまったくできない。

   そういう意味では、日本は「犯罪容認環境世界一」かもしれない。

   以前、電車内での迷惑について、「音と臭い」と書いた。音は数メートル先まで聞こえるし、臭いも車両全体に拡がる。音の原因の1つがイヤホンからの音漏れだったが、これはイヤホン側の改良やインナーイヤー型のBluetooth イヤホンが増えたことによってかなり改善された。ガラケー時代には、キーを押す時の電子音が気になったが、スマートフォンではキータッチ音はなくなった。

   臭いも、基本的本人が気づかないのが原因だが、中年男性のオナラもかなり減ったし、若い男性も臭いには敏感になって、体臭を撒き散らす人は少なくなった。

   しかし、ここに来て、咳、くしゃみエチケットも、お客様同士のトラブルに加わってしまった。おそらくウイルスを載せているであろう飛沫を撒き散らす咳、くしゃみエチケットは一向にできる人が少ない。

   お客様同士のトラブルは、解決する気配はなく、相変わらず、車内放送で無機質なお願いが繰り返される。いい加減、世界標準の人種になれないものかと、呆れてしまうのである

これぞ国葬--エリザベス女王の国葬,葬列,そして見送る市民の荘厳さに圧倒される

2022/9/19日本時間の19時から,ロンドンのウェストミンスター寺院エリザベス女王国葬が執り行われた。その1時間ぐらい前からYoutubeのライブでsky news comが中継をしていたのを見て,PCの前を離れられなくなった。

 寺院での荘厳な国葬が,誰が指示することもなくまるでオペラのように進行していった。そして寺院から担ぎ出された棺は人車に載せ替えられ,100人の海兵隊に前後から引かれ,1時間以上かけてロンドンの懐かしのエリアを徒歩でパレードした。整然としたパレードの中に,チャールズ国王,ウィリアム王子,ヘンリー王子の姿もあった。パレードの間,ずっと棺の後ろを徒歩で歩いていた。正直驚いた。

 その後,再び四面が透明な霊柩車に棺は移され,ロンドンからクルマで1時間離れたウィンザー城まで移動した。その沿線にも多くの国民が集まり,エリザベス女王との別れに立ち会った。

 葬儀の間も,葬列の間も,そしてクルマを見送る間も,誰一人騒ぐ者もいない。

 これが国葬だ,そう思った。国全体が一体となったような圧倒的な迫力。海外からの要人が参列していることなど,まったく霞んでしまうような,イギリス国民の強い意志が感じられた。おそらく国民の半分が,生まれたときからずっとエリザベス女王だった。母親のような存在でもあったろう。

 さて,日本武道館で行われる予定の安倍元首相のお別れの会を,本当に国葬と言っていいのだろうか。世界の人が感動するような式典になるとは,到底思えない。

 岸田首相をはじめ,関係者はこのエリザベス女王国葬を,最初から最後までじっくり見直すことを提案したい。棺そのものだけでなく,街の風景,国民の視線,そして1時間にもわたって行進を支えた吹奏楽の演奏など。

 ただの葬式やんけ?と,世界中に思わせて,恥を晒すのだろうか。

日本気象協会の「暴風域に入る確率」表が,なかなか地味にわかりやすい--これもマップにした方がよりわかりやすいかも

2022/9/19午前10時,台風14号はまだ九州北部にある。中心気圧が970hPaと,言い方がまた悪いが,上陸したことで勢力は衰えつつあるが,日本海に抜けるとまた勢力をキープするようになるかもしれない。

 休日のため,ブログを書きながら,台風14号の雨雲レーダー,進路予報,そして自宅周りの雨の状況をPCの画面で見ていた。ちょうど,神奈川から東京,埼玉,栃木にかけて長い連続した豪雨雲群がつながっている。しかし,雲の動きが不安定で,強く降ったりまったく降らなかったりで,予測がつかない。この豪雨雲群の周辺での降水パターンをもう少し数値化してくれるといいのだが,と思っていた。

