jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「命を守る行動」は自分に対しても必要だが,“先生”や“客商売”にはもっと大切

結婚して家族ができた。もう25年も前のことである。最初の子供が,風邪をこじらせて肺炎になり,大学病院に入院することになったが,抗生物質がなかなか効かず,「場合によっては覚悟してほしい」とまで言われた。3回,抗生物質の組み合わせを変更し,ようやく10日後に熱が下がった。その後,大病することもなく大人になった。命を守るということの難しさ,危うさを感じた。

 家族の命を守ることは,親として自然な行動だった。過保護と言われるかもしれないが,外を歩くときは必ず手をつないだ。急に走り出すことも当たり前のようにあったが,すぐに声を掛けたり,追いかけて行ったりした。クルマ側には常に親が歩いた。対向して歩いてくる人やイヌがいた場合は,距離を取れる側に先に動いた。それが当たり前だと思っていた。

 クルマの運転をしていると,親子連れによく出会うが,すれ違う直前に立ち止まったり,道の外側に少しでも身体を譲ったり,子供の手を取ったりする行動を見る機会はほとんどない。すれ違う瞬間に子供が急に動いたりすると,おもわず急ブレーキをかけることもある。もちろんそれを予想してスピードを落として,距離を取るようにハンドルを切るが,万一ということを考えないのかなと,いつも不思議に思ったりする。ペットの散歩をさせている人も,ペットの動きにあまり注意していない。中にはスマホをずっと見ながら散歩をさせていることも多い。

 ペットを含む自分の家族に対しても,「命を守る行動」が当たり前に行われていないような気がするときがある。他人に対して,どの程度責任を取れるのか,という気にもなってしまう。

 3歳の幼稚園児が,送迎バスの中に置き去りにされて熱中症で亡くなるという事故が起きた。これに対して,不注意だった,確認を怠った,などの会見が行われ,ようやく当事者である園長が辞任することになった。確認を行わないとブザーが止まらない装置を開発したメーカーの発表もあった。

 しかし,いずれも何だか「後付け」の対策にしか見えない。

 そもそも,「命を預かる」という意識が,欠如しているケースが多いのではないか,と思うのである。

 命を預かるのは,何も医者や病院だけではない。学校はもちろんのこと,非認可の保育園や学童保育,さまざまなサークルなども,「人の命を預かっている」という意識を持つのが当たり前と思うのだが,ほとんど意識していないのではないかと思えるのである。さらに,食事を提供する飲食店,宿泊を提供するホテルや旅館,バスや電車,タクシーなどの公共交通機関,スポーツ施設やイベント会場なども同様である。

 つまり,「先生」が子供たちの命を預かる学校や保育施設も,「客商売」としてお客様に接する仕事のすべてが,「命を預かっている」という意識が非常に薄弱だと感じるのである。

 クルマや電化製品など,お客様と直接接しない場合でも,製品安全を追及するという使命を持っていなければならない。クルマの安全装置や製品のPL法などの規格適合などを守ることが当たり前だと思うのだが,安全基準のごまかしなどを行う体質が次々と明らかになってきている。

 すべてが,「コスト優先」で話が進められているような気がする。経済が伸びている間は自己中心で慢心してしまい,経済が停滞すると不具合をひた隠しにする。安全・安心に忖度があってはならないと思うのである。

 そもそも,人を相手にする仕事をするすべての人や企業,組織に,人の命に対してどのような保証ができるのか,を再考すべきだろう。安全装置を付けたとか,安全再教育をしたとか,形式的なことは宣言できても,それを習慣化し,継続することはおそらく非常に困難である。

 飲食店の新型コロナウイルス対策も,「条例ができたから実施する」とか「規格に合格したからそれでOK」といった慢心があるのではないか。

 「記者会見で頭を下げればそれで終わり」みたいな気持ちがどこかにあるのではないか。「頭を下げてダメなら土下座すればいいか」「頭を丸めてくればいいか」といった慢心があるのではないか。

 あらゆる事件が裁判沙汰になるアメリカと違って,日本では被害者が泣き寝入りを余儀なくされるケースが大半である。アメリカのような訴訟社会がいいとは言わないが,それにしても近頃の無責任体質は見過ごすことができない。政治家,広告代理店,出版社の贈収賄事件も呆れてしまう。

 何度も書くが,筆者はまだ当面はマスク着用と強制換気を続けて,感染症からの自己防衛を続ける。もちろん自分の命を守る行動も,日頃から続けるつもりである。他人は信頼できない,と言い聞かせなければ,生きて行けない。自分の感覚,予測,予感,信頼できる情報収集を続けることにしたい。