 その中で,「台風14号の暴風域に入る確率」というページを,日本気象協会のホームページで見つけた 台風14号(2022年)の暴風域に入る確率 - 日本気象協会 tenki.jp

日本気象協会の「暴風域に入る確率」

 たとえば,関東地方を見てみると,長野県や群馬県が確率が高く,千葉県,神奈川県が低い。ということは,北に行くほど暴風域に入る確率が高い,と読むことができる。同じように他の地域を見ると,近畿地方,東海地方,北陸地方がほぼ100%と高いのは分かるが,東北地方がこれから高くなると表示されている。一方,北海道は確率は1~11%と極めて低い。規模を縮小しながら東北地方を通過する,ということを示している。

 これを日本地図にマッピングした方が,よりわかりやすくなると思う。

 筆者は以前,新型コロナウイルスの緊急事態宣言・蔓延防止等重点措置の対象県を日本地図のように表示する方法を使ったが,ボックスを並べただけの表示で,あまり格好はよくなかった。Excel2019以降で,データを日本地図や世界地図にマッピングする機能があることがわかり,試してみたのが,次の図である。デフォルトの条件で示しているので,北海道のデータが反映されていない。

台風14号の暴風域に入る確率をExcelマッピング

 色使いなどは変更できるはずだが,とりあえず。Excelは嫌いだが,こういう機能はまたどこかで使ってみたいと思う。

台風は恐ろしいが,線状降水帯はもっと怖い--英語のTrain-ing(列車のように繋がった)の方がわかりやすいかも

台風も線状降水帯も地震も,いずれも自然災害なので,どこで起きても不思議はない。たまたま筆者の自宅周辺は,ここ50年ほどは何の災害も起きていないが,実家で起きた阪神淡路大震災が70年ぶりということを考えると,とりあえず地震はいつか来るのだろうと覚悟しなければならないかもしれない。

 過去最大級の台風14号が,現在九州を縦断した後,今度は本州を縦断するコースを取っているところである。九州全体が暴風域に入るという異例の台風による各地の被害が報道されており,被害に遭われた方にはお見舞い申し上げたい。ただ,いつこれが自分が被害を受ける側にならないとも限らないところが,自然災害の恐ろしいところである。

 実際,九州も台風そのものの被害はもちろんだが,多くの地域で大規模な停電が起きたことによる精神的なダメージも大きい。正直,停電は一瞬のうちにやってくるので,地震と同じように人の心にパニックを起こさせる。筆者もちょっとした停電でも大慌てしてしまうタチなので,これが数時間,あるいは数日続くなどという状況は,耐え難い。さまざまな非常用発電機や大型バッテリー,さらにはEVの導入を考えたりするのも,停電に対する恐怖があるからである。結局,個人が管理できる安全な発電方法はほとんどないことに気づく。

 さらに今回は,台風14号が吸収に上陸した9/18の同じタイミングで,台風の影響と見られる線状降水帯もどきが,静岡から埼玉,東京にかかった。雨雲レーダーを見ていると,まさに線状で数時間にわたって局所的に連続的な大雨が降った。都内の目黒川が越水し,渋谷駅前も冠水した。埼玉県でも,越谷で街中が冠水した。筆者も実は昼間,都内にいたのだが,夜帰宅時に家の近くまでは雨が降らなかったが,直前にこの線状降水雲にぶつかってしまった。雷を伴う大雨で,家の近くも一気に冠水した。たまたま,筆者宅の近くは,ゲリラ豪雨などの集中豪雨で冠水するが,30分待てば小川に流れ込んで行くので床下までは来ないというありがたい土地柄で,今回も同じように水は引いていった。

 それにしても,イメージとしては台風の強風域の外でも雨雲が発達することは考えられるが,それが線状になるのはあまりイメージできなかった。台風12号のときに,北海道や秋田県で大雨になったときは,東西に前線ができたためと思われるが,今回は風の向きによって南北に雨雲が連なったということなのかと思われる。

 今回の14号は,中心気圧が最大で910hPaまで下がり,九州上陸時でも930hPaだった。伊勢湾台風並みの最大級と言う事ができる。風も瞬間風速が70m/sと非常に強かった。

 移動速度が自転車並みに遅くて影響が長引いたと言われているが,それでもピークは数時間程度だったと思われる。台風の移動に伴って,雨も風も弱まることは予測できる。

 台風による降水量が,500mmあったとしても,大部分は重力の法則に従って短時間に流れ去ってしまう。台風の移動に伴って広い範囲に降水するとしても,移動しながらの降水なので,積算されることは少ない。

 これに対して線状降水帯は,どこで起きるか分からないことと,いったん発生すると半日から2日と長時間,雨が連続して降る。同じ500mm降るといっても,広範囲にわたって常に降り続くので,下流に流れていく流れがどんどん積算されてしまう。これによって,一級河川のような大きな川でも堤防を越水したり,堤防が崩壊したり,内水氾濫につながる理由である。

 さらに長時間降ることによって下流に流れ去らずに地面にもどんどん染み込んでしまう。これが,土石流や土砂崩れなどの二次災害を引き起こし,大きな被害が出るのである。

 地震も,震災クラスになると被害範囲が広く,また水道,電気,ガス,道路などのインフラが広範囲にわたって被害を受けるため,確かに復旧に時間がかかる。しかし,2度3度まで同じ揺れを受けることは少ない。多くは1回目の揺れによって被害が出るだけで,その後の復興生活はある程度の平穏な状況で進められる。東日本大震災津波熊本地震の2回の大きな揺れによる被害は,地震そのものというより,二次災害によるものである。特に津波は,水による土地そのものへの災害であり,復旧という考えが成り立たないかもしれない。

 線状降水帯による水の被害も,インフラどころか,土地そのものが崩壊してしまう。家の土台ごと流されたり,地形そのものが変わってしまう。津波と同様,水の力の恐ろしさを見せつけてくれる。

 地震や台風は,いわばボーリングである。威力のある球を投げればボーリングのピンは吹っ飛んでしまうが,コースをはずれればガターに落ちて当事者国は被害を受けない。1発勝負で短時間で勝負が決まる。

 一方で線状降水帯は,例えは悪いが電動パチンコかもしれない。多くの玉を撃ち込むことで,クギの振動に変化が起き,当たり穴に入る確率が上がる。これも悪い例えだが,フィーバーで大量に玉が連続的に出てくる様子が,土石流にも見えてしまう。

 地球温暖化によると見られる海水温度の上昇で,日本へのスーパー台風の襲来が増えると予想されている。前回の12号の進路予測の正確さについてこのブログでも紹介した 台風11号の進路予測が正確だった件--スーパー台風が今後どんどん発生するのが不安 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/9/7。今後もぜひ予測を当ててほしいものだが,突然発生する線状降水帯も,ぜひ予測していただきたい。

 しかし,根こそぎ広範囲に被害が及ぶ線状降水帯は,実は台風よりも恐ろしい存在かもしれない。ただし,線状降水帯を名乗らせるなら,その幅と長さ,それぞれの領域での連続時間確率,そして線状降水帯を構成する複数の雲が基本的にどの方向に動きながら次々とやってくるのかを表示してほしい。実際,線状に見えても線の方向に雲が連なっているのか,前線のように線の直角方向に動いていくのかによって,連続して降る時間の見当が付けられるからである。

 ちなみに,英語では「Training」と呼ぶようである。いわゆる「トレーニング」と同じ言葉なのだが,むしろ「Train」(列車=トレイン,繋がっているもの)から連想した方が適切だろう。逆に「連結豪雨現象」と言い直した方がわかりやすいかもしれない,とは勝手な発想である。

「やると言ったからには,やる」--やめる選択も勇気もない政府。オリンピックも国葬も“強行”へ【追記あり】

安倍晋三元首相の国葬まであと10日となった。3連休にも入るし,国会は閉会中である。このまま,葬儀が挙行(いや強行)されることは,おそらく間違いがないだろう。

 2021年7月の「東京オリンピック2020」も,新型コロナウイルス感染拡大の第5波の最中に,結局行われた。筆者は,外圧でもいいし,大会委員長でもある天皇陛下からの一言でもいいから,やめるべきだと強く主張してきたが,強行された。それから1年後,組織委員会理事による汚職が発覚した。いや,すでにエンブレムデザインの盗作の辺りから,不穏な大会だった。結局,貧乏クジを引いた東京オリパラ2002 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/7/27 のブログで筆者は総括している。

 一度決めた行政案件を中止することについて,どの内閣も決断しないまま,なし崩し的に強行を繰り返してきた。第二次世界大戦真珠湾攻撃をおこなったときも,挙げた手の降ろしどころがなかった。結果は,当時の国家君主であった昭和天皇終戦宣言をした。ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻も,何度かやめる決断ができるチャンスがあったが,ズルズルと続けている。とばっちりを受けるのはウクライナ国民である。

 いったん物事を動かし始めると,聞く耳を持たなくなる。議論をする場さえ設けなくなる。仮に意見を聞いたとしても,決定を覆すことはない。多数決で勝てるとわかっているための慢心だと考える。

 始める直前に中止するという決断にも,大きな勇気が必要であり,強大なストレスが押し寄せてくる。しかし,いったん始めてしまうと,そのモーメントが止められない。後戻りができなくなる。

 筆者は今でも,東京オリンピック2020は中止すべきだったと思っている。デルタ株という重症化率の高い新型インフルエンザが猛威を振るい,ワクチンも10%しか使用されていない時期である。無謀だと思ったが,今回の汚職事件などを見ると,裏でやはりカネがらみの大きなモーメントが動いていたのだなと判断せざるをえない。

 安倍元首相の国葬に対して,これだけ反対意見が出ているにも関わらず押し切ろうとするのは,なぜなのだろうか。自民党内最大派閥の安倍派(清和会)の力,そして明らかになった旧統一教会自民党の癒着が,背景にないとだれが否定できようか。岸田文雄首相は,何に忖度して,国葬挙行を強行しようとしているのだろうか。

 9/27の日本武道館のある北の丸公園周辺は,街宣車が集結するだろう。デモも行われるかもしれない。海外の要人はおそらく大丈夫だが,日本の政治家,国会議員などの国内の先生方に対する攻撃の可能性も否定できない。

 筆者は,イギリス・エリザベス女王の訃報--安倍昭恵夫人は国葬を辞退した方が潔いと思う - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/9/9 と書いたが,結局のところ夫人のコメントは何もない。情けないな,あるいは高慢ちきだな,と思ってしまう。

 やめることによる代償はもちろんある。しかし,「人の意見を聞いてくれる」という評価は,非常に貴重だと思う。

 北朝鮮との外交問題も解決できず,ロシアや中国から完全に敵対国とされてしまった。新型コロナウイルスを含めて国際問題が多発している現在の解決を期待したが,岸田政権には,失望してしまった。

【追記】岸田首相「国葬をやるなんて、誰が言いだしたんだ」と嘆く! 国民の批判から逃げた“証拠文書”を入手 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]。こんな記事を見つけた 2022/9/6。この記事を信じるとして,この記事の中でも国葬を止めるには安倍昭恵夫人が辞退することしかないとしている。筆者のコメントは,イギリス・エリザベス女王の訃報--安倍昭恵夫人は国葬を辞退した方が潔いと思う - jeyseni's diary 2022/9/9。筆者はこの記事を読んでいたわけではないし,パクったわけではないことをお知らせしたい。

新型コロナウイルス第7波の収束が見えたのか--インフルエンザと同じ扱いに早くすべきだが,安倍元首相の国葬が邪魔をしている。第8波は2023年1月と予想

新型コロナウイルスの第7波感染拡大が,かなり収束に向かっているように見える。筆者が予想したカーブにほぼ沿っているが,2022年9月末で収束,というわけにはいかないようだ。

全国の感染確認者

 WHO(世界保健機関)のペドロス議長も,「終息が見えてきた」と宣言し,パンデミックを抑え込むためのいいタイミングだという認識を示した。

 オミクロン株が感染の中心となった2022年1月の第6波のときに,感染力は強いが重症化リスクが低いことを理由に,二類感染症指定から五類指定に変更してインフルエンザと同じ対応にすべきだと提案したが,半年経った今でもまだ,二類相当となっている。全数把握をしなくてもいいという方針を政府が出したものの,軽症者のフォローが不完全になったときの急な症状悪化を把握できないという恐れがまだ残っている。

 結局,症状が出た人は薬局でPCR検査キットを購入し,陽性が出たら発熱外来に行くという流れとなり,外来にかかるタイミングが1日遅れる。軽症の場合は,保健所からのフォローもなく,自宅で自分で症状管理をし,7日に短縮された際の検査も自主的に行い,治ったかどうかも自分で判断しなければならない。発熱に対する解熱剤という対症療法しかない。何らかの基礎疾患があっても,一般医療クリニックを訪れることはできず,そこで持病側の悪化によって死亡するという可能性があり,1日の死亡者数が200人前後と高止まりしているのが,どうしても気になる。

 オミクロン株は,早くインフルエンザ相当の五類感染症に変更し,一般クリニックで基礎疾患の診療と同時に診察を受けられるようにしないと,持病による悪化を見逃してしまう可能性がまだまだ高い。

 たしか,第7波が収まったら五類指定を検討すると政府は言っていたはずだが,これを邪魔しているのが安倍晋三元首相の9/27に行われる予定の国葬だろう。これを強引に挙行した上で,シラッと変更するのだろうか。

 二類の場合,ワクチン接種は国費で行われるため,費用負担はない。しかし,接種券が送られてこない限り,接種することができない。筆者も7月に4回目の接種を受けたが,10月から接種が始まるオミクロン対応の二種混合ワクチンは早く受けたい。

 五類に変更になると,接種が有償になるので,元々もう受けたくないと思っている人は接種しない。せっかくのオミクロン対応ワクチンの接種が進まない可能性が高い。

 ただ,接種券の発行を待たなくて済むため,自費で自己判断で接種できるのではないかと思う。インフルエンザワクチンと同程度の4000円ぐらいであれば,筆者はなるべく早く5回目としてオミクロン対応ワクチンを接種したいと考えているのだが,こういう考え方をする人は少ないのかもしれない。早く日常に戻って,フリーハンドで活動したい,と思っている人の多くは,おそらくカネを払ってまでワクチン接種をしようとは思わないのではないか。

 これから冬場に入り,インフルエンザもまた増えてくる危険がある。丸2年間,感染拡大が抑えられてきたが,集団免疫も低下しているからである。そこにおそらくワクチン接種マインドは低いため感染が拡大し,同時にオミクロン株の第8波が2023年1月からまた始まると筆者は予測する。

「命を守る行動」は自分に対しても必要だが,“先生”や“客商売”にはもっと大切

結婚して家族ができた。もう25年も前のことである。最初の子供が,風邪をこじらせて肺炎になり,大学病院に入院することになったが,抗生物質がなかなか効かず,「場合によっては覚悟してほしい」とまで言われた。3回,抗生物質の組み合わせを変更し,ようやく10日後に熱が下がった。その後,大病することもなく大人になった。命を守るということの難しさ,危うさを感じた。

 家族の命を守ることは,親として自然な行動だった。過保護と言われるかもしれないが,外を歩くときは必ず手をつないだ。急に走り出すことも当たり前のようにあったが,すぐに声を掛けたり,追いかけて行ったりした。クルマ側には常に親が歩いた。対向して歩いてくる人やイヌがいた場合は,距離を取れる側に先に動いた。それが当たり前だと思っていた。

 クルマの運転をしていると,親子連れによく出会うが,すれ違う直前に立ち止まったり,道の外側に少しでも身体を譲ったり,子供の手を取ったりする行動を見る機会はほとんどない。すれ違う瞬間に子供が急に動いたりすると,おもわず急ブレーキをかけることもある。もちろんそれを予想してスピードを落として,距離を取るようにハンドルを切るが,万一ということを考えないのかなと,いつも不思議に思ったりする。ペットの散歩をさせている人も,ペットの動きにあまり注意していない。中にはスマホをずっと見ながら散歩をさせていることも多い。

 ペットを含む自分の家族に対しても,「命を守る行動」が当たり前に行われていないような気がするときがある。他人に対して,どの程度責任を取れるのか,という気にもなってしまう。

 3歳の幼稚園児が,送迎バスの中に置き去りにされて熱中症で亡くなるという事故が起きた。これに対して,不注意だった,確認を怠った,などの会見が行われ,ようやく当事者である園長が辞任することになった。確認を行わないとブザーが止まらない装置を開発したメーカーの発表もあった。

 しかし,いずれも何だか「後付け」の対策にしか見えない。

 そもそも,「命を預かる」という意識が,欠如しているケースが多いのではないか,と思うのである。

 命を預かるのは,何も医者や病院だけではない。学校はもちろんのこと,非認可の保育園や学童保育,さまざまなサークルなども,「人の命を預かっている」という意識を持つのが当たり前と思うのだが,ほとんど意識していないのではないかと思えるのである。さらに,食事を提供する飲食店,宿泊を提供するホテルや旅館,バスや電車,タクシーなどの公共交通機関,スポーツ施設やイベント会場なども同様である。

 つまり,「先生」が子供たちの命を預かる学校や保育施設も,「客商売」としてお客様に接する仕事のすべてが,「命を預かっている」という意識が非常に薄弱だと感じるのである。

 クルマや電化製品など,お客様と直接接しない場合でも,製品安全を追及するという使命を持っていなければならない。クルマの安全装置や製品のPL法などの規格適合などを守ることが当たり前だと思うのだが,安全基準のごまかしなどを行う体質が次々と明らかになってきている。

 すべてが,「コスト優先」で話が進められているような気がする。経済が伸びている間は自己中心で慢心してしまい,経済が停滞すると不具合をひた隠しにする。安全・安心に忖度があってはならないと思うのである。

 そもそも,人を相手にする仕事をするすべての人や企業,組織に,人の命に対してどのような保証ができるのか,を再考すべきだろう。安全装置を付けたとか,安全再教育をしたとか,形式的なことは宣言できても,それを習慣化し,継続することはおそらく非常に困難である。

 飲食店の新型コロナウイルス対策も,「条例ができたから実施する」とか「規格に合格したからそれでOK」といった慢心があるのではないか。

 「記者会見で頭を下げればそれで終わり」みたいな気持ちがどこかにあるのではないか。「頭を下げてダメなら土下座すればいいか」「頭を丸めてくればいいか」といった慢心があるのではないか。

 あらゆる事件が裁判沙汰になるアメリカと違って,日本では被害者が泣き寝入りを余儀なくされるケースが大半である。アメリカのような訴訟社会がいいとは言わないが,それにしても近頃の無責任体質は見過ごすことができない。政治家,広告代理店,出版社の贈収賄事件も呆れてしまう。

 何度も書くが,筆者はまだ当面はマスク着用と強制換気を続けて,感染症からの自己防衛を続ける。もちろん自分の命を守る行動も,日頃から続けるつもりである。他人は信頼できない,と言い聞かせなければ,生きて行けない。自分の感覚,予測,予感,信頼できる情報収集を続けることにしたい。